報い
その場に残されたのは、拘束具をつけられたカイルと、彼を囲む二匹のフェンリルだけだった。
唸り声を上げて近付いてくるフェンリルたちの前で、上体を起こしたカイルは両手に力を入れて拘束具を壊そうとしたけれど、拘束具はびくともしない。
(……これまでか)
カイルは悔しそうに顔を歪めた。カイルの頭に、ヴィオラの優しい笑顔が浮かぶ。
(ごめん、ヴィオラ。戻るって約束したのに……守れなくて)
絶体絶命の状況の中、カイルの目の前で、フェンリルたちは顔を上げて耳を立てると、なぜかそわそわとし始めた。
そして、急にカイルに背を向けると、尻尾を巻いて逃げ出していく。
カイルは唖然として、遠ざかるフェンリルの背中を眺めていた。
「どういうことだ?」
状況が呑み込めないまま呟いたカイルだったけれど、近付いてくる強大な魔力を感じて目を見開く。
「何だ、この魔力は……!?」
明らかに異質な力を感じて、カイルがごくりと唾を飲む。
(フェンリルたちが逃げ出したのは、この魔力に気付いたせいだったのか)
魔物たちは、自分よりも圧倒的に魔力に勝る相手には、歯向かおうとしないのが一般的だ。フェンリルほどの魔物が怯えて逃げ出すほどの存在とは何なのか、カイルにもわからなかった。
拘束具のせいで十分には身動きが取れないながらも、どうにか立ち上がると構えの姿勢を取ったカイルの耳に、高い声が届く。
「カイル!!」
(! ヴィオラの声……!?)
はっとカイルが辺りを見回すと、ヴィオラが巨大な漆黒の狼の背に乗ってやってくる姿が見えた。
「ヴィオラ!? 君が乗っているのは……!」
見慣れた姿とは違っていても、大きな琥珀色の瞳と、艶やかな漆黒の毛並み、そして額に光る宝石から、すぐにカイルはそれが何かに気付いた。
「ノクティス、君だったんだね!!」
漆黒の狼の姿をしたノクティスは、顔をカイルにすり寄せてから、彼の両手にはめられていた拘束具を鋭い歯で噛み砕いた。
地面に伏せたノクティスの背から、ヴィオラが降りる。
「カイル! あなたが無事でよかった……!!」
ヴィオラはカイルに勢いよく抱き着いた。涙を流すヴィオラを、カイルもしっかりと抱き締め返す。
「助けに来てくれてありがとう、ヴィオラ。……よくここがわかったね?」
「さっき、あなたに追跡魔法をかけたの。そうしたら、ノクティスがここに連れてきてくれたわ」
「ヴィオラ、その身体で、僕のために魔法を……?」
身体から、ごく細い追跡魔法の光の筋が伸びていることに気付いて、カイルは再びヴィオラを抱き締める両腕に力を入れた。
ヴィオラがノクティスを見上げて微笑むと、ノクティスは小さく鼻を鳴らした。手を伸ばしたカイルが、ノクティスの首筋を撫でる。
「君は、どうしてこんな姿に? もしかして……!」
カイルは、ノクティスと再会した時に覚えた違和感を思い出していた。ノクティスが茂みから飛び出してくる直前に、異質な魔力を感じたことが脳裏に甦ってくる。
「君の本当の姿は、こっちだったのかな?」
ノクティスは、子犬だった頃と変わらず優しい琥珀色の瞳をしていた。
「ヴィオラ、ノクティス。本当にありがとう」
心配そうに眉を顰めたヴィオラが尋ねる。
「アダム様とマイヤたちは?」
「僕だけをここに置いていったよ。突然フェンリルが出たから、僕を囮にして逃げたんだ」
「そんな! 酷いわ……!!」
怒りとショックで青ざめたヴィオラだったけれど、眩暈を覚えて足から力がかくんと抜けた。ふらりと倒れそうになったヴィオラを、慌ててカイルが抱き留める。
「ヴィオラ!」
彼女の顔色が悪いことに気付いて、カイルは口を引き結ぶとノクティスを見つめた。
「僕たちを乗せて、一番近い村まで連れていってくれる?」
わかったと言わんばかりにしゃがんだノクティスの背に、ヴィオラを抱いたカイルがまたがる。
すぐに、ノクティスは風のような勢いで走り出した。
アダムはマイヤと魔術師たちと一緒に、近くの魔術師団の拠点に全速力で向かっていた。
カイルを連れて当初向かっていた拠点の、すぐ近くまで来ている。
彼らの乗る馬たちが息を切らし始めた頃、拠点の建物が小さく見えてきた。
「あと少しだ! あそこまで着けば……!!」
額を汗で光らせながら、アダムが言う。マイヤや魔術師たちの顔にも、ようやく安堵の色が浮かんだ。
「うわあっ!」
突然の魔術師の悲鳴に、アダムがぎょっとして振り返る。
「何だ!?」
アダムたちのすぐ背後には、唸り声を上げるフェンリルたちが迫っていた。
フェンリルの口から吐き出された氷の息が、最後尾にいた魔術師の馬の足を止める。
「……なぜ、フェンリルがもうここに!?」
顔を歪めたアダムが、声を絞り出す。フェンリルの吐き出した氷の息は、すぐに馬たちの足元に広がっていた。
(フェンリルたちはカイルを襲っていたはずでは……?)
動けなくなった馬の上で、マイヤも真っ青になって震えている。
「嫌っ……!!」
フェンリルが放った氷が、彼女の顔を掠めていく。怯んだ彼女に、フェンリルが鋭い爪のある腕を振り上げる。
「きゃああっ!!」
「マイヤ!」
アダムがすぐにフェンリルに向かって炎を放つ。けれど、フェンリルはすぐに氷の息で炎を打ち消すと、アダムに攻撃の矛先を変えた。
アダムの乗る馬だけが、唯一フェンリルの氷の攻撃を受けてはいない。
けれど、アダムが剣を振るうも、フェンリルにはほとんど効かず、足止めすらできない。
「くそっ……!!」
フェンリルは大きな牙のある口を開けて、アダムに襲い掛かった。どうにか身を躱したアダムは、態勢を立て直すと、一目散に魔術師団の拠点に向かって馬を駆った。
「アダム様! 私たちを見捨てるのですかっ!?」
震えるマイヤに、アダムが答える。
「すぐに拠点に仲間を呼びに行く! 少しだけ耐えてくれ……!!」
「でも!!」
正論のようにも聞こえるアダムの言葉だったけれど、ここでアダムが去ってしまえば、残された者たちの命は風前の灯になる。
縋るマイヤを振り切るように、馬上のアダムの背中は遠ざかっていった。
(もうすぐだ……!)
目の前に大きく見えてきた魔術師団の拠点に、ようやくアダムが胸を撫で下ろす。
拠点の門扉を間近に見上げたアダムだったけれど、フェンリルの一頭は彼のすぐ背後に迫っていた。
アダムが振り返った時には、フェンリルは獰猛な口を彼に向かって大きく開いていた。
「うわあああっ……!!」
アダムの叫び声が、辺り一面に響き渡った。




