変身
炎の綱は、ヴィオラに幾重にも巻き付くようにして宙を揺蕩っている。ひりひりとするような熱からノクティスを守るように、ヴィオラはノクティスを腕の中にぎゅっと抱き締めた。
薄笑いを浮かべたマイヤが、ヴィオラに告げる。
「さっさとあの彼を私たちに渡してくれない? さもないと、その犬もろとも火傷するわよ?」
ヴィオラとノクティスを締め付けるように、炎の綱は次第に彼女たちを中心とする円の直径を狭めてくる。
「ヴィオラに手を出すな!!」
カイルが叫ぶ。アダムはふっと安堵の息を吐いた。
「よくやった、マイヤ」
カイルが突き付けていた剣を、アダムが炎の剣で払いのける。
「お前の負けだ、カイル」
口を引き結んだカイルが、両手を下ろす。
「さあ、カイル。来てもらおうか」
「……先にヴィオラを解放してください」
アダムがマイヤを振り返ると、ヴィオラを囲んでいた炎の綱はゆらりと薄らいで消えた。
「カイル、お前はこれを着けろ」
アダムは、特殊な拘束具を取り出した。両手首につけると、魔力の発動ができなくなる魔法道具だ。
彼がカイルに拘束具を嵌めようとするのを見て、ヴィオラはカイルを庇うように思わずカイルに駆け寄ろうとした。
「おやめください、アダム様!!」
カイルはヴィオラを腕で制すと、アダムに向かって口を開いた。
「兄上。お望み通りに僕が行けば、ヴィオラにはこれ以上危害を加えないと約束してください」
アダムがにやりと笑う。
「ああ、お前さえ来るならな。だが、逃げようとするなら容赦はしないぞ」
アダムがちらりと炎の外側に視線をやる。カイルとヴィオラ、ノクティスの周りで燃える炎のさらに外側を、精鋭の魔術師たちが取り囲んでいた。
「卑怯だわ! カイルの言葉にはまるで耳を貸さずに、こんな仕打ちをするなんて……!」
けれど、カイルはアダムに向かって頷いた。
「わかりました、兄上」
「カイル!?」
焦るヴィオラに、カイルが微笑む。
「僕は大丈夫。すぐに冤罪を晴らして戻ってくるから、先に近くの村に向かっていて」
「でも……!!」
ヴィオラには嫌な予感がした。ノクティスも、低い唸り声を上げてアダムに牙を剥いている。カイルはノクティスに視線を移した。
「ヴィオラ、ノクティスをよろしくね」
自ら両手を差し出したカイルの手首に、アダムが拘束具をはめる。
「行くぞ、カイル」
途端に、ヴィオラたちの周りで激しく燃え上がっていた炎が消滅する。焼け焦げた草から立ち上る白い煙だけが、宙を揺蕩っていた。
カイルを連れて立ち去ろうとしていたアダムが、ヴィオラを振り返る。
「……じゃあな、ヴィオラ」
名残惜しそうな瞳でヴィオラを眺めてから、アダムは背を向けて遠ざかっていく。
「待って!!」
「いい加減、諦めなさいよ」
アダムとカイルを追いかけようとするヴィオラの前に立ちはだかったのは、マイヤだった。
「あの呪われた彼のせいで、私たち、大変だったのよ。あなたがのうのうと過ごしている間にもね」
憎々しげにそう言ったマイヤは、すっとヴィオラの耳元に口を近付けた。
「闇属性の魔力を解放したどころか、彼は魔物を扇動したのでしょう?」
「魔物の扇動なんて、カイルは絶対にしていないわ!」
きっと睨み付けたヴィオラの前で、マイヤの唇が弧を描く。
「まあ、彼が無実を証明するのは、至難の業だと思うわよ。良くて牢獄行きかしら。素直に認めなければどうなるかは、私にもわからないわ」
カイルにすべての責任があることが、既に決まっているかのようなマイヤの言葉に、ヴィオラの胸がどくんと嫌な音を立てる。
「そんな……!!」
ヴィオラはカイルを見つめると、祈るようにぎゅっと両手を組んだ。仄かな光が、ヴィオラの手から舞う。
再びカイルの背中を追おうとしたヴィオラの耳に、冷たい声が響く。
「もう彼のことは諦めて。これ以上私たちの邪魔をしないで、ヴィオラ」
マイヤはヴィオラに向かって呪文を唱えた。ヴィオラの身体に、痺れが走る。
(しまった、これは身体を麻痺させる魔法……)
凍り付いたように動けなくなったヴィオラを置いて、マイヤは軽い足取りでアダムのもとへと向かっていった。
(カイルを助けないと……! でも、どうしたら?)
足に力が入らなくなり、ヴィオラはへたりと地面に座り込んだ。
不安と焦りに駆られるヴィオラを、ノクティスが見上げる。ノクティスは金色の大きな瞳でヴィオラの瞳を覗き込んだ。
「お……願い、ノク……ティス」
必死にヴィオラが言葉を続ける。
「どうか……カイル、を、助けて……!」
藁にも縋る思いで、ヴィオラはノクティスを見つめた。
アダムに連れられていったカイルの背中は、もう見えなくなっていた。ヴィオラの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
(私、カイルが好き。……でも私は、カイルに何も返せていない)
カイルと引き離されて、ヴィオラは改めて彼に対する想いを自覚していた。涙の止まらないヴィオラを気遣うように、ノクティスは彼女に鼻を寄せる。
ヴィオラの涙が、ノクティスの上にぽたぽたと零れる。その涙の一滴が、ノクティスの額の宝石にぽたりと落ちた。透明な宝石を覆うように、ヴィオラの涙が流れる。
その時、宝石が突然さらに輝きを増した。
額の宝石が輝くだけでなく、ノクティスの全身が、眩いばかりの光に包み込まれる。
ヴィオラは呆然として、光の中にいるノクティスを見つめた。
(何が起きているの……?)
ノクティスを包んでいた光が薄らいで消えた後、ヴィオラの前に現れたのは、彼女の背丈ほどもある巨大な漆黒の狼だった。
「……!? あなたは……ノクティスなの?」
今も光を帯びている額の透明な宝石と、琥珀色の大きな瞳は、子犬だった時のノクティスと何も変わってはいない。ヴィオラは不思議と恐怖は感じなかった。
眩い光を浴びたヴィオラの痺れは、いつの間にか消え失せていた。
ヴィオラに鼻をすり寄せる狼の姿に、彼女は目の前にいるのがノクティスだと確信した。
「あなたは何者なの、ノクティス……? でも、そんなことを考えている場合じゃないわね」
ノクティスは、背中に乗れと言わんばかりに、ヴィオラの前に伏せると彼女を見つめた。
その琥珀色の瞳には、強い意志が宿っているように見える。ヴィオラは頷くと、ノクティスのしなやかな背中に乗った。
「ノクティス、カイルを追いかけて!!」
ヴィオラの手から、ごく細い光の筋が伸びる。マイヤから麻痺の魔法を掛けられる寸前に、ヴィオラはカイルに追跡魔法を掛けていたのだ。それは、ごく弱い魔法ではあったけれど、今のヴィオラの魔力で使える限界いっぱいの魔法だった。身体の痺れは取れたものの、ヴィオラの顔は真っ青になっている。
ヴィオラに応えるように吠えたノクティスは、ヴィオラの手から繋がる細い光を追って、風のように走り出した。
「カイル……お願い、無事でいて」
絞り出すようなヴィオラの声は、風の中に消えていった。




