奇襲
数日後、ヴィオラとカイルは宿を出発した。
「カイル、ありがとう。ゆっくり私を休ませてくれて」
ヴィオラの顔は少し青白いものの、熱は下がって体調も落ち着いたところだった。
「いや、落ち着いて過ごせたお蔭で、僕も疲れが取れたよ。急ぐことはないし、こういう旅の過程も楽しんでいこう」
「ふふ、そうね」
柔らかいカイルの笑顔を見て、ヴィオラも微笑む。残された時間を考えると、つい焦りそうになってしまうヴィオラではあったけれど、そんな彼女の心情まで慮るようなカイルの気遣いがありがたかった。
カイルの手を借りて、ヴィオラが馬車に乗り込む。ノクティスもぴょんと馬車に飛び乗った。
「あら、ノクティス……?」
膝の上にノクティスを抱き上げたヴィオラが、首を傾げる。ノクティスの額にある透明な宝石が、内側から不思議な光を帯びていた。
「どうしたのかしら?」
不思議そうにノクティスの額を見つめるヴィオラの姿に、カイルもノクティスの額を覗き込む。
「額の宝石が、光ってる……?」
これまでも、ノクティスの額の毛の間から宝石が覗いた時、光を弾くように見えたことはあったけれど、内側から光が滲んでいるように見えたのは、これが初めてだった。
ヴィオラとカイルが目を見合わせる。
「こんなこと、これまではなかったよね?」
首を捻るカイルに、ヴィオラが頷く。
「ええ。……それに、ノクティスの様子が、どことなく普段と違うわ」
いつもはつぶらな金色の瞳で二人を見上げ、よく尻尾を振っては身体をすり寄せて甘えてくるノクティスだったけれど、この日は尻尾をピンと立てて、どことなく警戒を滲ませているように見える。
ノクティスはするりとヴィオラの手の間から抜け出すと、馬車の窓から外を眺めた。
「何かあったのかしら? 潜んでいる魔物に気付いたとか……?」
不安そうに呟いたヴィオラに、カイルは安心させるように言った。
「強力な魔物が出没する可能性は低いと思うけど、もし何かあったとしても、僕が君を守るから心配しないで」
ヴィオラが頷くと、程なくして馬車は動き出した。ヴィオラとカイル、ノクティスを乗せた馬車は、再び王国の最北端へと向かう道を進み始めた。
地図を広げたカイルが、王国を南北に横切る太い道を指差す。
「僕たちは今、この辺りにいる。もうしばらく北に行くと、遠目にだけれど、海が見える高台があるんだ」
「是非行きたいわ!」
ヴィオラが嬉しそうに笑う。
「カイルは海を見たことがあるの?」
「ああ。王立魔術学校の卒業試験で、実地の魔物討伐がこの近くであったから、その時にね。ただ、その時に出た魔物たちは一掃しているし、問題ないと思うよ」
カイルは地図上の道をなぞった。
「ここから次の村に向かう道の途中だし、ちょうどいいんじゃないかな?」
「そうね。楽しみだわ」
「それから……」
カイルは鞄の中から小さな箱を取り出した。
「これは?」
「ヴィオラに似合いそうだと思って」
彼が開けた箱の中には、菫の花を象ったブローチがあった。花を模した菫色の宝石と、葉を模した緑色の宝石が、金細工で美しく彩られている。
「わあっ、素敵……!」
ブローチをそっと手に取って目を輝かせたヴィオラを見て、カイルははにかむように頬を染めた。
「さっきの町で見付けたんだけど、なかなか君に渡せずにいたんだ。喜んでもらえて、よかった」
このような高価な贈り物をヴィオラがカイルからもらうのは、これが初めてだった。カイルはヴィオラからブローチを受け取ると、彼女の胸元に丁寧に着けた。
馬車の窓から差し込む陽射しを弾いて輝くブローチを見て、ヴィオラがうっとりと目を細める。
「ありがとう、カイル」
ヴィオラは、ブローチからカイルに目を移すと、申し訳なさそうに言った。
「私、いつもカイルに助けられてばかりで、お礼をしたいのは私のほうなのに……こんなに綺麗なブローチまで、何て感謝すればいいかわからないわ。カイルは、何か欲しいものはないのかしら?」
「いや、ヴィオラの笑顔が見られただけで、僕にとっては十分だから」
カイルの晴れやかな顔に、ヴィオラの胸がきゅんと疼く。
(これ以上あなたを好きになってしまったら、私、どうしたらいいの……)
切ない気持ちを呑み込むように、ヴィオラは再び胸元の美しいブローチを見つめた。
***
「さあ、着いたよ」
休憩を挟みながら馬車で山道を北上したヴィオラとカイルは、高台のところで馬車を停めた。
馬車の扉が開くと、ノクティスが真っ先に飛び降りた。ノクティスに続いて馬車から降りたカイルが、周囲を見回す。辺りは開けていて、視界も良い。
「危険はなさそうだ。ヴィオラもおいで」
ヴィオラは、カイルの手を借りて馬車から降りた。高地の涼しい風がヴィオラの頬を撫でていく。
停めた馬車の向こう側に、細い小道が見えた。馬車では通れないような幅の上り道が、緩やかに続いている。
「ここから、少しだけ徒歩で行くよ」
「ええ」
「足元には気を付けて」
カイルが差し伸べた手を、ヴィオラが取る。カイルと手を繋ぐことには慣れてきたヴィオラだったけれど、優しい彼の手の温かさを感じる度に、彼女の胸は自然と高鳴った。
そよそよと道の脇の木立が葉を揺らしている。二人の後を、少し離れてノクティスがついてきた。
吹き抜ける風を感じて、ヴィオラが目を細める。
「気持ちがいいわね」
「ああ」
「カイルは、卒業試験でこの辺りに来たのよね? また付き合ってくれて、ありがとう」
ヴィオラと繋いだ手に、カイルが少し力を込める。
「……僕は、どんな場所に行くかより、誰と行くかのほうが大事だと思ってる。ヴィオラとここに来られて、嬉しいよ」
カイルはヴィオラを見つめて微笑んだ。
「同じ景色や同じ時間を、大切な人と共有できるって、贅沢だよね」
大切な人という言葉に、ヴィオラの心臓がトクンと跳ねる。
(カイルは私のことを、どう思っているのかしら……?)
今更ながら、ヴィオラはそんなことをぼんやりと考えた。
もちろん、カイルがヴィオラを、まるで繊細な宝物を扱うように、誰より大事にしてくれていることはわかっている。
けれど、それは、かつて疎まれていた彼を庇ったヴィオラを家族のように慕っているからなのか、それとも、それ以上の感情が混じっているのか、彼女にははっきりとはわからなかった。
建前上の婚約者となっても、同じベッドで眠るようになっても、カイルは軽く彼女を抱き締める程度で、それ以上何をしてくるということもない。
(――今だって、カイルは私のことを、十分過ぎるくらいに大切にしてくれているのだもの)
ヴィオラは、深く考えてはいけないような気がして、胸の奥に蓋をした。ちらりとヴィオラが後ろを振り返ると、ノクティスは今もピンと尻尾を立てている。ただ、辺りには穏やかな風が流れているだけだった。
上り坂をしばらく進んで道を折れると、カイルが聳える山と山の間を指差した。
「ほら、見えるかな? あれが海だよ」
ヴィオラがカイルの示した先を見ると、青色の水がきらきらと光っている。
遠く見える海に目を凝らしたヴィオラの顔いっぱいに、笑みが広がる。
「綺麗ね……! 一度見てみたかったの。湖とはまた違うのね」
遥かな水平線を眺めて、ヴィオラがほうっと感嘆の溜息を吐く。
「今はこうして遠くに見えるけれど、間近で見るとさらに広大で、波が寄せては返すんだって」
「カイルは近くで海を見たこともあるの?」
「ううん、僕もないんだ。今度、一緒に見に行こうよ」
「……ふふ、そうね」
きっと難しいだろうと思いつつ、諦めに似た気持ちを隠してヴィオラが微笑む。
さあっと風が二人の間を吹き抜けていった、その時だった。
「!?」
はっとカイルが周囲を見回す。ノクティスは、珍しく大きな唸り声を上げた。
驚いてノクティスを見たヴィオラが、鋭い瞳になったカイルに戸惑いながら尋ねる。
「どうしたの、カイル……?」
「何かいる。敵意を感じる何かが、近くに」
低い声でカイルが答える。
「……囲まれたようだ」
カイルは手に闇魔法を纏わせながら、ヴィオラを背に庇った。逆側からも、ヴィオラの背後を守るようにノクティスが立っている。
突然、一陣の風が吹いたかと思うと、激しい炎が舞い上がった。
炎はカイルとヴィオラ、ノクティスを取り囲む円を描いて燃え上がる。
(!! もしかして、あの炎は……!)
見覚えのある炎魔法に、ヴィオラはすうっと青ざめた。




