膨らむ想い
翌日の昼下がり、ヴィオラはカイルと並んでソファーに腰かけながら、彼が買ってきた小説の一冊を読んでいた。
隣にいるカイルも、真剣な表情で別の本を読んでいる。ノクティスは二人の足元で日向ぼっこをしていた。
小説を読み終えたヴィオラは、余韻に浸りながらそっと本のページを閉じると、ちらりとカイルに視線を移した。
(カイルと過ごす時間は、何て穏やかで幸せなのかしら)
彼の側にいると、話していれば楽しいし、黙っていても不思議と気を遣わない。
二人の前のテーブルには、食べやすく切った果物と砂糖菓子を載せた皿が並べられている。
ヴィオラは果物を一切れつまんでから、次に図鑑を手に取ってぱらぱらとめくった。王国内を中心として生育する植物が、イラストと共に解説されている。
(あら、この薄桃色の花は、この前にカイルと見た花だわ)
丁寧な筆致で写実的に描かれた花のイラストが美しい。収録されている植物も多様で、眺めるだけでも興味深く、楽しかった。
ページをめくるヴィオラの手が、途中でぴたりと止まる。
(この花は……!)
釣鐘型をした可憐な銀色の花には、見覚えがあった。ヴィオラが思わず興奮気味に声を上げる。
「ねえ、カイル。見て……!」
ヴィオラが指で示した先を、カイルが眺める。
「この銀色の花って、ヴィオラが言っていた……」
「そうなの! 幻の湖を囲むように咲いていた花よ」
「綺麗な花だね。可愛い形をしているけれど、どことなく神秘的な佇まいだね」
「ええ。珍しい花なのに、図鑑に載っていて驚いたわ」
カイルが図鑑を覗き込む。
「北方の山脈に群生しているが、希少種の上に群生地も毎年変化するため、滅多に見ることはできない……か。ヴィオラに聞いていた通りだね」
「カイルと一緒に見られたら嬉しいわ」
しみじみとヴィオラが言う。少しずつ悪化しているように思われる体調を考えても、幻の湖まで行きつけるかどうか、先行きには暗雲が漂っている。それでも、希望を捨てたくはないとヴィオラは思った。
「僕は、ヴィオラと必ずこの花を見るよ」
何の疑いもない様子で、カイルが答える。そんな彼に、ヴィオラは救われる思いだった。
「ここでしばらく休んでからまた北に向かっても、問題ないから大丈夫だよ。まずは、ヴィオラの身体を大切に過ごそう」
(カイルの言葉は、いつも私を安心させてくれる)
ふっと口元を綻ばせたヴィオラに気付いて、カイルは図鑑から視線を上げると彼女を見つめた。
「……どうしたの?」
「ううん、何でもないの。ただ、カイルの隣にいると、どうしてこんなに居心地がいいんだろうと思って」
「それは僕も同じだよ」
カイルが微笑む。
(……できることなら、こんな日々がずっと続いたらいいのに)
幸せの裏返しのように、ヴィオラの胸がつきりと痛む。翳った表情を隠すように、ヴィオラはカイルが読んでいる分厚い本を覗き込んだ。
「カイルは何の本を読んでいるの? 難しそうな本ね」
ヴィオラの視線が、カイルの開いたページをなぞる。そこには、回復魔法の複雑な術式が書かれていた。
(もしかして、これって……)
ヴィオラがゆっくりと顔を上げると、彼は薄く頬を染めていた。
「少しでも、ヴィオラに効く回復魔法を習得したくて。……でも、負担には感じないでほしいんだ」
「……どうして、カイルはそこまで、私のために……?」
「ヴィオラには、できるだけ笑っていてほしいから」
じわりとヴィオラの目に涙が滲む。
涙を堪えて微笑んだヴィオラが、そっとカイルの肩に頭を凭せかける。今のヴィオラにできる、カイルへの精いっぱいの甘えだった。
ぴくんとカイルの肩が跳ねる。彼は躊躇いがちにヴィオラの肩を抱き寄せた。
彼の温もりが、ヴィオラには何より尊く感じられた。
再び本に視線を落としたカイルが、口を開く。
「学んだばかりのものだけれど、これまでとは違う回復魔法を試してみてもいいかい?」
「ええ、もちろん」
カイルが回復魔法を詠唱すると、温かな光がヴィオラを包んだ。これまでのカイルの回復魔法よりも、輝きが強い。
「さすがカイルね、こんな複雑な回復魔法まで、すぐに使えるようになるなんて。身体が軽くなったような気がするわ」
朗らかに答えたヴィオラだったけれど、カイルは彼女の額に手を当てると、微かに眉尻を下げた。
「……まだ、熱は下がりきっていないみたいだね」
「でも、微熱だけだもの。心配ないわ」
「また後で、違う種類の薬を探してくるよ。ヴィオラは疲れたら休んでね?」
「ふふ、わかっているわ。いつもありがとう」
その後、ヴィオラがベッドへと移動すると、カイルは薬を探しに町に出ていった。
ベッドに身体を横たえながら、ヴィオラが万華鏡を覗き込む。
(綺麗だわ……)
万華鏡を回転させながら、ヴィオラが切なく痛む胸を自覚する。
(私……カイルへの気持ちが、どんどん膨らんでいるみたい)
口には出せないまま、ヴィオラが心の中で呟く。
遠からずやってくる別れをこれ以上悲しいものにしないためにも、彼に自分の想いを言うつもりはなかった。けれど、ヴィオラにとってカイルが特別な存在になっていることは、疑いようもない。
彼の姿が見えないだけでどこか寂しく感じてしまった自分に、ヴィオラは思わず苦笑した。




