触れた唇
宿に戻って湯浴みを終えたヴィオラとカイルは、窓際に並んで夜景を眺めていた。町のざわめきが、風に乗って聞こえてくる。ノクティスは先にベッドの上で丸くなっていた。
カイルがちらりとノクティスを振り返る。
「ノクティスも疲れたのかな?」
「ふふ、きっとそうね」
ヴィオラが温かな瞳をノクティスに向ける。
「あの人混みの中を、ずっといい子でついてきてくれたのだもの、疲れて当然だわ。本当に賢いわね」
「ああ」
ふとカイルが夜空を見上げると、飛び抜けてよく光る一番星がきらきらと青白い光を放っていた。
その横を、すっと一筋の流れ星が通り過ぎていく。
「あっ、流れ星! ヴィオラも見えた?」
「ううん、見えなかったわ」
残念そうなヴィオラに、カイルが夜空を指差す。
「あの背の高い木の上に、明るい青白い星が見える?」
カイルの指差した方向へと、ヴィオラが身を乗り出した。
「その横を流れていったんだ。ほら、また……!」
彼の視線の先では、再び流れ星が夜空に白い弧を描いている。
じっと夜空に目を凝らしていたヴィオラが、ちかりと流れる光を捉えた。
「あっ、見えたわ……!」
カイルがヴィオラを振り返ったのと、ヴィオラが彼を見上げたのが同時だった。二人の顔が近付き、驚く間もなく唇がぶつかる。
「……!!」
互いの唇の柔らかな感触に、二人は目を見開くと一瞬固まった。慌てて後退ったカイルが、顔中を真っ赤に染める。
「ご、ごめん、ヴィオラ」
「カイル……こちらこそ、ごめんなさい」
ヴィオラの頬も赤く火照っていた。
少し二人の間に沈黙が落ちてから、カイルが思い切って尋ねる。
「――嫌、だったかな?」
(偶然の事故、でごまかさないところが、誠実なカイルらしいわ)
カイルに、唇が触れたことを改めて聞かれて、ヴィオラは動揺しつつも答えた。
「ううん、嫌なはずないわ。でも、カイルにとって迷惑だったんじゃないかと思って……」
「……よかった」
心からの安堵を滲ませたカイルは、嬉しそうに微笑んだ。
「迷惑どころか、僕は、ずっと……」
言葉をいったん呑み込んだカイルは、少し言葉を切ると、再び口を開いた。
「ヴィオラが、僕にとって迷惑になることなんて、絶対にないから」
カイルがヴィオラの肩にトンと額を乗せる。
「!!」
カイルの息遣いをすぐ側に感じて、ヴィオラが息を呑む。
「君は、僕を旅に付き合わせてるって思ってるみたいだけど……それは違う。前にも言ったけれど、僕は、ヴィオラと一緒にいたいから、ここにいる」
切なげな瞳で、カイルがヴィオラの顔を覗き込む。
「誰か大切な人と同じ時間を過ごした思い出なんて、僕にはほとんどなかった。こんなに幸せな毎日を過ごすのは、僕にとってもこれが初めてなんだ。だから、僕には遠慮なんてしないで」
(カイルのこんな表情を見るのは、初めてだわ……)
息が止まりそうになりながら、カイルの言葉に耳を傾けていたヴィオラが口を開く。
「ありがとう」
ヴィオラはふわりと笑った。
「いつだって、カイルは私を大切にしてくれる。私、あなたのお蔭で幸せよ」
それは心からのヴィオラの言葉だった。
うっとりするようなヴィオラの笑顔に、カイルの胸が高鳴る。けれど、ヴィオラが、自分の向こう側のどこか遠くを見ているようにも感じて、なぜか不安になった。
「……そろそろ、休もうか?」
「ええ、そうね。ねえ、カイル……」
少し躊躇ってから、ヴィオラは顔を上げた。
「この部屋のベッド、とても広いわ。……カイルも、今夜はベッドで一緒に休みましょう?」
「えっ!?」
カイルがどぎまぎとベッドに視線を移す。ヴィオラの言った通り、確かにベッドは広々としていて、三人が並んでも十分に寝られるくらいのたっぷりとした幅があった。
ヴィオラは真剣な表情で続けた。
「さっきカイルは私に、遠慮しないで、って言ったでしょう? 私も、あなたには遠慮してほしくないの。もう旅も長くなっているのに、ずっとソファーで寝るなんて……疲れが取れないわ」
しばらく思案顔になってから、カイルは緊張気味に頷いた。
「ありがとう。わかった」
ヴィオラがベッドに入ったのを見届けてから、カイルは少しぎこちなく、ベッドの逆側に身体を滑り込ませた。
その様子を見て、ほっとしたようにヴィオラが微笑む。いつもベッドはヴィオラに譲って、頑なにソファーの上で寝てしまうカイルに、ずっと申し訳なく思っていたからだ。
「おやすみ、ヴィオラ」
「おやすみなさい、カイル」
ヴィオラを見つめて、カイルが首を傾げる。
「ねえ、ヴィオラ。何だか顔が赤くない……?」
「だ、大丈夫よ。気にしないで」
恥ずかしそうに、ヴィオラが顔の辺りまでブランケットを引っ張り上げる。
くすっと笑ったカイルは、しばらくヴィオラを見つめてから、そっと目を閉じた。ノクティスはベッドの端で小さく首を上げてから、また丸くなった。




