逞しい腕
大聖堂から出たヴィオラとカイルは、宿屋の主人と司祭に勧められたとおり、大聖堂の隣に建つ歴史館へと足を運んだ。歴史館も堂々とした風格のある建物だ。
歴史館では、聖アルザスがいかにして王国を魔物から守ったのかについて、史実と伝説を織り交ぜたような内容での説明が各所にあった。聖人として誇張されている面もあるのかもしれなかったけれど、聖アルザスの素朴で実直な人柄は、残された数々のエピソードから確かに感じられた。
ヴィオラは、歴史館に飾られた大きな絵画を眺めた。
「聖アルザス様の連れていた子犬は、あんなに大きく成長したのかしらね?」
狂暴な魔物を魔法で撃退する聖アルザスの横に、魔物に鋭い牙を剥く、毛並みの美しい大きな犬がいる様子がヴィオラの目を惹く。まるで狼のような威風堂々たる様子をしている。
首を傾げたカイルが、腕に抱いたノクティスの頭を撫でる。
「いつか、君もあれくらい大きくなるの……? さすがに犬種が違うのかな?」
軽く鼻を鳴らしたノクティスを見て、ヴィオラとカイルがくすりと笑みを零す。
一通り館内を巡ってから、二人が歴史館を出ると、既に陽は傾いていた。夕焼け空の下、大通りの両脇にひしめく店や屋台にはそこかしこで灯りがつき始めている。
人々のざわめく大通りを歩きながら、カイルはヴィオラの視線の先に気付いた。
「あの屋台のお菓子、試してみようか?」
そう尋ねたカイルに、ヴィオラは恥ずかしそうに口を開いた。
「いいかしら? 少し子供っぽいかなとも思ったのだけれど……」
「そんなことはないよ。美味しそうじゃないか」
ヴィオラが見ていたのは、赤い果実に水飴のかかった菓子だった。とろりとした水飴が、果実の赤を艶やかに映えさせている。
「ありがとう、カイル」
カイルは屋台で二つ、水飴のかかった果実を買った。細い棒の先に刺さった果実に、ヴィオラがそろそろと口を近付ける。
一口齧ると、果実の酸味と優しい水飴の甘みが、口の中で溶け合っていく。
「! 美味しい……!!」
子供のような笑みを浮かべたヴィオラを見て、カイルも嬉しそうに笑う。
「うん、そうだね」
「こんなふうにお祭りを楽しむことに、憧れていたの。……幼い頃、両親に連れていってもらって以来だわ」
ヴィオラは、楽しげな人々のざわめきの中で、好きなように屋台を眺めながら、弾むような足取りで歩いていた幼い頃の自分に戻ったような気がした。
身体が重く怠い感覚は取れないものの、心は昔と同じように弾んでいる。
「ほかにも試してみようか?」
「ええ!」
ヴィオラとカイルは、串に刺した炙り肉や、揚げたパン、独特のスパイスの効いた温かなスープなど、色々なものを少しずつ分け合って食べた。ノクティスが物欲しそうな鳴き声を上げれば、ノクティスにも分けてやると嬉しそうに尻尾を振った。
「次は、あれはどうかな?」
にこやかにカイルが指差したのは、ふんわりと粉砂糖のかかった焼き菓子だった。
「わあ、いいわね!」
「すぐに買ってくるから、少しだけ待ってて」
小走りに屋台に向かったカイルをヴィオラが目で追っていると、彼女の背後から肩が叩かれた。
「……!?」
驚いたヴィオラが振り向くと、体格のよい二人組の青年が立っている。
「お嬢さん、一人かい?」
「可愛いじゃないか。ちょっと俺たちに付き合ってくれよ」
彼らの吐息には酒の匂いが混じっていた。じりと一歩下がったヴィオラが口を開く。
「いえ、私、人を待っていて……」
ヴィオラの足元でノクティスが低く唸り声を上げたけれど、二人は気にも留めていない様子だ。
「そんなにもったいぶらないでさ……!」
青年の一人がヴィオラの腕を掴む。ノクティスが青年に飛びかかろうとした刹那、カイルがヴィオラの身体を庇った。
「お前たち、何をしている!?」
カイルに睨まれた青年は、ぞくりと背筋に冷たいものが下りるのを感じた。一見すると細身で綺麗な顔をしており、腕っぷしが強そうなわけでもないのに、これまでに感じたことのないような殺気を纏っている。青年は慌ててヴィオラから手を離した。
青ざめて、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった青年の横で、もう一人の青年が舌打ちをする。
「チッ、本当に連れがいたのか。仕方ねえな」
二人はヴィオラとカイルに背を向けて去っていった。
カイルが慌ててヴィオラの顔を覗き込む。
「ヴィオラ、大丈夫だった……?」
「ええ。すぐにカイルが助けにきてくれたから」
そう答えたヴィオラの身体がまだ震えていることに気付いて、カイルは思わず彼女を抱き締めた。
「ごめん、怖い思いをさせて」
「!!」
突然カイルの逞しい腕に包まれて、ヴィオラの息が止まりそうになる。けれど、同時に、恐怖と緊張がすうっと全身から抜けていくのを感じた。
カイルが悔しそうに続ける。
「こんな場所でヴィオラを一人にするなんて、僕が甘かった。僕が側にいればよかったのに、酔っ払いに絡まれるなんて……」
「本当に私は大丈夫よ」
ヴィオラはそっとカイルの身体を抱き締め返した。カイルの肩がぴくん、と跳ねる。
顔を上げたヴィオラは微笑んだ。
「ノクティスもついていてくれたし、それに、カイルが来てくれるってわかってたから」
「でも……僕が自分を許せないんだ」
カイルが自分を落ち着けるように深呼吸をする。さっき酔っ払った青年に掴まれたヴィオラの細い腕には、赤紫色の痣ができていた。カイルがすぐに回復魔法を掛ける。
「このくらい平気よ。なのに、回復魔法までありがとう」
ヴィオラは明るい表情でカイルを見つめた。
「そろそろ行きましょうか。宿に帰るまでの道も、きっと賑やかで楽しいわ」
「……ああ」
再びヴィオラとカイルが手を繋ぐ。二人の足元の周りを、じゃれるようにノクティスがついてくる。
澄んだ夜空には、ちかちかと星が瞬き始めていた。




