勇敢な犬
カイルが目の前で魔物を倒し、ほっと胸を撫で下ろしたヴィオラが馬車を降りる。カイルの元に向かおうとしていると、女性の涙声が聞こえてきた。
「お願いです、息子を助けてください!」
女性は涙を流してカイルに縋っていた。父親と思われる男性も、必死の形相でカイルに頼み込む。
「さっき、魔物が息子を連れ去ってしまったんです! どうか息子を……!」
カイルが振り返ると、遠ざかっていく魔物の背中が見えた。巨体を揺らして走っていく猪型の魔物の口には、幼い子供が咥えられている。
(これは危険だな。……闇魔法を魔物に命中させても、男の子が落ちて怪我をする可能性がある)
焦る気持ちを抑えて魔物を追い掛けようとしたカイルだったけれど、魔物に向かって走り出した時、小さな黒い影が、目にも止まらぬ速さで彼の横をすり抜けていった。
「……! ノクティス⁉」
驚くカイルの視線の先で、ノクティスは魔物に敏捷に追い付くと、魔物に飛びついて嚙みついた。
ふいを突かれて振り返った魔物が唸り声を上げ、その口元から幼い男の子が放り出される。ノクティスは器用に、自分の身体を男の子の下に滑り込ませた。男の子は、ぽすん、とノクティスの背中に受け止められた。
猪型の魔物と、ノクティスの目が合う。魔物は突然の出来事に驚いたのか、向きを変えて一目散に走り出した。カイルがすかさず闇魔法を唱えると、魔物は靄に包まれてその場でぼろぼろと崩れ去った。
祈るような思いでその様子を見つめていた両親は、すぐに息子の元へと駆けていく。カイルもその後を追った。
奇跡的に、男の子は無傷だった。
息子を抱き締めた母親と父親は、ノクティスを抱き上げたカイルに、涙ながらに深々と頭を下げた。
「何とお礼を申し上げたらいいのか……!」
「いえ、お気になさらないでください。お怪我がなくてよかったです」
何度もカイルに頭を下げながら、彼らは、馬車の車輪が壊れたために道で立ち往生してしまったこと、車輪を確認するために馬車を降りたところで魔物に襲われたことを話した。
「それは大変でしたね」
最寄りの町までクローヴェン侯爵家の馬車で送ろうかと考えたカイルだったけれど、ちょうどその時、彼らの前に一台の大きな馬車が停まり、中から司祭服を纏った初老の男性が降りてきた。
穏やかな笑みを浮かべて、男性が口を開く。
「先程の様子、馬車から見ておりました。……いや、素晴らしい魔法の腕前でした」
彼はにっこりとカイルに笑いかけると、興味深そうにカイルの腕の中にいるノクティスをじっと見つめた。
「それに……随分と賢い犬ですな」
男性はそっとノクティスの頭を撫でてから、夫妻とその幼い息子を見つめた。
「私はそこの町で司祭をしております。よろしければ町までお送りしましょうか?」
「ありがとうございます……!」
ようやく人心地ついた様子の夫妻は、繰り返しカイルに頭を下げると、司祭の馬車に息子と乗り込んでいった。
カイルは馬車の外にヴィオラの姿を認めて、すぐに駆け寄ってきた。ヴィオラがほっと安堵の笑みを浮かべる。
「カイルは本当に強いのね。聞いていた以上に優れた腕前で、驚いたわ」
照れたようにカイルが笑う。
「怪我人が出なくてよかったよ。……これもノクティスのお蔭だね」
ヴィオラも感心してノクティスを見つめる。
「あなたの活躍、私も見ていたわ。あんな身体の大きい魔物に向かっていくなんて、勇敢ね」
ノクティスはカイルの腕の中で尻尾を振った。カイルが呟く。
「君はあの男の子が魔物に攫われたことに気付いていたんだね」
(それにしても……)
カイルはノクティスを見つめて不思議そうに目を瞬いた。
(あの魔物は、自分よりずっと身体の小さなノクティスを見て逃げ出さなかったか?)
そんなカイルの顔を、ノクティスがペロリと舐める。
「はは、くすぐったいよ」
愛くるしいノクティスの頭を、カイルが撫でる。
(やっぱり、僕の気のせいだろうか)
カイルとヴィオラは、再び馬車に乗り込むと町を目指した。




