企み
鬱蒼として薄暗い森の中で、悲鳴に近い部下の叫び声がアダムの耳に届いた。
「アダム副団長! もう持ちこたえられません……!!」
(くそっ。また、こんな強力な魔物が現れるとは)
アダムたちの前では、猛毒の息を吐くバジリスクが尾をくねらせていた。
前回の魔物討伐では、アダムは窮地に陥ったところを援軍の助力を得て、苦しい戦いをようやく終えた。ただ、援軍を呼ぶアダムの判断が遅れたために、魔術師団には少なからぬ怪我人が出ていた。
その後、気持ちを切り替えて向かったこの魔物討伐でも、周到な準備をしたにもかかわらず、厳しい苦戦を強いられている。
(だが、今回ばかりは、失敗は許されない)
この戦いで魔術師団を退かせる判断をすることは、アダムにとって屈辱以外の何物でもなかった。
それまでは、アダムが率いる魔術師団は優れた結果を残し続けていただけに、なぜ、という苦い思いがアダムの胸を覆う。
(ここ最近、遭遇する魔物のレベルが上がっている。どうして、こんなことが立て続けに起きるんだ……?)
炎を纏わせた剣を振るいながらも、アダムは納得がいかなかった。何かがおかしいと、アダムの直感が告げている。
「副団長! 撤退のご判断を!!」
アダムが悔しそうに顔を歪める。二の足を踏むアダムに、マイヤも続けた。
「一度態勢を立て直してから出直しましょう、アダム様。このままでは勝てません……!」
その時、茂みの陰から現れたサラマンダーが炎を吐いた。炎の直撃を受けた数人の魔術師団員が、膝から崩れ落ちる。
(……ここまでか)
ようやくアダムは声を張り上げた。
「皆、一度退くぞ!」
迫りくる魔物たちから、命からがら魔術師団員たちが逃げ出す。重い怪我を負った団員もかなりの数に上った。
どうにか王都近くの拠点まで戻ったアダムは、被害の大きさに青ざめた。すぐに治療しないと命の危険がある者も少なくない。
「ヴィオラがいてくれたなら。彼女を失ったことが、これほどの痛手になるとは……」
怪我をしたヴィオラを欠いてからしばらくの間は、さほど強力な魔物と対峙することはなく、彼女の必要性を感じることもなかった。けれど、対峙する魔物のレベルが急に上がったことで、ヴィオラが抜けた穴が殊更に大きく感じられる。
うっかり呟かれたアダムの言葉を耳にして、側にいたマイヤは顔を引きつらせた。
「アダム様、それは私に言ったのでしょうか?」
当てつけのように感じて苛立ちを隠せないマイヤに、アダムが慌てて答える。
「いや、失礼。単なる独り言だ」
その時、一人の魔術師団員が、急ぎ足でやってきてアダムに声を掛けた。
「アダム副団長、団長がお呼びです」
「ああ」
そそくさとマイヤに背を向けたアダムは、嫌な予感を覚えながら魔術師団長のもとへと向かった。
これだけの被害を出した魔術師団を率いた者として、責任は免れない。気持ちを整えようと一呼吸置いてから、団長室のドアをノックする。
返事を聞いて団長室に入ると、団長は難しい顔で腕組みをしていた。
「アダム、魔物討伐は失敗に終わったそうだな。魔物を駆除できなかっただけでなく、負傷者が多数出ている」
「……はい」
「近隣の町にまで被害が出たことは知っているな? 別の魔術師団を派遣したが――実に残念だ」
アダムの背中に冷や汗が流れる。
「ここ最近、出没する魔物のレベルが一時期よりも明らかに上がっており……」
「言い訳は不要だ」
顔色悪くアダムが項垂れる。しばし口を噤んでから、団長は彼を見つめた。
「だが、それは私の認識とも合っている」
魔術師団長は、手元の一枚の紙を彼に手渡した。アダムが受け取ったのは、魔物の目撃情報が記載された報告書だった。カリスティード王国の地図上には、出没した魔物の種類と場所、そして目撃された日時が詳細にプロットされている。このところはあまり見られなかったような、強力で知性の高い魔物の名前がちらほらと見える。
(クローヴェン侯爵家からそう遠くない場所でも、こんな魔物が目撃されているのか。カイルが幼い頃を除けば、こんなことはあまりなかったのに)
報告書を眺めて、思案顔でしばらく口を噤んでいたアダムだったけれど、ふとある考えが頭に浮かんだ。
「もしかして……カイルに関係が?」
「カイル殿――闇属性の君の弟のことか?」
「ええ。カイルはこれまでに何度か魔物を呼び寄せています。同じ家に住んでいた時には、彼には常に目を配っていました」
「ほう」
「ただ、カイルが闇属性の魔力を制御できるようになってからは、魔物の出没もなく落ち着いていたので、さほど気にかけてはいなかったのですが……ちょうど先日、彼はクローヴェン侯爵家を出ていきました」
魔術師団長の瞳が鋭くなる。
「そういえば……君にこんなことを言うのも何だが、昔、闇属性だったクローヴェン侯爵家の当主がその闇属性の莫大な魔力を解放した時にも、この王国は混乱に陥ったことがあったと言われているな」
ばつが悪そうに視線を下げたアダムに、魔術師団長は続けた。
「アダム。カイル殿と魔物の出没状況との関係に説明はつきそうか?」
(そうか。これもカイルの責任ということにしてしまえば……)
アダムがごくりと唾を飲む。
原因が弟のカイルだという確証はなかったけれど、それでも、何か異質なことが起きているという感覚だけははっきりとあった。
そして、カイルを完全にクローヴェン侯爵家から排してしまいたいという思いが、改めて彼の胸に頭をもたげる。
「今は何とも申せませんが、その可能性は高いように思います」
「そうか。なら、君にはその調査を優先してもらいたい。魔物への適切な対応策を取るためにも、現状をもたらした要因を早急に探る必要がある。カイル殿のことなら、兄である君が詳しいだろうし、適任だろう」
アダムとカイルの不仲を知らない魔術師団長は、慎重に続けた。
「だが、穏便に事を進めてくれ。まだ何の証拠もないのだからな。但し、場合によっては、酷な結果になる可能性も否定できないが……」
一生幽閉されて過ごしたというかつての当主が、アダムの頭にふと浮かぶ。彼は口元に浮かびそうになる笑いを噛み殺すと、躊躇わずに答えた。
「カリスティード王国のためとあらば、それも仕方のないことです。承知いたしました」
アダムは一礼して団長室を辞した。彼の頭に、すっかりやつれたヴィオラと一緒に去っていったカイルの顔がよぎる。
アダムは、魔物の出没とカイルとの間に仮に関係がなくても、もっともらしい説明をすることは可能だと考えていた。彼にとっては、目障りなカイルが幽閉されるほうが望ましい。
さらに、アダムは密かに、ヴィオラとカイルの馬車の御者に金を握らせて、二人の旅の進捗に関する報告を手紙で受けていた。万が一の事態に備えて、彼らの居場所を把握しておくためだ。それが役に立ったと、アダムは内心でほくそ笑んでいた。
ヴィオラの目指す北方の山脈を思い浮かべながら、アダムが頭を回転させる。彼の頭には、げっそりとやつれたヴィオラの顔も浮かんだ。
(北方に進むにつれて、道はさらに険しくなる。ヴィオラが一緒なら、それほど急いで移動することはできないはずだ)
アダムの唇が、ゆっくりと弧を描いた。




