カイルの決心
同じ頃、ヴィオラの隣の部屋で、カイルは眠れずに窓から三日月を見上げていた。
(想像していた以上に、ヴィオラ様のお身体はよくないようだ)
医者からヴィオラの余命を聞いて、とても信じられないと思っていたカイルだったけれど、彼女の痩せた身体の軽さや弱々しく青白い顔に、焦りを感じずにはいられなかった。以前にヴィオラが有していた豊富な魔力も、ほとんど失せてしまっている。
この世からヴィオラがいなくなってしまうことを想像するだけで、カイルの胸は潰れそうになる。知らず知らず、カイルの口からは深い溜息が漏れた。
「ヴィオラ様。僕は、貴女のために何ができるのでしょうか……」
心からヴィオラの身体を案じるのと同時に、甘く切ない想いが、カイルの胸に疼く。この日、ヴィオラに『婚約者』になることを提案したのは、誰より彼女の側にいたいという彼の気持ちを、ごく遠回しに伝えたことにほかならなかった。
(かりそめの婚約者なんて言って、ヴィオラ様に頷いてもらおうだなんて、僕は卑怯だったな。ヴィオラ様は、まるで僕の気持ちに気付いていないようだけれど……)
カイルが微かに苦笑する。
(それでも、ヴィオラ様の一番近くで、婚約者という立場から支えられるなら、こんなに嬉しいことはない)
元々、ヴィオラはカイルのことを将来の義弟として可愛がっていた。ヴィオラに引かれてしまうくらいなら、今のままの関係を保って、自分の想いは墓場まで持っていこうと思っていたカイルだったけれど、ほんの少しでもいいから、許される範囲で彼女に近付きたかった。そんなカイルにとって、かりそめの婚約者になることを彼女に提案することが精一杯だったのだ。
もし、今までのように義弟扱いのままなら、これ以上ヴィオラとの距離は縮まらないだろうと感じていた。
この日見た嬉しそうなヴィオラの笑顔を思い出し、カイルの顔がふっと和らぐ。
「あんな表情を見せてくださるなんて……」
花咲くようなヴィオラの笑顔は、クローヴェン侯爵家では見たことのないものだった。
ただ、満開の花をうっとりと眺め、手に乗せた花弁をしげしげと見つめて目を細めたヴィオラは、カイルには花弁よりも儚げに見えた。ささやかなことにも愛しげな視線を向ける彼女の姿は、残された時間で目にするものすべてを、必死に記憶に留めようとしているかのように感じられてしまう。
現実から目を背けるかのように、カイルはぎゅっと目を瞑った。
「きっと、ヴィオラ様は助かる。絶対に、僕が救う方法を見付けてみせる」
壁越しに隣の部屋にいるヴィオラは、今頃ノクティスと眠っているのだろうかと思いながら、カイルがゆっくりと目を開ける。
(それにしても……)
この日ノクティスと再会してから、ずっと胸の奥を揺蕩っていた疑問が、改めてカイルの頭に浮かんだ。
「あの茂みの奥に感じたのは、いったい何だったんだろう……?」
ノクティスが飛び出してきた茂みの中に、カイルはこれまでに出くわしたことのない、異質な力を感じたのだった。それは底知れない力のような気がして、カイルは思わず身構えたのだ。
カイルは非常に強い魔力を備え、王立魔術学校でも彼の魔力と魔法の腕は一目置かれていた。闇魔法の属性を持つ彼が、他の生徒たちに歓迎はされないながらも、特に虐められることもなかったのは、ひとえに彼の恵まれた魔法の才能と努力によるものと言ってよかった。
そんなカイルは、時として魔物の独特な気配を感じることがある。それは、カイルが王立魔術学校に入って魔法の腕を磨く中で、自然と身に付いた感覚だ。ただ、それは高位魔物なら本能的に備えると言われる能力だった。カイルの感覚は、高位魔物ほど鋭いわけではなく、ふとした瞬間に感じる程度だったけれど、その風変りな感覚を口に出したなら白い目で見られてしまうだろうと、あえて黙っていたのだ。
カイルが闇属性の魔力を制御せずにいると、まるで蝶や蜂が蜜に群がるように、闇属性の魔力を感知した魔物がなぜかやってくるのだということも、次第に感覚的に理解するようになった。自らの闇属性の魔力を制御できるようになるにつれて、カイルが魔物を呼び寄せることはほとんどなくなっている。余程激しい負の感情を感じることがない限り、今のカイルは魔力の制御を誤ることはない。
魔力のコントロールが上達し、感覚的にも鋭くなってきたからこそ、カイルにはこの日のことが引っかかっていた。
(あの時、茂みに感じた違和感はいったい……?)
森の中でノクティスと再会する直前、カイルが感じた不思議な力は、畏怖を覚えるような、それでいて無垢な何かに思えた。
「ノクティス以外に、変わった魔物でもいたのだろうか? それとも、僕の勘違いだったのか……?」
カイルが首を捻る。茂みから飛び出てきたのは、記憶に残っているままの姿をした、小柄で可愛いノクティスだけだった。カイルとヴィオラを覚えていて、嬉しそうに駆けてきたノクティスから感じられたのは、ただ純粋な好意だけだ。
腕組みをしたカイルがふと部屋の鏡を見ると、目を覆うほど長い前髪をした自分の姿が映っている。普段なら気にも留めない見慣れた姿だったけれど、カイルは鏡に近付いて自分の顔をじっと見つめた。
しばらく考えてから、カイルは持参した大きな鞄を開けると、ごそごそと何かを探し始めた。




