二人の関係
日が暮れる頃、馬車は森を抜けようとしていた。太い道の先に見えて来た町を指差して、カイルが口を開く。
「今夜はあの町で宿を探しましょうか」
「はい」
御者が町の大通りの途中で馬車を止めると、ヴィオラとカイル、そして犬は一緒に馬車から下りた。
二人と一匹が入ったのは、清潔感のある大きな宿だった。カイルが空き部屋があるかを尋ねると、人の良さそうな女主人は笑顔で頷いた。
「ええ、今日はまだ空き部屋が残っていますよ。あら、そのワンちゃんも一緒なのかしら?」
女主人が、カイルが腕に抱き上げている犬を見つめる。
「はい。難しいですか?」
「いえ、構いませんよ! 可愛いワンちゃんね」
女主人の言葉に、カイルとヴィオラはほっと胸を撫で下ろす。
ヴィオラが銀貨を取り出そうとすると、カイルが止めた。
「僕には、この旅のための資金が十分にありますから、何も気にしないでください」
「でも……」
躊躇うヴィオラに、カイルが微笑む。
「心配ありませんから、僕に任せて」
死後に残る財産はすべてカイルに渡そうと、内心でそんなことを考えていたヴィオラの前で、カイルが支払う。二人は女主人に隣同士の部屋を案内された。
「今夜はこちらの並びの部屋を使ってくださいな」
女主人は何気なく二人に尋ねた。
「お二人は恋人同士かしら? 余計なお世話かもしれないけれど、二部屋に分かれて泊まるより、一部屋に二人で泊まるほうが安上がりよ?」
思わずヴィオラとカイルが顔を見合わせる。親切な女主人の言葉に、ヴィオラがどう返そうかと戸惑っていると、カイルは咄嗟に答えた。
「今夜は、とりあえずこの二部屋でお願いします」
「そう? なら、このままごゆっくり」
不思議そうな表情を浮かべた女主人だったけれど、にこっと笑うとそのまま去っていった。
(……そんなことを聞かれるなんて、思わなかったわ)
ヴィオラの横で、カイルも困ったような表情を浮かべていた。
「旅をする上での僕たちの関係というか、設定のようなものを考えておいたほうがよさそうですね」
若い令嬢とその義弟になる予定だった青年が、二人きりで旅をしているのは不自然だと、ヴィオラも今更ながら気が付いた。もう先行きも短いのだからと、目的地に向けて見切り発車した浅慮な自分を、カイルに申し訳なく感じる。
(どうしよう、何て説明したらいいか思い付かないわ。私はカイル様を弟のように思っているけれど、姉弟と言えるほど似てはいないし)
カイルが思案顔で口を開く。
「さっきはそれほど不審そうな顔はされませんでしたが、また後で考えましょうか?」
「ええ」
カイルは片手で犬を抱いたまま、もう片方の手で持っていたヴィオラの旅行鞄を彼女の部屋へと運んだ。
「色々とありがとうございます」
恐縮するヴィオラに、カイルは優しい笑みを浮かべた。
「いえ、全然。お疲れでしょうし、ゆっくり休んでください」
犬を抱いて出ていくカイルの背中を見送りながら、ヴィオラはしみじみと思った。
(カイル様、想像していたよりもずっと頼もしいわ)
昔は引っ込み事案だったカイルだけれど、落ち着いている上にしっかりとした彼の一面を見て、ヴィオラは驚いていた。
守ってあげたい弟のように思っていたはずが、いつの間にかすっかり自分のほうが彼に守られている。
(彼がいなかったら、私はきっとこの旅を諦めていたわ)
ヴィオラの胸は、自然とカイルへの感謝でいっぱいになった。
***
ヴィオラが荷解きをしてからしばらくすると、宿の使用人が夕食をトレイに載せて部屋に運んできた。
素朴だけれど、美味しそうな香りの漂う料理を眺めてヴィオラは思った。
(一人で食べるのも味気ないわ。カイル様を夕食に誘おうかしら?)
ちょうどその時、控え目にドアがノックされた。ヴィオラがドアを開けると、そこにはカイルが立っていた。
「ご迷惑でなかったら、一緒に夕食を食べませんか?」
嬉しそうにヴィオラが笑う。
「私も、ちょうどカイル様にお声掛けしようと思っていたところです」
「よかった!」
カイルは屈託のない笑みを浮かべた。
「お邪魔します」
食事の載ったトレイを手にして部屋に入ってきたカイルの足元には、漆黒の犬がじゃれついている。
「ちゃんとご飯をあげるから、ちょっと待っててね」
カイルの言葉に答えるように尻尾を振り、椅子に腰掛けた彼の足元でお座りをした犬を見て、ヴィオラがくすりと笑う。
「ふふ、まるでカイル様の言葉を理解しているみたい。ほら、よかったらどうぞ」
脂がのった肉片をヴィオラがフォークで差し出すと、犬は器用に口で受け取ってぱくりと食べた。
「この子には、まだ名前がありませんでしたね」
怪我をしていた犬を拾った当時は、名前を考えているうちに、泣く泣く森に放さなければならなかったけれど、今はもう旅の仲間だ。
「そうなんです。実は、考えている名前があるのですが……」
自分の皿の上の肉片を犬に差し出しながら、カイルが口を開く。
「『ノクティス』はどうでしょうか?」
「ノクティス……いい名前ですね!」
夜を意味する名前を聞いて、ヴィオラが頷く。
「夜闇に溶け込むような漆黒の毛のこの子にぴったりですね。……どうかしら、ノクティス?」
ヴィオラが呼び掛けると、ノクティスは了承を示すようにクゥンと鳴いて尻尾を振った。カイルもくすっと笑う。
「じゃあ、君はノクティスだ。改めてよろしくね」
カイルに頭を撫でられたノクティスが、気持ちよさそうに目を細める。
ヴィオラとカイルの夕食の席は、ノクティスも交えて和気藹々としていた。一通り食事を終えると、カイルは緊張気味にヴィオラを見つめた。
「その、僕たちの関係を、対外的にどう説明するかですが……」
カイルは椅子の上で姿勢を正した。彼につられるように、正面の席に座るヴィオラの背筋も伸びる。
「婚約者、というのはいかがですか?」
一息に言い切ったカイルの前で、ヴィオラが目を丸くする。
「えっ?」
予想もしていなかった彼の言葉に、ヴィオラは一瞬言葉を失った。




