町娘
ヨーグ森林は帝都東部に広がる広大な森林である。
そこは、数多くの魔獣が生息している危険地帯だ。
森の入り口から奥へ進むほど魔獣の強さは増し、最奥ではS級冒険者くらいしか近づこうとはしない。
貴重な魔獣や薬草などが存在するそこは、まさに素材の宝庫といえる。
冒険者や貴族だけでなく、帝国としても有用な為その存在が許されている。
そして、ウォータイガーは森の中腹に生息する虎の魔獣である。なんといっても、その特徴はその凶暴性にある。
人間では到底及ばない身体能力に、大木のように太い4本足で攻撃を行い、剣のように鋭い牙で獲物を捕食する。
改めて標的の情報を確認していると、ユージンは安易な考えで依頼を受けてしまった事を後悔していた。
既に森に入って一時間ほど歩いている。
途中、ゴブリンのような低級の魔物の襲撃を受けはしたが特に怪我も無い。
ユージンはウォータイガーとの戦闘前に余計な体力を使わないよう、なるべく魔物が通らない道を通ってきた。しかし、茂みや地面から顔を出す木の根が足元に注意を向けさせるため、歩くだけでも気力が奪われていた。
そのため、現在は近くに生える木に背を預け、そのままズルズルと腰を下ろしていた。
(ユージンが邪魔しなきゃゆっくり休憩も出来るのに…)
持ってきた水筒を開け水を飲むと、疲れていた気分も少しはマシになった。
普通このような危険地帯では、安全の為に普通パーティーを組んで交代で周囲を警戒するものだ。
しかし、ユージンはパーティーを組むことが出来ないため、一人で行わざるを得ない。
(そろそろウォータイガーの生息域のはずなんだけどな)
ある程度休憩を取り、再び歩き始めると直ぐにウォータイガーの縄張りを示す傷跡が木に付けられていた。
ユージンは弛緩した気持ちを引き締めると、周囲を警戒しながら先へ進む。
ウォータイガーは自分の縄張りに入った獲物を逃がさない。既に、補足されている可能性すらある。
一瞬の油断が死に繋がることを、冒険者稼業で嫌というほど経験してきたユージンに油断はない。
しかし、歩けどもウォータイガーは見つからない。
ユージンは大きな溜息を吐きながら、ウォータイガーについて再び考える。
ウォータイガーはプライドが高く、自分たちのテリトリーに入ってきた獲物は決して逃がさない。だが、依然としてユージンの前に姿を現さない。
もし、ユージンを見逃しているなら理由は一つしかないーー
思考を巡らせていると、前方の茂みが大きく揺れ、何かが飛び出してきた。
ユージンは急いでそこから距離をとって、何かが飛び出してきた方向に剣を向ける。すると、そこには体中を傷だらけにした女性がいた。
夕暮れ時の小麦畑を連想させるような綺麗な金髪に、すらっと伸びた肢体。泥で汚れていたり、多数の切り傷が無ければ美しい娘なのだと想像できる。
彼女は腰に剣を差し、急所を守る鎧を身に着けた正に冒険者然とした恰好ーーではなく、その格好はただの町娘といった服装で、ここでは場違いでしかない。
森の入口付近では町人も狩りをしたりはするが、今いるような場所へは冒険者しか寄り付かない。
奥へ進めば進むほど危険であるというのは、帝都民の共通認識だ。
町娘は酷く怯えているようで、普段であれば整って綺麗であろう顔を恐怖で歪めている。
ユージンは剣を向けているせいだろうと考え、一度落ち着かせる意味を込めて剣を鞘に納める。
「ぼ、冒険者様ですか?」
「そうだけど、なんで町娘がこんな場所にいるんだ?」
「は、早く逃げないと…」
会話をする程度には落ち着いたところで、改めて質問をする。
ユージンが町娘の状態を観察していると、手に大事そうに一輪の花を握っていることに気づく。
それは、白天草という薬草の一種だった。
白天草は、万能薬と呼ばれる傷や病を癒す秘薬の材料になる薬草である。
「それを取りにきたのか?」
「え?は、はい。どうしても必要で」
ユージンの質問通り、町娘はこれを目的にきていたようだ。
万能薬はとても高額で平民には、そうそう購入できるものでは無い。
材料から揃えれば、買うことが出来るくらいに安くはなるが、これも無謀である。
万能薬の材料は、基本的に危険な場所にあることがほとんどだからだ。
そのため、冒険者の中でもA級以上の者しか、この薬草採取依頼は受けることが出来ない。
「何故ここに来たのかは分かったから、早く森から出ろ。ここは危険だぞ」
「冒険者様もお逃げください、私を追ってきているのはーー」
町娘が言い切るよりも早く、先ほどの茂みからウォータイガーが現れた。
あまりにも間近でその姿を見てしまったせいだろう。
町娘は恐怖のあまり腰を抜かし、その場に座り込んでしまう。
体長は5メートルほど。その発達した筋肉は圧倒的な身体能力を誇る。
人間など一瞬で捕まり、捕食されるだろう。
ウォータイガーはこちらの様子を確認すると、大きく息を吸う。
「グルァァァァァアアアアアアアアア!!」
森中に響き渡るかのような、咆哮を放ってきた。
魔力を乗せた咆哮で相手を麻痺させるウォータイガーの特技の一つである。
獲物を見るウォータイガーの目には嗜虐心が宿っている。
町娘の身体が傷だらけだったのは、ウォータイガーにやられたのでは無く、逃げる最中に茂みなどで引っ掻けたものだ。それは、町娘が生存していることがそれを示している。
普通、何の力もない町娘がウォータイガーから逃げ切ることは不可能である。
獲物を追い詰める狩りを楽しむために、町娘はここまで逃がされていた。
ウォータイガーはユージンに気づいているが、完全に無視している。
完璧に咆哮を完璧に食らったため、動けないと思っているのだろう。まずはメインディッシュと言わんばかりに町娘へと近づいていく。
咆哮を目の前で食らってしまった町娘は、完全に動けなくなってる。
徐々に近づく大きな口が死を想像させ、町娘は目を瞑ってしまう。
「っ!!」
ユージンは、ウォータイガーが町娘に食らいつこうとした瞬間、身体に魔力を纏うと一瞬でウォータイガーの横に移動し、そのがら空きの胴体目掛けて回し蹴りを放つ。
すると、その体格差からは信じられないことに、ウォータイガーは途中にある木々を薙ぎ倒しながら、森の奥へと吹き飛ばされていく。
「おい、大丈夫か」
ユージンが声をかけると、町娘は固く瞑っていた目を開ける。既にウォータイガーの存在はその場に無く、目を白黒させる。
顔を動かそうとしているが、まだ咆哮による麻痺の影響で上手く動かないようでユージンを見るのが精一杯のようだ。
「俺は、これからあいつを討伐してくる。どうせ動けないんだろうから、そこでじっとしてろよ」
上位の魔物であるウォータイガーの縄張りに立ち入ろうとする魔物はあまりいない。戦う術の無い一般人を、ウォータイガーとの戦闘に連れていくわけにもいかない。
下手に動くよりも、この場に留まる方が安全だと考え、ユージンは町娘を置いてウォータイガーが飛んでいった方向に走っていく。
追いついた先では、大木に打ち付けられたウォータイガーが悶絶しているところだった。
近づいてくるユージンに気づいたらしく、怒りに染まった目が血走っている。
先程の様な侮りは消え、完全にユージンを敵と定めていた。
「グルゥゥヴウ」
先程の麻痺の咆哮が意味をなさないと悟ったのか、低い唸り声でユージンを威嚇してくる。
対するユージンは鞘から剣身が黄色の変わった剣を抜いて、正面に構える。
「雷精よ」
祝詞を唱えると、剣からはバヂバヂっと雷が迸る。ウォータイガーもその剣に脅威を覚えたかのように、一歩後ずさる。
互い見つめ合う緩着状態が続く。先に痺れを切らしたのはウォータイガーで、素早くユージンとの距離を詰めると前足を振り下ろしてくる。
身体能力にものをいわせただけの攻撃であるが、直撃すれば骨は粉砕され、まともに立つこともできないだろう威力がある。
ユージンは危なげなく躱すと、一度距離を取る。
再び魔力を身体に纏うと、ユージンの姿はその場から消え、一瞬でウォータイガーの眼前に移動していた。ウォータイガーは、その動きに反応できず目の前には急に現れたユージンを大きく見開いた目で見つめる。
ユージンは雷の迸る剣をしっかりと握ると、目にも止まらぬ速さで首めがけて振り上げる。
すると、豆腐を切るときのように抵抗も無く、ウォータイガーの首が胴体から落ちた。
危なげなくウォータイガーを倒したユージンは、その首を軽々と持ち上げると、元いた方向へと歩き出す。
魔力で強化した身体で走ると直ぐの距離だったため気づかなかったが、歩くと少し時間がかかった。
しばらく歩くと、忠告通りその場に留まっていた町娘が心配そうな表情でユージンを待っているのを見つけ、安堵の息を吐く。
ユージンも会ったばかりとはいえ、力のない人間が魔獣に蹂躙される姿は出来れば見たく無いのが本音だった。
「ウォータイガーなら討伐してきたぞ」
「そ、その首はなんでしょうか」
「ん?依頼だよ。こいつの首が欲しかったんだと」
町娘は納得したのか「なるほど」とつぶやいている。
「そんなことより、もう帰るぞ」
「は、はい」
返事を聞かず歩き始めるユージンを見て、町娘は慌ててついてくる。
帰り道は他の魔獣に襲われることも無かった。ユージンが持っているウォータイガーの首が魔獣避けになったのだろう。
討伐したウォータイガーの首を持って帰ってきたことを、驚かれていたが、気にせず報酬だけを受け取ってきた。
「あ、あの、助けていただいてありがとうございました!」
「ああ、依頼のついでだから気にするな」
街に戻ったことで緊張が解けたのだろう、町娘は笑顔を向けてくる。
ユージンはその笑顔に見惚れてしまい、誤魔化すように適当な返事を返した。
「それでは、私はここで失礼します」
「おい、ちょっと待て」
引き留めるユージンの声に、町娘はビクッと肩を震わせる。
「あ、あの、私、お金が無くて、その、護衛料を払うお金も無くて」
冒険者が護衛をする際、護衛料を要求するのは当然の権利だ。例えそれが、偶々助けたものだとしても助けられた側には護衛料を支払う義務が生じる。
町娘もユージンが善意だけで、自分を助けたと思っていないのだろう。顔を青ざめさせる様子からもお金が無いのは一目瞭然だった。
しかし、ユージンも町娘をこのまま帰す訳にもいかない。
「はぁ、とりあえずついて来い」
町娘は少し怯えた様子でユージンの後をついてくる。奴隷商にでも連れて行かれると思っているのかその表情はどんどん暗くなっていく。そうでなくても、剣を持つ厳つい男について来いと言われれば誰でも怯えるのは当然だろう。
しばらく歩くと、一軒の建物の前に着く。木で出来たその建物は所々腐っていたり、穴が空いていたりするため年代を感じさせる。一見すると廃墟のようにしか見えなかった。
ユージンは迷う事なくその中に入っていく。町娘もこの状況では逃げ出すわけにも行かず、素直に後ろをついて行く。
「あの、ここは......」
「おう、テイラーじゃねぇか。なんだ、また怪我でもしてきたか」
町娘が質問しようと声をかけようとすると、店のカウンターから元気な初老の男性の声が飛んできた。
「違う違う。ガレスさん、今日はこっちの娘の治療を頼みに来たんだよ」
「ほう、お前さんに連れとは珍しいな。明日は槍でも降るのか?」
ユージンは、暗に知り合いも少ないボッチだと告げられ、ガレスの後頭部を思い切り殴りつけてやりたい衝動を抑えながら、話を続ける。
「まあ、とにかく治療を頼むよ」
「ま、待って下さい」
これまで成り行きを見守っていた町娘は、驚いた様に声を上げる。
「私、治療とかは大丈夫です......」
「その怪我で帰る気か?」
町娘の身体はウォータイガーから逃げる際についた引っ掻き傷が無数にあり、服も所々破けている。そのまま帰れば、まず間違いなく家族が心配するであろう姿だった。
「安心しろ、治療費くらい出してやるから」
しかし、町娘の顔は晴れない。まだ、何か疑問があると言う表情だ。
「見ず知らずの私に、どうしてここまで親切にしてくださるんですか?」
口から出たのは純粋な疑問の声だった。ユージンが機嫌を損ねれば、折角の治療も受けられなくなってしまうのも覚悟しての問いだった。
ユージンは少し考える素振りを見せると、町娘の手を指差す。そこには、白天草が握られていた。
「家族のために取ってきたんだろそれ。お前も家族が心配なんだろうが、あんまり家族に心配をかけるな。その方が身体に悪いぞ」
平民が万能薬を欲しがる理由は、普通では治せない様な怪我や病気になったときだ。ユージンもそれを考えて町娘をこの治療院に連れて来ていた。
「ガレス、お金は置いていくから治療と、それから服も買ってやってくれ」
それだけ言い残すと、ユージンは面倒な言い争いが始まる前にその場を後にする。後ろからガレスの騒ぎ声が聞こえてくる気がするが、構わず無視する。
「あの、何から何までありがとうございました!」
後ろから聞こえる町娘の声に、ユージンは振り返らず手だけ振って返事を返す。
今回の依頼はこうして幕を下ろした。
ユージンはそのまま家に帰ると、ベットに身体を投げ出した。どっと疲れが押し寄せて、倒れそうになった為だ。
これは、魔力で身体を強化した反動であり、薬でいう副作用みたいなものだ。
「はぁ、何やってんだか......」
ユージンは普段他人と関わるようなことはあまりしない。
しかし、家族の為に頑張る町娘の姿に昔の自分を重ねてしまい、思わず助けていた。
自分らしく無いことをしたという認識が、ユージンの疲れを更に増長させる。
ベッドから起き上がると、姿見の前に立つ。
姿見の前で左手に嵌っていた指輪を外すと、15歳の元のユージンの外見に戻る。
「父さん、母さん、俺は......」
呟いた言葉が、虚しく部屋に響く。
姿見に写るユージンの首には、金属製の首輪が嵌められていた。




