スノー=ハート(「冬のあしあと」企画 参加作品)
その日は稀にみる大雪だった……。
目の前の視界は瞬く間に真っ白に染まり、身体に積もった雪が容赦なく体温を奪っていた。
「まさかこんなことになるなんて……」
俺は白く染まる息を吐きながら駅を目指していた。
なんでこんな猛吹雪の日に外出しているのか?
それは明日に控えた大学受験のためだった。
他の友達はみんな試験会場近くのホテルを取っていたが、俺の家は金に余裕がなかったため、できる限り直近で移動するしかなかった。
それなのに……まさかこんな災害級の大吹雪に見舞われるなんて……本当についてないな……
自らの不運を嘆きながら、ただひたすらに真っ白な雪を掻き分けて行く。
「はぁ……やっぱり運休か……」
俺は駅について愕然としていた。
当然といえば当然の結果なのだが、この大雪のせいで電車は終日運休の状態だった。
「どこまでもついてないな……」
俺は何時動くともしれない電車を待つために駅から少し離れた場所にある待合室へと向った。
「うう……さみい……」
俺は声を震わせながら吹雪の中を歩いた。
「んっ?先約がいる……」
俺が待合室を覗き込むとそこには1人の女性が座っていた。
なんて綺麗な人なんだ……
俺は待合室の女性を見て思わず心を奪われた。
銀色の髪に澄んだ青い瞳、そして、透き通った白い素肌。その容姿はまるで雪女のようだった。多分、彼女はこの国の人間ではないのだろう。
「……って何時までもこうしている場合じゃなかった!」
俺は襲いくる寒さで正気に戻るとなるべく音を立てないように部屋の中へと移動した。
「お邪魔します……」
俺が部屋の中に入っても女性はこちらに視線を向けることなく熱心に本を読み続けていた。
一体何の本を読んでいるんだ?
俺は彼女が脇目も振らずに読み続ける本について興味を持った。
……宮沢賢治?……銀河鉄道の夜?
外国人が読むにしては何とも渋い題材だった。
邪魔しないようにしないとな……
俺は彼女の邪魔にならないように鞄の中から教科書を取り出すと明日の試験に備えて勉強することにした。
待合室は俺と彼女の2人だけでその中央には石油ストーブが置かれており、そのストーブの上にはコポコポと軽快な音を鳴らしながら湯気を噴き出す薬缶が置かれていた。
時折、部屋の外で荒れ狂っている吹雪の風が待合室を揺らしながら2人だけの密室を作り出していく。
一体どれ位の時間が経ったのだろうか?
俺は時間の経過を忘れるくらい勉強することに夢中になっていた。
そんな雰囲気を破ったのは本を読み終えた彼女の問い掛けだった。
「……雪って……いいものですね?」
唐突に投げ掛けられた質問に驚いて視線を教科書から女性の方へと移した。
「えっと……俺に聞いている?」
もしかしたら彼女の独り言かもしれなかったため、念のために質問を聞き返した。
「他に誰かいるのですか?」
彼女は流暢な日本語を喋りながら俺の方に澄んだ瞳を向けてきた。
「……俺は……雪が嫌いだ」
俺は思ったままに彼女の質問に答えた。
それは当然の答えだろう。この大雪のせいで俺はここに足止めを食らっているのだ。そんな雪を見て「好きだ」等とはとても思えなかった。
「そうですか?……それは残念ですね」
彼女は肩を竦めると窓の方に視線を移した。
「こんなにも綺麗で、こんなにも美しいというのに……」
「あんたはそんなに雪が好きなのか?」
俺は興味本位で彼女に質問してみた。
「そうですね……この雪を見ているととても心が和むのです」
「心が和む?」
俺には彼女の意図がよくわからなかった。
こんなにもうざったい雪を見て一体何が和むというのだろうか?
俺は不思議でならなかった。
「雪は全てを覆い隠すのです。汚いもの、醜いもの、都合の悪いもの……この世界はそんなマイナスなもので溢れ返っているのです。雪はそれら全てを純白の一色に染めてくれます」
彼女はサファイアのような瞳を輝かせながら愛おし気に外の景色を眺めていた。
「それこそ、そこら辺に転がっている犬のウンコまで……」
犬のウンコ……
まさかこんな絵に描いた美少女の口からそんな汚い単語が飛び出してくるとは思いも寄らなかった。しばらくの間、度肝を抜かれた俺は表情を凍り付かせていた。
それは彼女なりのジョークなのかもしれないが、見た目とのギャップに驚きを隠せなかった。
「だから……あたしは雪が好きなのです」
彼女は自身有り気な表情を浮かべながら俺の方へと視線を戻してきた。
「そうなんだ……」
俺は先程の衝撃が抜け切れず何となくの相槌を返した。「心ここに在らず」といった感じである。
「それで……あなたはどうして雪が嫌いなのですか?」
今度は俺が答える番のようであった。
「そうだな……やっぱ冷たいからかな。それに色だって白一色だと単調でつまらないし、あとは……雪は人を惑わせるから」
頭の中で思い付く限りの答えを並び立てると彼女の質問に答えた。
「惑わせる……ですか?」
彼女は僕の最後の返答に興味を示した。
「ああ、雪は視界を奪い去り、方向感覚をなくし、日が落ちれば自分が何処にいるのかすらわからなくする。道そのものがなくなってしまうからな」
俺は雪の厄介さについて訴えた。それは長年この土地で雪と共に暮らしてきたからわかることであった。
「それに……雪で覆い隠された場所には何が埋まっているのかよくわからない。踏んだ先には犬の糞だって埋まっているかもしれない」
最後に彼女のジョークをジョークで返した。
「なるほどです……。ぷぷっ……あなたって……可愛い人ですね」
彼女は口許を微かに緩めると楽しそうにせせら笑った。
「可愛いって……子ども扱いは止めてくれ」
見ず知らずの女性に子ども扱いされて「むっ」とする感情が込み上げてきた。
「ごめんなさいです。別に悪気があったわけじゃないんですけど……」
彼女は俺の方へと静かに近づいてくると目の前で屈んできた。そして、子供をあやすように俺の頭を撫で撫でと撫でてきた。
ああ、何て良い匂いなんだ……
俺は彼女が醸し出す香りに心を奪われていた。とても優しいような鼻を擽るような何ともいえない快感が込み上げてくる。
「だ・か・ら……子供扱いは止…め…ろ……」
彼女が醸し出す甘い匂いに必死で抗いながら頬を膨らませた。
「ごめんなさいです。あなたがついつい可愛くて……」
彼女はにこにこと楽しそうに笑いながら俺から一歩離れた。
何なんだ……こいつは?
子供扱いする彼女に戸惑う俺だった。
「それで……どうして、あなたはこんな所にいるのですか?」
彼女は表情を戻すと質問を続けてきた。
「実は……明日に大学受験を控えてて……」
「大学受験ですか?」
「その試験を受けるために都会を目指していたんだけどな……この大吹雪のおかげで足止めという訳さ……」
僕は忌々しそうに窓の外を見つめた。
外はまだまだ止む気配なく無情の吹雪が続いていた。
「なるほどです……それはとんだ災難ですね」
彼女は両手を挙げると同情するかのように首を左右に振った。
「で、どこの大学を受けるつもりなのですか?」
「この県の国立大学を狙っている」
「へぇ~、結構レベルの高い大学を目指しているのですね」
「まぁ、家が貧乏なんで……奨学金を受けられる大学に行く必要があるというわけさ……」
「とても両親思いなのですね」
彼女は再び俺に近づくと優しく頭を撫でてきた。
はぁ、こいつには何を言っても無駄なのかもしれない……
俺は子供扱いを続ける彼女の態度に呆れつつもこの行為に嫌な気持ちが込み上げてこなくなりつつあった。
「それで……あんたはどうしてこんな所に?」
「クリスです……」
「クリス?……ああ、あんたの名前か」
「そう……あたしの名前は『クリス=フェルト=セレシア』と言うのです」
クリスは笑顔を浮かべながら手を差し出すと自己紹介を始めた。
「俺の名前は……『坂城御門』と言う」
「……ミカドですね。よろしくです」
クリスは親しげに俺の下の名前を呼んできた。
彼女の馴れ馴れしい態度が気になったが、彼女の国ではこれが当たり前のことなのかもしれない。そう納得すると俺は彼女の手を握り返した。
「それで……クリスはこんな所で何をしているんだ?」
「んっ?あたしですか?」
「そうだ。こちらばかりじゃなくてあんたのことも教えてくれ」
クリスのことが気になったので彼女のことを訊ねてみた。
「あたしはですね……」
クリスは勿体振った様子でこちらの様子を窺っていた。
「溜めは入らないんでさっさと教えてくれ」
「もう~、焦らしたら女の子に嫌われちゃいますぞ」
俺はクリスのペースに巻き込まれながら彼女の話を待った。
「あたしは日本の文学に興味があってロシアからやって来たのです」
「日本文学に?」
「そうですっ!あたしの母は日本人なのです。ロシアの父と結婚して今はロシアの大学で日本文化について教えています」
「なるほど……通りで日本語が上手いわけだな」
俺はクリスが日本語を流暢に話せることについて納得した。
母親が日本人であり、更に日本文学を他国の大学で教えられるレベルの人間となれば、彼女が日本語について充分に理解していることは火を見るより明らかなことだった。
「それで……母に教えてもらった文学者達がどのような環境でこの様な素晴らしい文章を綴ったのかが気になりまして……」
クリスはブルーライトのように青い瞳を輝かせながら興奮気味に話を始めた。
最初に見た印象とは随分と変わっていた。
「あたしはその地を訪れては旅をしているのです」
「ふむふむ……」
そういえば、この近くにも文学者の歴史博物館みたいのがあったけな?
俺は一度も行ったことはないが、確かにそんな記念館があったことをおぼろげながらに思い出した。
「日本の文学はとても素晴らしいのですっ」
「あははは……」
俺は熱弁を振るうクリスに圧倒されながら乾いた笑い声を溢した。
「ミカドは日本の文学に興味はないのですか?」
「まぁ、文学よりは数学や物理の方が好きかな?」
俺は理系の人間であったため、文系のことについてはあまり興味がなかった。
「それは残念ですね……」
クリスは残念そうに肩を落とすと視線を床に向けた。
「この国では高校になると文系か、理系かに学習環境が分けられるからな……」
「そうですか……それならあたしが日本文学の素晴らしさについて教えてあげますね」
クリスは再び視線を戻してくると俺の顔をしっかりと見つめた。
その瞳はストーブの炎よりも燃えているようだった。
こうして俺はクリスから日本文学の素晴らしさについて一晩中教えられた。
こっちは受験でそれどころじゃないというのに……
そう思いながらも楽しそうに日本文学の話をするクリスの口を塞ぐことはできなかった。
最初の内は半ば嫌々ながらだったが、彼女の話を聞いている内に段々と日本文学の魅力について興味を持っていった。
「……というわけでこの主人公の苦悩は実に共感を覚えるのです」
「へぇ~なるほどな……」
「それでですね……とっ、話はこの辺で止めた方が良さそうです」
「えええ、もっと聞きたかったのに……」
俺はクリスの話をもっと聞いていたかったため、子供のように駄々を捏ねた。
「あたしは話を続けても構いませんが……このままではミカドが困ることになりますけど……」
クリスは窓の外に視線を向けた。
荒ぶっていた吹雪は何時の間にか止んでおり、遠くに見える山の輪郭には薄っすらと金の線が走り始めていた。
「もう夜が明けていたのか……」
俺はクリスと夢中で話していたため、そんなに時間が経過していたとは気が付いていなかった。
「今から向えば、まだ試験の開始時間に間に合います」
「そうだな……」
とても残念なことではあったが、クリスの言う通りであった。
「それではあたしもそろそろ別の場所に行くとします」
クリスは勢いよく待合室の扉を開くと元気に外へと飛び出した。
「うっ……寒い……」
外から流れてくる空気に触れて俺の上がっていた体温が一気に引き下がった。
なんて寒さだ……
俺はクリスのようには外へと飛び出すことができなかった。
彼女はシベリアの大地でここよりも寒い環境で過ごしていたため、これくらいの寒さなどへっちゃらのようであった。
「ミカド……それじゃ、『またね』です」
クリスは元気よく手を振るとそのまま朝の光の中へと消えていった。
……またね?彼女は一体何を言ってんだ?
クリスが放った最後の台詞が妙に胸へと突き刺さった。もう彼女と会うことは2度とないというのに……。
それなのに何故かクリスは再び会うことを予見していた。この日本という狭い国であっても彼女と再び会う確率など一等の宝くじが当たるよりも難しいだろう。
唯一の手掛かりは彼女が旅しているという文学者の記念館ぐらいだが、どのタイミングで彼女が訪れるのか。それは不明だ。
「馬鹿馬鹿しい。何を夢見ているんだ、俺は……」
クリスの言葉に踊らされて俺は彼女に再び会うことを夢見ていた。
「連絡先を聞いておけばよかったな……」
今さらながらだが、クリスの連絡先を聞いておかなかったことを後悔した。
今ならば彼女の残した足跡を辿れば、それは可能なのかもしれない。だが、それを実行すれば大事な試験に間に合わなくなる。
大学受験を取るべきか?
クリスとの出会いを取るべきか?
実に悩ましい選択だった。結局、最後の最後まで彼女には翻弄されっぱなしであった。
本当に……雪女みたいな女だったな……
俺はクリスが残した足跡を見つめながら彼女のことを考えていた。
俺のハートを奪っていた異国の女性のことを……。
だが、彼女は断じて雪女などではない。もし、クリスが雪女というのであれば純白に染まる雪の上には足跡など残らないだろう。
俺の瞳には彼女が確かにそこに存在していた証が映し出されているのだから。
「……俺も行くとするか」
俺はクリスの刻んだ足跡が消えてしまう前に彼女とは違う道を目指して歩き始めた。
※まさかこの後に再びクリスに出会うことになろうとは……
この時の御門は知る由もなかった。
ってな感じで書き出しぽく書いてみました。
本当は連載で書こうかなと思いましたが、やはり書いている時間がないのと筆者に日本文学についての知識がまるでないので断念しました。
クリスが語る日本文学の魅力をもっと具体的に書ければ、もっと世界観が広がるんでしょうが……
とりあえず、冬→雪女→ロシア人という発想で男女の一期一会について妄想してみました。
場面のイメージは新海誠監督の『秒速5センチメートル』の雪のシーンを思い浮かべながら書きました。
自分的にはなかなか良く書けたように思います。
読んでくれた皆様にも仄かな幸せが伝われば良いなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました~♪




