739話 想像だけで可哀想
「おらが敏さんの話をすると、皇后様はちょっと笑うんだ。あれが嫌いなヤツの話を聞く顔なもんか!」
「へぇ、皇后陛下がねぇ」
力いっぱい言い切る野猫に雨妹は相槌を打ちながらも、秀玲との会話を思い出す。皇后が皇太后に逆らってまで敏を引き留めたと言っていたのが、今の野猫の話と重なる。けれど皇后のことをこんなに明け透けに話す人が、果たして野猫以外にいるだろうか? その不敬ギリギリな言い方に、雨妹はヒヤヒヤさせられる。
――これは怖いな、敏さんの気持ちがわかるわ。
野猫の発言審査に厳しい敏は、いつかどこかでやらかすのではと心配なのだろう。まあ、その辺りは敏やら皇后本人に頑張って教育してもらうとして。
「それで野猫は、これからどうなってほしいと思う?」
「どう、っていうのは、えっと、うんと」
雨妹がズバリ尋ねたのに、野猫は自分の気持ちを総動員しているような表情で、指を折り曲げて数えたりして考えてから。
「敏さんには皇后様と仲良しに戻って、怪我を治して、好きな仕事をしてほしいな!」
そのように結論をまとめた野猫に、雨妹は「よし!」と手を叩く。
「よし、それが最終目標ってことね。望みはそうやって口に出してみることが、案外大事なんだから」
「おう、なんかやる気が出るしな!」
雨妹が今後の方針を確認するのに、野猫も気合を入れる顔になる。
「それに敏さんが香り師として復活するなら、やっぱり菊祭りに合わせたいよね」
敏の体調はそうすぐに治らないものだとしても、香り師として会得したその技術は他にないものであるだろう。恐らく今、敏の代わりに香り師を務めている人物がいるはずだが、その者は立派に業務をこなせているだろうか? 棚ぼた的に転がり込んだ地位を喜んでいるか、はたまた逆か。
――大体、責任者が急に交代する程、現場が困ることはないもんね。
仮に新たに香り師をしている人物が立派に役目を果たしているのなら、それはそれで良いのだ。敏が健康を損なわないことと、過去にわだかまりを残さないことが大事なのであって、香り師として大成功を収めることは必ずしも必須ではないのだから。
――けどもし、新人さんが困っていたら?
敏がたとえ香りを感じる機能が思うように回復しなかったとしても、彼女が持つ香り師としての技術や知恵は大変な財産である。それのほとんどが秘匿技術であるかもしれないけれど、敏の助言とまで行かずとも香りの感想であっても貴重に違いない。
加えて、敏が香り師として腕を振るえなくなったのは、花の宴の事件以降のことだ。つまり、後宮に処罰の嵐が吹き荒れている頃であり、そんな時期に果たして敏の代わりが十分に務まる優秀な香り師が、皇后宮で確保できたであろうか? 皇后宮内では馬のように意気盛んな連中もいたようだが、他から見る皇后宮とは「触れてはならない落ち目の宮」というように捉えている人たちがほとんどだろう。
――まあ、そんな泥船には乗りたくないよね。
香り師は希少な技能職であるらしいし、腕に覚えがあるならば多少主の格を落としてでも、余所の宮に逃げられるのだ。つまり今残っているのは、その際に逃げられなかった人だということになる。
「なんか、可哀想な想像しかできないな……」
「どうしたんだ? 雨妹」
渋い顔になる雨妹を、野猫が不思議そうに見てくるのだった。
***
雨妹が野猫相手に相談相手を務めている一方で。
こちら、都滞在中の何宇がどうしているかというと。
「叶賢妃、邪魔だなぁ」
「坊ちゃん、そういう文句は声を控えてくだせぇや」
露店で買った焼き饅頭をやけ食いしながらぼやいているのを、飛から注意されていた。




