738話 野猫に頑張ってもらう方向で
――野猫って、人をちゃんと見ているなぁ。
人間観察の肝心な要点を押さえていて、野次馬の才能がある娘だ。それに、他人の痛みを我が事のように考える気持ちが強く、自分の想いに一途でもある。
「野猫のそういう考え方、いいなって私は思うよ」
「……そっか? へへっ!」
急に褒められたものだから、野猫がすごくホワッとした顔になってから、照れ笑いを漏らす。
――こういう所が可愛いんだけれどね。
けれど一方で、その一途さを誰かに利用されかねない危うさも同時に持っていることもまた、雨妹は気付いていた。この先危うい道に入り込む前に、その辺りの観察眼を磨かせてやりたいところだ。
それで言うと今回の件は野猫にとって、悪というのも色々あって複雑なのだということを教える、良い教材になるかもしれない。馬のようにわかりやすい悪ばかりではないのだ。
雨妹はそのような思いを心に抱き、野猫に向き直る。
「けどさぁ、野猫」
「うん?」
ちょっと真顔を作った雨妹は、敢えて気の抜けた口調で告げる。
「よく考えると、私は宮仕えでもないただの掃除係だから。皇后宮内部でのどうのこうのっていうのに、個人で深入りし過ぎるのはどうかと思うんだよねぇ」
この主張について立彬辺りから「どの口が言うか!」と反論されそうだが、少なくとも雨妹が自ら好き好んで騒動のど真ん中に飛び込んだことはない――と考えるのだがどうだろうか? 気付けばど真ん中に立っていたということは時折あったが、それでも必ず誰かに相談していたという自負はあるのだ、これでも。
つまりなにを言いたいかというと、今の野猫に芯を持ってほしいのだ。なにかを為したいのであれば、自らの行く道を自分で決めることが重要となる。今回は皇后宮の、野猫が相談してきた案件だ。ならば雨妹は相談に応じるにしても、道筋を決めるのは野猫がするべきであろう。
――先回りで助けるのは、時に良くないことになるもんね。
行動の主体は誰なのか、そこを雨妹の方も誤ってはならない。
「皇后宮のことは、やっぱり皇后宮の人たちでやってもらわないと」
「そっか、そうだな……つい、頼り過ぎているよな」
雨妹からのある意味真っ当な意見に、野猫がちょっとシュンとなった。けれどそこへさらに言葉を続ける。
「だから私に出来るのは、野猫に知恵を貸すことくらいかな」
「……!」
雨妹が手を引くわけではないとわかり、野猫はシュンから立ち直った。
「ん、うん! おらはそれだけで十分有難いぞ!」
前のめりでそう言う野猫に、ピーンと立った尻尾の幻が見えるようだ。
「敏さんがどうすれば医者に掛かりたくなるのか、おらは雨妹にそれを一緒に考えてほしい!」
野猫は「自分がやるのだ」という気持ちになれたのか、頼みを具体的に言ってきた。
「よし来た!」
それに雨妹は笑みを返し、早速対策の話し合いに移る。
「私が思うに、敏さんがあそこまで医者を拒否するのは、単に医者を信じられないだけじゃあないのかもしれないのよね」
「……なんだそれ?」
言わんとすることがわからないらしい野猫がぐいんと首を捻るのに、雨妹も考えをまとめながら話す。
「医者に掛かる以前の問題で、香り師に戻ることになんらかの不安があるのではないかってことよ」
「んぅ~、不安かぁ……どんなものだろう?」
野猫が自分でも考えてみるもいまいちピンと来ていない様子なのに、雨妹は思いついたことを口にする。
「一番あり得るのは、自分の仕事が皇后陛下に恥をかかせたっていう事実かな?」
そう、敏は香り付けに失敗した際に、実際に不利益を出してしまったから、余計に周囲からの反感が大きかったのだろう。ひょっとして皇后が大舞台で身に着ける衣装が、直前に台無しになってしまったのではないだろうか?
――偉い人の衣装って、舞台装置みたいなものだもんね。
その衣装に合わせて場の意匠も考えられているだろうから、そうした場合でも即違うものに替えるということが難しかったのは想像できる。
雨妹の説明したことを飲み込もうと、野猫がウンウンと唸っている。
「つまり、恥ずかしい思いをさせられた皇后様が、敏さんのことをまだ怒っているかもしれない――うはっ、それはないなぁ~!」
そして、飲み込んだ直後に野猫はあっさり笑って否定した。




