737話 あれもこれも心配
――野猫は兄弟姉妹が多いなら、集団行動も出来そうだけれど。
いや、兄弟姉妹が多いからこそ、親やら周囲の目が行き届かずにほったらかしにされて、結果一人で勝手になんでもやる性格になってしまう場合もあり得るか。けれど人付き合いができると判断されたからこそ、新入りの身で皇后宮に振り分けられているのだと思うのだ。
――もしくは、どんな環境でも図太く生き残るだろうと確信されたとか。
野猫が異動した時期の皇后宮は大混乱の最中であったのだから、大人しく誰かの後ろを付いていく性格ではやりにくかったのだろうとは推測できる。
なんにせよ、野猫の今一番の関心事が片付けば、彼女も人並みの宮女生活を送る方へ意識が向き、他の宮女と交流する気になると思うのだ。皇后のため、敏のため、そして野猫の教育のためにも、今起きている問題を速やかに解決するに限る。
雨妹がそんなことを考えているうちに、外れの洗い場に到着した。今は誰もここを使っていないようで、いかに外れなのかが思い知らされるというものだ。
「よいせっと」
野猫が洗い場に腰かけた隣に雨妹も腰を下ろして、早速尋ねる。
「野猫、あれから敏さんはどんな風だった?」
前回敏と会話した際に、喧嘩したような雰囲気で終わったのだが、今日はすんなりと会話を始められた。敏はあの時一応お互いに謝ったことで、あっさりと気持ちを切り替えられたのだろうか? などと雨妹は考えていたのだが。
「そうだなぁ~」
野猫は籠に洗濯物と一緒に入れてある、洗剤代わりの灰汁が入った小さな桶を取り出し、それに水を足して手で混ぜながら、思い出すように口を開く。
「雨妹に八つ当たりみたいな言い方をしたのを、気にしていたみたいだぞ?」
「ははぁ、真面目そうな人だものねぇ」
野猫からの報告に、雨妹はやはりそう上手くはいかなかったのかと頷く。となると、敏が先程雨妹たちに話しかけて来たのは、結構気を使いながらでのことだったのだろうか?
――こっちも、もう少し気を使って話せば良かったかも……。
つい立彬を相手にするような気安い感じで話してしまったのだが、敏は元々が繊細な職人のお役目であった人なのだから、馴れ馴れしい態度に実はムッとしていたかもしれない。いや、そこを気にしていると到底野猫と付き合うことなどできないか。むしろあまりそっちの方向に気を使わない方がいいのだろうか? きっとお役目を外された前後には、さんざん腫れ物に触るような扱いを受けたことは想像に難くないので、そういう態度には逆に腹が立つかもしれない。
「いや、待てよ?」
ここで雨妹はふと、敏についてそもそもの件に思い至っていないことに気付く。それはすなわち――
「敏さんって、香り師のお役目に戻りたいのかな?」
そう、果たして以前の立場に未練があるのかどうかということである。いくら本人に才覚や腕があったとしても、それとやる気は別問題だ。そこを省いて事を進めれば、雨妹たちがやっていることは大きなお世話でしかない。
肝心の事を全く考えていなかったなと、雨妹が眉間に皺を寄せていると。
「敏さんは前の仕事が好きだったんだ、おらにはわかる」
灰汁の入った桶に汚れた個所を浸していた野猫が、ギュッギュッと洗いながらそう言い切った。
「たまにどんなことをしていたのかを話してくれるけれど、それがすごく楽しそうで。作業が嫌いなら、あんな顔はできないと思うんだぞ」
「そっかぁ、好きな仕事なら、出来なくなってなおさら辛いよねぇ」
野猫からの情報に、雨妹は余計に敏に同情する。
「仕事が嫌いだったのなら、おらだって前のことはもうすっぱり忘れて、違う事を好きになればいいと思う。けどまだ好きなままで出来なくなったのは、いつまでも辛いだろ?」
しぶとい汚れと戦っているのか、眉間に皺を寄せて洗濯物をバシャバシャとさせながら、そんな風に言う。確かに、役目をやり切って引退するのと、途中で役目を理不尽に取り上げられるのは、後に残る未練が大違いである。




