735話 女官の反撃
皇后宮にすぐに人員補充ができないのは、皇后の実家にその力がないことの現れでもある。宮城から宮を運営するための人員を補充されるのは、実家が裕福ではない下級妃嬪に与えられる手段だ。家格が高い実家を持つ妃嬪であれば、宮城を頼るまでもなく自力で人員を集められるだろう。当然、かつての皇后であったならば造作もないことだったはずだ。
しかし皇太后失脚以降、皇后の実家や親類縁者は後宮に関わるのに後ろ向きというか、むしろ関わることを避けているのだろう。だから花の宴からかなり時間が経っているにもかかわらず皇后宮は人手不足のままであり、それに加えて馬の事件が拍車をかけてしまったのだ。
けれど相手のそんな一番の弱みを真っ先に突くのは、悪口としては弱いというか、雨妹としてはいまいちだと感じてしまう。その証拠に、冷静さを取り戻した女官がふわりと余裕の笑みを浮かべて、三人に向かって告げた。
「まあ、そうでしたか。皇后宮の伝統ある建物の趣は、わかる方にしか理解できませんので、あなた方の目にはそのように映ったのでしょうね」
「なにを……!?」
女官から「見分けのつかないお前たちの目が節穴なのだ」と言い返された三人は、今度は逆にこちらが怒りで顔を赤くした。
「道案内をつけなかったこちらの落ち度ですので、今回は不問といたしましょう。まさかそのように目が悪い方々が叶賢妃にお仕えしているとは、思いもよりませんでしたもの。配慮足らずでしたわね」
そう述べる女官が本当に申し訳なさそうにしているのが、逆に煽っている構図である。
――おお、なかなか味わいのある嫌味っぷり!
真正面からの正統派嫌味とも言えて、雨妹はあの女官の嫌味感覚に心の中で拍手を贈った。
「……っく」
三人のうちの一人がなにかを言い返そうとしたようだが、他の者に袖を引かれて思いとどまる。ここで言い返しても、自分たちの事態が好転しないと考えたのだろう。
――実際、行儀悪いことをしているのは自分たちだもんね。
勝手に余所の宮をうろつくのは、場合によっては宮のなんらかの機密を盗もうとしたということで罰せられてしまう。皇后という立場上、皇帝に繋がる情報が置いてあるかもしれないのだから、他の妃嬪の宮をうろつくよりも質が悪いのは当然だ。
「我が主の宮とはあまりに様子が違うので、戸惑ってしまいました。主が心配致しますので、そろそろ戻ることにしましょう」
なんとか気持ちを立て直したらしい者が、女官にそのように言い繕う。
「そうですか、ではお帰りはこちらでございます」
すると女官が拒否をさせない態度で、三人を連れてこの場を去って行った。
こうして皇后宮の端でのドロドロ劇場は閉幕して、事の成り行きを見守っていた通りかかりの宮女たちがホッと安堵の息を漏らし、己の職務に戻っていく。
そんな中で、到底安堵などできない宮女が一人いた。
「なんだアイツらのあの態度、皇后宮を、皇后様を馬鹿にしているのか!?」
怒りの雄叫びを上げたのは、野猫である。
「皇后様は綺麗で、良い匂いがして、手が優しい人なんだぞ! すごいんだからな!」
ポロポロと悔し涙を零す野猫の背中を、敏がポンポンと叩く。
「なにもあなたが泣くことはないではないですか」
敏は声を荒げる野猫を「はしたない」とは叱らず、そうやって慰めた。
「その怒りをずっと覚えておきなさい。そうすれば、きっと良き女性になれるでしょう」
「ふぐぅ!」
敏にそう言われて、野猫は涙と鼻水でべしょべしょの顔で頷いた。
そんな野猫を、雨妹は目を細めて見つめる。
――まぶしいなぁ。
野猫の誰かを慕う真っ直ぐな気持ちは、思いやりというものの初心を思い出させてくれる。利害ではなく、ただ「大好き!」という気持ちだけで行動できる野猫という娘は、まるで美しいがどこか造花めいて見える花ばかりである皇后宮の中で、突然芽吹いた向日葵のようだ。野猫にはこのまま変わらずにいてほしいと、きっと皇后も願っているに違いない。
しばらくグスグズと泣いていた野猫だが、やがて涙を袖で拭いてずびび~っ! と鼻水を大きく啜ってから、改めて雨妹を見た。
「ところで雨妹、なんでいるんだ?」
これまた、なんとも今更な問いである。




