731話 難問への希望
「えっとですねぇ」
雨妹はここでもまた、野猫に頼みごとをされてからの一連の流れを話す。
「不調が知れた際に侍医様に診ていただけたようなのですが、そこで病の診断が下らなかったことで、周囲は敏さんのことを怠けていると考えたようなのです。そのせいで医者が信じられなくなっているのが現状ですね」
「皇后宮の香り師なぁ、結構なお役目ではないか」
話を聞いた陳が立彬同様に難しい顔になった。
「他にもそうした患者がいる可能性はありますよね?」
「そういうことだ」
雨妹の指摘に陳は深く頷きながら、ため息を吐く。
「あのような大きな事件だったのだから、怪我人の全員を詳細に診ることなどできなかった。それは仕方のないことだが、後で不調があれば申し出てくれればなぁ」
陳が言うように行動してもらえるのが理想であるが、この国では医者という職業があまり頼りにされていないのが現状なので、それが難しいのも雨妹にだってまたわかる。
「陳先生は、侍医様の診察をどう思いますか?」
「それもなぁ、侍医殿ではわからなかったのは責められんよ」
雨妹が問えば、陳が困ったような、気の毒なような表情で侍医の診断を庇う。
「あの方はそもそもが、お偉い方特有の『高貴な病』を診るのが主なのだ。怪我の手当ては最低限できるだろうが、普段の職務ではほとんど必要がないだろう」
「ああ、お偉い方は怪我などしないですものね」
陳がそのように語るのを聞いて、雨妹も「それはそうだ」と納得する。そもそも自分で歩きもしない人が、怪我などをする機会など滅多に生じるはずもない。あったとしてぎっくり腰だろうか? あれは寝てばかりであっても起きる現象だ。しかしながら、初めて聞く単語があった。
「その『高貴な病』ってなんですか?」
首を捻る雨妹に、陳が答えるには。
「食事の偏り、生活の乱れ、運動不足由来の病だな」
「……なるほど」
確かに偉い人は普通動かないで上げ膳据え膳生活だし、歩くのだって宮の中であっても輿に乗って移動するとしたら、その『高貴な病』とはまたの名を糖尿病と呼ぶのだろう。
――けど、やっぱり『専門違い』があったのか。
雨妹の懸念は当たっていたわけだが、かと言って皇后宮の格を考えると、他の医者を頼ることも出来なかったのだろう。むしろ敏がそれ以上「もうすこし調べてくれ」と粘れば、それこそ「呪われたのだ」と判断されて道士による煙責めにされそうでもある。
場合によっては、道士は医術にも通じているので、そこから治療への道に繋がる可能性もあったかもしれない。けれどそれは呼ばれた道士の質次第だろう。それこそ、医者でも専門違いがあるのだから、道士であっても同じことだ。
「そうした症状を見分けるのが得意なのは、やはり軍医様ですか? 軍では訓練でそうした不調が発生すると聞きました」
雨妹がこのように尋ねると、陳が考えながら口を開く。
「そうだな、あちらはそうした怪我特化の面があるし、私も知らない薬やら技がある。軍医殿が見れば、おそらくは適切に診断が下るだろう」
「おお!」
陳からもお墨付きを貰えたことで、敏の案件に希望が足され、雨妹も思わず笑みが浮かぶ。
しかし同時に懸念も生まれる。
「けれど頼ろうにも、あちらもお忙しいお人だしなぁ」
そう、軍医が忙しすぎる問題である。確かに訓練やらなにやらで怪我が多いであろう兵士たちを診ているのだから、その忙しさは想像を超えるものであろう。それが果たして、後宮までの出張を了承してくれるだろうか? 皇帝命令などがあれば可能かもしれないが、それをすれば皇帝と軍医を抱える近衛との間に溝が出来てしまうのは想像がつく。
――う~む、事態がすんなりとは進まないかぁ。
希望の後にまた問題が立ちはだかり、雨妹が唸っていると。
「ああ、それで言えば」
陳が思い出したように手を打った。
「高殿ならばきっと、その方面も得意であろうな」
「高さん、ですか?」
初めてその名前を聞いたと言う顔になった雨妹を見て、陳が不思議そうに眉を上げた。
「おや、お前さんも何度か会っているだろうに。ここのもう一人の医官だよ」
「ああ、あのちょっとふくよかなおじいちゃん先生!」
陳にそう言われて、雨妹もようやく思い出す。




