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死者の声を聞く令嬢は婚約破棄されましたが、最後の竜葬師として無口な辺境伯に望まれました  作者: 磯辺


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34/45

偽造された命令書

 六年前。


 黒竜ノクスを追う救援隊を止めた。


 一枚の命令書。


 それは。


 グレイヴ辺境伯邸の地下保管庫に残されていた。


          ◇


「先に確認しておきます」


 地下へ降りる階段の前で。


 オスカー先生が。


 私を見る。


「今日は能力を使う予定は?」


「ありません」


「命令書には?」


「触れません」


「素手では?」


「もちろん」


「『紙だから大丈夫だと思いました』は?」


「言いません」


 先生の中で。


 私はどれだけ信用がないのだろう。


「今日は記録を調べるだけです」


「それなら結構です」


「先生も来るのですか?」


「患者が地下に潜ると言うので」


「保管庫です」


「地下は地下です」


 後ろで。


 アンナが小さく頷いた。


 味方がいない。


「それから」


 オスカー先生が。


 私の右腕を見る。


「傷が痛んだら?」


「言います」


「頭痛は?」


「ありません」


「耳鳴り」


「ありません」


「味覚」


「戻っています」


「声」


「あの、普通に会話していますよね?」


「念のためです」


 確認が終わると。


 ようやく。


 アルフォンス様が扉を開けた。


          ◇


 地下保管庫は。


 思っていたより広かった。


 壁一面に棚。


 木箱。


 帳面。


 封をされた革袋。


 王都の華やかな文書庫とは違う。


 飾りはない。


 ただ。


 残すべきものを。


 残すためだけの場所。


「六年前の騎士団関係は奥だ」


 アルフォンス様が言う。


 ギルベルトさんも。


 同行している。


 いつもより。


 さらに口数が少ない。


 昨日。


 飛行記録の中に。


『王都命により追跡中止』


 という文字を見つけた。


 そして。


 その命令書を。


 ギルベルトさんは見たと答えた。


 原本も。


 廃棄されず。


 ここに残っている。


「保存したのは?」


 私が尋ねる。


「俺だ」


 ギルベルトさんが答えた。


「命令書は原則として五年保存だ。だが、これは捨てなかった」


「なぜですか」


「……」


 答えはない。


 私は。


 それ以上聞かなかった。


 今、調べるべきなのは。


 彼の沈黙ではない。


 一枚の紙だ。


          ◇


「これだ」


 アルフォンス様が。


 小さな木箱を取り出す。


 鍵を開ける。


 中には。


 布に包まれた文書が一枚。


 アンナが。


 私の手袋を確認した。


「着けています」


「念のためです」


「皆さん同じことを言いますね」


 私は。


 厚い手袋をしたまま。


 布を開いた。


 古い紙。


 折り目。


 端に僅かな変色。


 そして。


 赤い封蝋(ふうろう)


 中央に。


 王家の紋章。


 翼を広げた二頭の竜が。


 王冠を支える意匠。


 私は。


 紙を読んだ。


『北方へ離脱した黒竜に関する追跡を、即時中止せよ』


『グレイヴ辺境竜騎士団は、所属員を境界線内へ帰還させ、王都所属の輸送隊および関係施設への接触を禁ずる』


『本命令は王国軍務上の機密に属する』


 短い。


 それだけだった。


 しかし。


「……強い命令ですね」


「ああ」


 アルフォンス様が答える。


「追跡だけではありません」


 私は。


 もう一度読む。


「王都所属の輸送隊への接触まで禁止している」


 ノクスが向かった先では。


 血痕。


 輸送車の(わだち)


 そして。


 後に。


 拘束された竜たちの痕跡が見つかった。


「この時点で」


 私は尋ねる。


「王都側は、輸送隊がこの地域にいることを把握していた?」


「命令書をそのまま読めば、そうなる」


「けれど」


 アルフォンス様が続けた。


「辺境へ事前通知された王都輸送隊はなかった」


「一つも?」


「ああ」


 私は。


 命令書を見る。


 知らされていない輸送隊。


 なのに。


 近づくなという命令だけは来た。


「おかしいですね」


「だから六年間」


 アルフォンス様の声が低くなる。


「考え続けた」


 横で。


 ギルベルトさんの指が。


 僅かに動いた。


          ◇


「まず」


 私は言った。


「命令書が本物か確認しましょう」


 ギルベルトさんが。


 こちらを見る。


「印章は本物だ」


「それも確認します」


「俺は確認した」


「六年前に?」


「ああ」


「では、もう一度」


 彼の眉間に。


 皺が寄る。


「俺を信用していないのか」


「信用の問題ではありません」


「同じことだろう」


「違います」


 私は。


 命令書を机へ置いた。


「もし私が『死者の声を確かに聞きました』と言っても、それだけで真実にはしないでほしいと思っています」


「……」


「ですから」


 私は続けた。


「ギルベルトさんが六年前に確認したことも、もう一度確認します」


「あなたを疑うためではありません」


「記録を疑うためです」


 ギルベルトさんは。


 少しの間。


 私を睨んでいた。


 やがて。


「嫌な女だ」


「はい」


「否定しないのか」


「もう慣れました」


          ◇


 王命の照合に使う印章記録。


 それも。


 同じ保管庫に残されていた。


 王家や各省庁から届く命令書には。


 偽造防止のため。


 その年に使用される印璽(いんじ)の見本が。


 辺境伯家へ送付される。


「これですね」


 私は。


 二枚を並べた。


 一つは。


 六年前の王家軍務印の公式見本。


 もう一つは。


 ノクス追跡中止命令。


 王冠。


 竜の翼。


 尾。


 周囲を囲む文字。


 細かな欠け。


「ここ」


 私は指差す。


「左の竜の翼」


 見本の印には。


 小さな傷がある。


 印章そのものに付いた傷なのだろう。


 命令書にも。


 同じ場所に。


 同じ欠け。


「一致しています」


 アンナが言う。


「こちらも」


 さらに。


 王冠の右下。


 僅かに潰れた部分。


 同じ。


 私は。


 アルフォンス様を見る。


「少なくとも」


「全く別の印章を彫って作ったものではなさそうです」


「ああ」


 ギルベルトさんが言った。


「だから俺は本物だと判断した」


 無理もない。


 これを受け取って。


 戦場で。


 すぐに判断しろと言われたなら。


 私でも。


 正規の命令だと思うかもしれない。


 けれど。


「紙は?」


 私は尋ねる。


          ◇


 王命に使用する紙にも。


 決まりがある。


 光へ透かすと。


 王家の工房でかれた紙には。


 薄い透かし模様が浮かぶ。


 アルフォンス様が。


 灯りの前へ。


 命令書を掲げた。


 王冠。


 三本の線。


「ありますね」


「ああ」


「紙も正規品?」


「少なくとも王都の官用紙だ」


 インク。


 書式。


 紙。


 封蝋。


 印章。


 どれも。


 おかしく見えない。


「では」


 アンナが。


 少し困ったように言う。


「本物なのでは?」


「普通なら」


 私も。


 そう思う。


 でも。


 母の弔い帳には。


 こんな一文があった。


 記録は。


 一枚だけで判断してはいけない。


 同じ出来事について。


 別の場所に残る記録を探す。


 一つを書き換えても。


 すべてを書き換えるのは難しいから。


「発行記録を見たいです」


 私は言った。


「ある」


 アルフォンス様が答えた。


          ◇


 王都から辺境へ発せられた公的命令は。


 後日。


 月ごとの発行一覧が送られてくる。


 辺境側が。


 受け取った命令に漏れがないか。


 確認するためだという。


「六年前の、その月」


 大きな帳面が。


 机に置かれた。


 王都軍務局発令控。


 私は。


 頁をめくる。


 日付。


 発行先。


 概要。


 命令番号。


 一つずつ。


 並んでいる。


「命令書の日付は?」


「十三日」


 アンナが答える。


 十三日。


 探す。


『西部第三要塞 補給増加』


『南部街道 魔獣警戒』


『王都第二騎士団 配置変更』


『北部関所 検査強化』


 いくつもある。


 けれど。


「ありません」


 私は言った。


「グレイヴ宛てが?」


「はい」


 次の頁。


 さらに。


 その次。


 ない。


「前後の日付も」


 確認する。


 十二日。


 十三日。


 十四日。


 十五日。


 グレイヴ辺境竜騎士団へ。


 追跡中止を命じた記録は。


 一行もない。


「抜けた頁は?」


「ない」


 アルフォンス様が。


 帳面の背を確認する。


 じ糸も。


 連続している。


 頁番号も。


 飛んでいない。


「書き消された跡は?」


 アンナが灯りを近づける。


「ありません」


「別の部署から出た可能性は?」


「ある」


 アルフォンス様が。


 別の箱を出した。


「王都には軍務局以外にも、王命を伝達できる部署がある」


 王宮内務局。


 国境管理局。


 魔力資源省。


 緊急時には。


 国王直属の勅命もある。


 一つずつ。


 照らし合わせた。


 ない。


 ない。


 ない。


 どこにも。


 ない。


          ◇


「待ってください」


 私は。


 命令書を。


 もう一度見る。


「命令番号は?」


 上部。


 通常なら。


 右上に書かれているという。


「……ないですね」


「機密命令では、省略される場合がある」


 ギルベルトさんが答えた。


「頻繁に?」


「いや」


「どの程度?」


「ほとんどない」


「なぜ六年前に」


「それを疑わなかったのですか」


 空気が。


 僅かに。


 硬くなった。


 私はすぐ。


 言葉を足す。


「責めているのではありません」


「責めても構わん」


 ギルベルトさんが言った。


「だが」


 彼は。


 命令書を見る。


「当時は」


「印章があった」


 低い声。


「王都からの急使が持ってきた」


「機密と書かれていた」


「それで十分だった」


「急使?」


 私は顔を上げる。


「誰ですか」


 ギルベルトさんが。


 口を閉じる。


「名前は?」


「分からない」


「記録は?」


「受領簿にあるはずだ」


          ◇


 受領簿。


 そこには。


 その日の夕刻。


 一件だけ。


 王都からの緊急文書を受け取った記録があった。


『王都軍務急使』


『機密文書一通』


『受領――』


 私は。


 その先を見る。


 名前。


『ギルベルト・ハーン』


 彼自身が。


 受け取っている。


 配送者の欄には。


 名前ではなく。


『急使第三七号』


 それだけ。


「第三七号が誰だったか」


「今は分からない?」


「ああ」


 アルフォンス様が答える。


「急使は番号で管理されていた時期がある」


「王都側なら名簿が?」


「残っていれば」


 つまり。


 すぐには。


 確かめられない。


「では」


 私は。


 受領時刻を見る。


「夕方四刻」


「そうだ」


 ギルベルトさんが言った。


「ノクスが飛び立ったのは?」


「夕方三刻前後」


 アルフォンス様。


 私は。


 指を止めた。


 ほぼ。


 一刻。


「王都からここまで」


 私は尋ねる。


「馬で何日ですか」


「通常なら五日から六日」


「急使なら?」


「馬を交換し続けて三日程度」


「一日では?」


「無理だ」


 私は。


 命令書の日付を見る。


 十三日。


 ノクスが飛び立ったのも。


 十三日。


 命令書が届いたのも。


 十三日。


 王都で。


 その日の出来事を知ってから。


 作成し。


 ここへ届けたのなら。


 間に合わない。


 けれど。


「命令の内容は」


 私は。


 もう一度読む。


『北方へ離脱した黒竜に関する追跡を、即時中止せよ』


 北方へ離脱した。


 すでに。


 ノクスが飛び立ったことを。


 知っている文章。


「……おかしい」


 アンナが。


 小さく言った。


「はい」


 王都で。


 ノクスが飛び立ってから。


 作られた命令書なら。


 その日のうちには。


 届かない。


 なら。


 二つの可能性がある。


「命令書は」


 私は言った。


「ノクスが飛び立つより前に作られていた」


 あるいは。


「王都で作られたものではない」


 誰も。


 すぐには答えなかった。


          ◇


「しかし」


 ギルベルトさんが言う。


「印章は本物だ」


「はい」


「官用紙も本物」


「はい」


「なら」


 私は。


 命令書を見る。


「本物の材料で作った偽物かもしれません」


 ギルベルトさんの目が。


 変わった。


「本物の印章を使って?」


「その可能性があります」


「誰がそんなことを」


「分かりません」


 私は。


 すぐ答えた。


「まだ分からないことを」


「誰かの名前で埋めるつもりはありません」


 ただ。


 分かったことはある。


「この命令書には」


 私は指を折る。


「正規の官用紙が使われている」


「当時の王家軍務印と一致する封印がある」


「書式にも大きな不自然さはない」


「辺境側には受領記録がある」


「ですが」


 最後。


「王都側には」


「発行した記録が一つもない」


 アルフォンス様が。


 命令書を見つめている。


 右手が。


 僅かに震えていた。


          ◇


「記録が失われただけという可能性は?」


 アンナが尋ねる。


「あります」


 私は答えた。


「一つだけなら」


「ですが」


 軍務局。


 王宮内務局。


 国境管理局。


 その他の発令控え。


 前後の頁は。


 すべて残っている。


 その日。


 他の命令も。


 正常に記録されている。


 この命令だけが。


 ない。


「そして」


 私は。


 日付を見る。


「王都から普通に届けたとは考えにくい時間です」


「つまり」


 アルフォンス様が。


 ゆっくり言った。


「王都から来た命令ではなかった」


「そこまでは断定できません」


「……」


「王都で事前に作られていた可能性もあります」


 ノクスが。


 飛び立つことを。


 誰かが。


 あらかじめ知っていた。


 そう考えれば。


 時間の矛盾は消える。


 でも。


 それは。


 別の意味で。


 もっと恐ろしい。


「どちらにしても」


 私は言った。


「偶然では済みません」


          ◇


 その時。


 保管庫の外から。


 小さな物音がした。


 爪が。


 石を擦る音。


 アルフォンス様が。


 振り向く。


 入口。


 黒い頭が。


 僅かに覗いていた。


「ルゥ」


 私が呼ぶ。


 ルゥは。


 中へは入らない。


 こちらを。


 じっと見ている。


 正確には。


 私ではない。


 アルフォンス様を。


 見ている。


 アルフォンス様が。


 一歩。


 動く。


「グゥ……!」


 低い唸り。


 ルゥの翼が開く。


 アルフォンス様は。


 すぐ止まった。


 近づかない。


「分かった」


 それだけ。


 言う。


 ルゥは。


 しばらく。


 彼を睨んでいた。


 そして。


 私へ視線を移す。


「今日は紙を調べています」


 説明しても。


 伝わるかは分からない。


「あなたのお父さんを追いかけようとした人たちを」


「止めた紙です」


 ルゥの首が。


 僅かに動く。


 私は。


 命令書を見た。


「でも」


「この紙を書いた人が誰なのかは」


「まだ分かりません」


 ルゥへ言っているのか。


 自分へ言っているのか。


 少し。


 分からなかった。


          ◇


「ギルベルト」


 突然。


 アルフォンス様が呼んだ。


 ルゥが。


 また唸る。


 けれど。


 アルフォンス様は。


 ギルベルトさんを見ていた。


「六年前」


「お前は」


 そこで。


 言葉が止まる。


 ギルベルトさんも。


 何も言わない。


 二人の間に。


 私には知らない。


 六年間がある。


「アルフォンス様」


 私は。


 静かに呼んだ。


 彼が。


 こちらを見る。


「今は」


「命令書の話をしましょう」


「……」


「ギルベルトさんの話は」


 私は。


 ギルベルトさんも見る。


「本人から聞きます」


 逃がすつもりはない。


 でも。


 怒りで。


 答えを決めるつもりもない。


 アルフォンス様は。


 しばらく黙っていた。


 やがて。


「分かった」


 答えた。


 ギルベルトさんの顔は。


 動かなかった。


          ◇


 その後。


 命令書を。


 元の布へ戻した。


 封蝋。


 紙。


 受領簿。


 発令控え。


 すべて。


 別々に記録する。


 私は。


 アンナが書いた内容を確認した。


『追跡中止命令書、原本現存』


『王家軍務印の公式見本と封蝋印が一致』


『官用紙の透かし一致』


『辺境側受領簿に記録あり』


『受領者 ギルベルト・ハーン』


『配送者 王都軍務急使第三七号』


『王都側各発行記録に該当命令なし』


『命令書記載日と受領日は同日』


『通常の王都―グレイヴ間輸送時間と整合しない』


 そして。


 最後。


「アンナ」


「はい」


「一行追加してください」


「何と?」


 私は。


 少し考える。


『現時点で、正規発行された王命とは確認できない』


 アンナが。


 書く。


「偽造とは書かないのですか」


「まだです」


「でも」


 彼女が。


 命令書を見る。


「かなり怪しいですよね」


「かなり」


「なら」


「怪しいことと」


 私は答えた。


「証明できたことは別です」


 アンナが。


 小さく頷いた。


「では」


 アルフォンス様が言う。


「何があれば証明できる」


 私は。


 指先で。


 受領簿の。


『急使第三七号』


 という文字を示す。


「まず」


「この人を調べます」


 六年前。


 本物の印章が押された。


 発行されていない命令書を。


 グレイヴへ運んだ人物。


 それから。


「もう一つ」


 私は。


 ギルベルトさんを見る。


「命令書を受け取った時のことを」


「最初から」


「ギルベルトさんに聞きます」


 彼は。


 逃げなかった。


 けれど。


 答えもしなかった。


 ただ。


 長い沈黙の後。


「……場所を変えろ」


 とだけ言った。


「ここでは話したくない」


「どこなら?」


「騎士団本部」


「アルフォンスも来い」


 初めて。


 彼が。


 閣下ではなく。


 名前で呼んだ。


 アルフォンス様の表情が。


 変わる。


 六年間。


 二人の間に置かれていたものは。


 ノクスの死だけではない。


 一枚の。


 偽物かもしれない命令書。


 そして。


 それに従った。


 生きている人間の選択。


 死者の声を聞かなくても。


 過去は。


 少しずつ。


 こちらを向き始めていた。

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