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死者の声を聞く令嬢は婚約破棄されましたが、最後の竜葬師として無口な辺境伯に望まれました  作者: 磯辺


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27/46

小さな爪痕

 翌朝。


 声は。


 戻っていた。


 完全ではない。


 少し掠れている。


 でも。


「おはようございます」


 そう言うと。


 アンナが。


 泣きそうな顔をした。


「……よかったです」


「ご心配をおかけしました」


「はい」


 即答された。


 私は。


 少しだけ黙った。


「そこは、否定してくださらないのですね」


「否定する理由がありませんので」


 アンナは。


 いつもの顔で。


 朝食の皿を置いた。


「それと、全部召し上がってください」


「全部ですか」


「全部です」


 味覚も。


 少し戻っている。


 昨日は塩気しか分からなかった。


 今日は。


 薄い蜂蜜の甘さが分かった。


 まだ。


 いつもの半分ほど。


 それでも。


 分かる。


 私は。


 パンを一口食べる。


 自分で。


 甘いと思えた。


 それだけで。


 少し。


 安心した。


          ◇


「駄目です」


 朝食後。


 オスカー先生に。


 そう言われた。


「まだ何も言っていません」


「ノクスの遺骸を見に行きたいのでしょう」


「……」


「顔に書いてあります」


 それは。


 困る。


「能力は使いません」


「そういう問題ではありません」


「歩くだけです」


「昨日まで自分の名前を見失いかけていた人が、今日は山を歩くだけだと言う」


「山というほどでは」


「坂ですね」


「……はい」


「坂なら安全だと?」


 返せない。


 オスカー先生が。


 私の右手を取る。


 もちろん。


 手袋の上から。


「冷えは?」


「昨日よりありません」


「ありますね」


「少しです」


「耳鳴り」


「今はありません」


「頭痛」


「ありません」


「味覚」


「半分ほど」


「声」


「この通りです」


「掠れています」


 私は。


 少し考える。


「では」


「何です」


「先生も一緒に来てください」


 オスカー先生が。


 黙った。


「私一人では行きません」


「……」


「途中で症状が出たら戻ります」


「……」


「触れません」


「……」


「歩けないところは手を借ります」


 最後の言葉に。


 オスカー先生の眉が。


 わずかに上がった。


「今」


「はい」


「何と言いました?」


「歩けないところは、手を借ります」


「もう一度」


「なぜですか」


「記録に残したい」


「やめてください」


 オスカー先生が。


 初めて。


 少し笑った。


「分かりました」


「では」


「条件付きです」


 やはり。


 簡単ではない。


「現地滞在は一時間以内」


「はい」


「素手にならない」


「はい」


「竜骨、遺品、その他正体不明の物には触れない」


「はい」


「体調が変わったら、あなたではなく私が帰る判断をする」


 少し。


 引っかかった。


 でも。


 昨日とは違う。


 これは。


 能力を使うかどうかではない。


 治療師として。


 外出可能かを判断する話だ。


「分かりました」


「それから」


「まだありますか」


「辺境伯殿にも伝えてあります」


 私は。


 顔を上げた。


「何をですか」


「あなたを急かさないように、と」


「……」


「非常に嫌そうな顔をされました」


「アルフォンス様が?」


「いいえ。急かすつもりはない、と言いながら、自分が昨日急かした自覚を思い出した顔です」


 それは。


 少し。


 想像できた。


          ◇


 ノクスの遺骸が眠る谷へ向かう。


 今日は。


 昨日とは違う道だった。


 遺骸そのものの近くではなく。


 発見場所を。


 外側から見ていくためだ。


 同行したのは。


 私。


 オスカー先生。


 アルフォンス様。


 辺境騎士二人。


 そして。


 少し離れたところに。


 ギルベルト様。


 彼は。


 私たちと同じ列には入らなかった。


 話しかけてもこない。


 けれど。


 昨日より。


 近くにいる。


 それだけ。


 私は。


 特に何も言わなかった。


 聞くことを。


 急がせない。


 それは。


 死者だけではなく。


 生者にも。


 必要なのかもしれない。


「ここだ」


 アルフォンス様が。


 足を止める。


 岩壁の間。


 細い道。


 その先に。


 昨日見た。


 黒竜ノクスの巨大な遺骸がある。


 白くなった骨。


 岩。


 枯れた草。


 ところどころ。


 雪。


 でも。


 ノクスの周囲だけ。


 雪が。


 薄い。


 いや。


 正確には。


 積もっても。


 溶け残らないのではない。


 そこだけ。


 積もり方が違う。


 風が避けているようにも。


 見える。


 私は。


 足元を見る。


 昨日まで。


 ノクスそのものばかり見ていた。


 傷。


 拘束痕。


 欠けた骨。


 失われた角。


 けれど。


 遺骸の周囲にも。


 六年間が。


 残っている。


「発見当時の見取り図を」


 私が言うと。


 騎士が。


 筒を開いた。


 紙。


 六年前。


 ノクスが発見されたとき。


 騎士団が作成した。


 簡単な見取り図。


 私は。


 地面へ置かず。


 騎士に持ってもらう。


 中心。


 ノクス。


 北側。


 岩壁。


 西。


 折れた樹木。


 南。


 血痕。


 東。


 折れた左牙。


 そして。


 周囲に。


 複数の足跡。


「これは」


 見取り図を指す。


「発見当時の騎士のものですか」


「ほとんどはそうだ」


 アルフォンス様。


「ほとんど?」


「一部」


 答えたのは。


 ギルベルト様だった。


 私は。


 そちらを見る。


 彼は。


 少し離れた場所。


 腕を組んだまま。


 こちらを見ている。


「竜の足跡もあった」


「竜?」


「小さいものだ」


 胸が。


 小さく鳴る。


「どのくらいですか」


「当時で」


 ギルベルト様が。


 自分の手を広げる。


「これくらいだ」


 大人の手。


 二つ分ほど。


 黒竜ノクスの足跡とは。


 比べものにならない。


「記録されていますか」


「一応な」


「一応?」


「発見当時は」


 ギルベルト様が。


 少し。


 言葉を選ぶ。


「野生の幼竜が近づいた可能性がある、と処理された」


 私は。


 アルフォンス様を見る。


「ルゥだと思わなかったのですか」


「思った」


 即答。


「だが」


 アルフォンス様の声が。


 少し硬くなる。


「その時には、ルゥが辺境へ戻ったという確かな報告はなかった」


 第20話。


 ミラの声と。


 今の事実が。


 食い違っているように見えた。


 でも。


 死者は。


 その後を知らない。


 そして。


 ルゥが辺境へ逃げ帰った。


 それも。


 私たちが。


 後から集めた情報だ。


「足跡は、一度だけですか」


 ギルベルト様は。


 答えなかった。


「ギルベルト」


 アルフォンス様の声。


「……違う」


 やがて。


 短く。


 返ってきた。


「何度も見つかっている」


 私は。


 息を止めた。


「六年間?」


「ずっとではない」


 ギルベルト様が。


 地面を見る。


「最初の一年は多かった」


「その後は減った」


「冬になると増える年もあった」


「去年も」


 そこで。


 止まる。


「……あった」


「なぜ、その情報が」


 言いかけて。


 止めた。


 責める前に。


 聞く。


「正式な記録に残っていないのですか」


 ギルベルト様が。


 こちらを見る。


「残していない」


「理由を伺っても?」


「……」


 沈黙。


 アルフォンス様が。


 口を開こうとする。


 私は。


 小さく首を振った。


 今は。


 アルフォンス様からではなく。


 ギルベルト様本人から。


 聞きたい。


「今でなくても構いません」


 私は言う。


「ただ」


「記録されなかったという事実だけは、記録します」


 ギルベルト様の眉が。


 動いた。


「俺が黙っていたこともか」


「はい」


「理由を話さなくても」


「今は『理由不明』と」


「……嫌な女だな」


「よく言われます」


 アンナなら。


 少し喜びそうだ。


 ギルベルト様は。


 鼻で息を吐いた。


 それ以上。


 何も言わなかった。


          ◇


 私たちは。


 ノクスの周囲を。


 ゆっくり歩いた。


 私は。


 手袋を外さない。


 骨にも。


 触れない。


 ただ。


 見る。


「ここです」


 私は。


 しゃがみ込んだ。


「座らないでください」


 すぐに。


 オスカー先生。


「しゃがむだけです」


「昨日倒れた人の『だけ』は信用していません」


「では、先生も見てください」


 地面。


 硬い土。


 その上。


 岩の表面。


 小さな。


 細い傷。


 一本。


 二本。


 三本。


 四本。


 平行。


 爪で。


 引っ掻いたような。


「獣では?」


 騎士の一人。


 私は。


 首を傾ける。


「爪の間隔が広いです」


 オスカー先生が。


「専門家ではありませんが、狼よりは広そうですね」


 アルフォンス様が。


 しゃがむ。


 でも。


 傷には触れない。


「黒竜だ」


「分かるのですか」


「ノクスも」


 一瞬。


 声が止まる。


「幼い頃、こういう傷を残した」


「どんなときに?」


「……退屈したとき」


 思わず。


 私は。


 アルフォンス様を見る。


「黒竜も退屈するのですか」


「する」


「ノクスも?」


「する」


「どのように」


「鞍を噛んだ」


 私は。


 少し。


 目を見開いた。


「……あの鞍を?」


「ああ」


「六年間、触れられなかった鞍を?」


 アルフォンス様の顔が。


 固まった。


 しまった。


「すみません」


「いや」


 少し間があって。


「事実だ」


 それから。


 彼は。


 ほんの少しだけ。


 口元を緩めた。


「あいつは革紐を三本駄目にした」


「意外です」


「俺もそう思った」


 黒竜ノクス。


 巨大で。


 静かで。


 最後には。


 炎と鎖の中で死んだ竜。


 でも。


 生きていた頃は。


 退屈して。


 鞍を噛んだ。


 その事実が。


 なぜか。


 胸に残った。


 死者を。


 死に方だけで。


 覚えてはいけない。


 母の弔い帳にも。


 そういう記録が。


 いくつもあった。


 好きだった場所。


 嫌いだった食べ物。


 癖。


 眠る姿勢。


 死者になる前。


 生きていたこと。


「こっちにもあります」


 騎士が。


 少し先を指した。


 同じ。


 爪痕。


 でも。


 こちらは。


 岩ではなく。


 ノクスの骨の近くの地面。


 私は。


 距離を見る。


「この傷」


「何だ」


「最初のものより大きくありませんか」


 ギルベルト様が。


 反応した。


 ゆっくり。


 近づく。


「……そうだな」


 最初。


 手のひら二つ分。


 今。


 それより。


 一回り。


 広い。


「同じ竜だとすれば」


 私は。


 言う。


「成長している」


 誰も。


 すぐには答えなかった。


 当たり前のこと。


 でも。


 重要だった。


 足跡が。


 一度だけなら。


 野生の幼竜かもしれない。


 爪痕が。


 六年間。


 少しずつ大きくなっているなら。


 同じ個体が。


 繰り返し。


 ここへ来た可能性がある。


 そして。


 六年前。


 この辺境へ逃げ込んだ。


 幼い黒竜。


 ルゥ。


「もっと探します」


 私は言った。


「一時間です」


 オスカー先生。


「あと何分ですか」


「二十七分」


「十分ください」


「二十七分あると言ったでしょう」


「先生」


「焦らない訓練です」


「……」


 たぶん。


 正しい。


          ◇


 見つかった爪痕は。


 七か所。


 大きさは。


 三段階ほど。


 違っていた。


 一番小さいものは。


 古い。


 風化している。


 一番大きいものは。


 比較的新しい。


「最近のものですか」


「断定はできない」


 アルフォンス様。


「この岩は硬い。数年残る」


「では」


「大きさの変化は参考になる」


「ただし、同じ個体だという証明にはならない」


 私は。


 頷く。


 その言葉が。


 少し嬉しかった。


 昨日まで。


 答えを求めていた人が。


 今日は。


 断定を。


 止めている。


「記録には」


 私は言う。


「『同一個体の可能性あり』とします」


「それがいい」


 そのとき。


「待ってください」


 オスカー先生。


 全員が。


 止まる。


「何ですか」


「匂いがします」


 私は。


 鼻を動かす。


 土。


 岩。


 雪。


 枯れ草。


 それから。


 微かに。


「……肉?」


「ですね」


 騎士が。


 茂みへ近づく。


「触らないでください」


 私が言う前に。


 オスカー先生。


「私に言っています?」


「全員です」


 騎士が。


 枝を。


 剣の鞘で避ける。


 奥。


 岩の隙間。


 何か。


 残っている。


 乾いた。


 骨。


 獣のもの。


 その横。


 布。


「布です」


 騎士が言った。


「自然には置かれませんね」


 私は。


 近づく。


 触れない。


 しゃがまない。


 今回は。


 言われる前に。


 立ったまま見る。


 布は。


 粗い麻。


 端が。


 綺麗に切られている。


 その上に。


 乾いた肉の脂。


「誰かが」


 私が言う。


「肉を包んで運んだ」


 アルフォンス様の表情が。


 変わる。


「猟師かもしれない」


 私は。


 そう言う。


「このあたりへ?」


「可能性はあります」


 騎士が。


 首を振る。


「ここは禁足地です」


「正式には?」


「領主の許可なしに立ち入り禁止です」


 私は。


 アルフォンス様を見る。


「許可を出したことは?」


「ない」


「では、騎士団の人間」


「可能性はある」


 彼の声が。


 低くなる。


 視線が。


 後ろへ。


 向きかける。


 ギルベルト様。


 でも。


 アルフォンス様は。


 何も言わなかった。


 私も。


 言わない。


 まだ。


 証拠がない。


「肉は」


 オスカー先生が。


 少し離れたところから見る。


「完全に腐ってはいません」


「最近ですか」


「寒いので判断しづらいですが」


 枝先で。


 表面を見る。


「少なくとも六年前のものではありません」


「それは分かります」


「念のためです」


 私は。


 周囲を見る。


 肉。


 爪痕。


 小さな竜。


 何度も。


 ここへ戻ってくる。


 誰かが。


 食べ物を置く。


 竜が。


 食べる。


「骨の位置」


 私は。


 少し先を見る。


 ノクスの遺骸。


 巨大な。


 白い骨。


 その横。


 小さな爪痕。


 何度も。


 何度も。


 ここへ来た。


 もし。


 ルゥなら。


 なぜ。


 ここへ。


 父親の遺骸だから?


 それだけ?


 死を。


 理解している?


 黒竜は。


 人間より。


 高い知性を持つ。


 なら。


 きっと。


 分かっている。


 ノクスが。


 もう。


 起きないことも。


 それでも。


 来た。


「リーゼロッテ嬢」


 ギルベルト様。


 私は。


 振り返る。


「何でしょう」


「……その痕跡を見て」


 少し。


 言いにくそうに。


「声を聞きたいとは、思わないのか」


 何の。


 と。


 訊く必要はなかった。


 ノクス。


 あるいは。


 周囲に残る。


 死んだ竜のもの。


「思います」


 私は答えた。


 ギルベルト様の眉が。


 動く。


「ですが」


 右手を見る。


 手袋。


「今日は触れません」


「答えが近くにあるかもしれなくても?」


「はい」


「ルゥが生きているかもしれない」


「だからです」


「……何?」


「生きているなら」


 私は。


 茂みを見る。


 食べ物。


 爪痕。


 森。


「死者に訊く前に」


 一度。


 息を吸う。


「生きているルゥを探せます」


 ギルベルト様が。


 黙る。


「ノクスが何を思ったかは、大切です」


「でも」


「ルゥが今、何を思っているかを」


「死んだノクスに決めてもらうことはできません」


 生者のことは。


 生者から。


 聞く。


 私は。


 能力を持っている。


 でも。


 それは。


 生きている者の声を。


 飛び越えていい理由にはならない。


 ギルベルト様は。


 何も答えなかった。


          ◇


 帰る前。


 もう一つ。


 見つかった。


 ノクスの左前脚。


 その少し離れた岩。


 大きな。


 爪痕。


 これまでで。


 一番新しい。


 四本。


 深く。


 残っている。


 そして。


 その下。


 土が。


 少し。


 掘られている。


「何でしょう」


 騎士が。


 慎重に。


 周囲の土を払う。


 私は。


 触れない。


 中から。


 小さなもの。


 木片。


 いや。


 木の実。


 乾いた。


 赤い実の殻。


「これは」


 アルフォンス様が。


 拾おうとして。


 止まった。


 私を見る。


 私は。


 少しだけ。


 目を瞬く。


 昨日のこと。


 覚えている。


「手袋をしているなら問題ありません」


「そうか」


 彼は。


 革手袋のまま。


 拾う。


「山リンゴだ」


「この季節に?」


「保存したものならある」


「野生では?」


「ここには生えない」


 騎士が。


 即答する。


「少なくとも、この谷の周囲には」


 誰かが。


 持ってきた。


 肉だけではない。


 果物も。


「黒竜は食べるのですか」


「食べる」


 アルフォンス様。


「ノクスも?」


「ああ」


「好きでした?」


「……」


 少し。


 間。


「かなり」


 また。


 知らなかったノクス。


「特に焼いたものが」


 私は。


 小さく笑った。


「意外です」


「俺も最初はそう思った」


 アルフォンス様も。


 ほんの少しだけ。


 顔を緩めた。


 その後ろ。


 ギルベルト様が。


 顔を逸らした。


 ほんの。


 一瞬。


 でも。


 私は。


 見た。


 山リンゴ。


 肉。


 爪痕。


 誰かが。


 小さな黒竜へ。


 食べ物を運んでいる。


 そして。


 その誰かは。


 ノクスが。


 焼いた山リンゴを好んでいたことを。


 知っている可能性がある。


「今日はここまでです」


 オスカー先生。


 私は。


 頷いた。


 帰る。


 まだ。


 調べたい。


 でも。


 帰る。


 自分から。


          ◇


 谷を出る直前。


 私は。


 一度だけ。


 振り返った。


 白い骨。


 その周囲。


 小さな爪痕。


 死者の声は。


 今日は聞かなかった。


 それでも。


 何も分からなかったわけではない。


 むしろ。


 今まで見えていなかったものが。


 いくつも。


 見えた。


 ノクスのそばへ。


 何度も戻ってきた。


 小さな竜。


 成長していく爪痕。


 置かれた食べ物。


 誰かが。


 六年間。


 ここを訪れている。


 私は。


 前を向く。


「アルフォンス様」


「何だ」


「明日は」


 一度。


 森を見る。


「ルゥを探したいです」


 アルフォンス様も。


 森を見る。


「ああ」


 そして。


 背後。


 少し離れたところで。


 ギルベルト様の足が。


 ほんの一瞬だけ。


 止まった。


 私は。


 何も言わなかった。


 まだ。


 声を聞く必要はない。


 生きている者が。


 自分の口で語れるのなら。


 まず。


 その声を待とうと思った。

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