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死者の声を聞く令嬢は婚約破棄されましたが、最後の竜葬師として無口な辺境伯に望まれました  作者: 磯辺


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俺の竜を弔ってくれ

「俺の竜を、弔ってくれ」

 アルフォンス様の言葉が、静かな応接室に残った。


 窓の外では、雨が細く降り続いている。


 父は椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま、動きを止めていた。


 私も、すぐには返事ができなかった。


 黒竜ノクス。


 アルフォンス様を選び、命を預け合った契約竜。


 ミラとルゥを追い、六年前に命を落とした竜。


 その遺骸(いがい)が辺境に残され、今も眠っていないという。


「弔う、というのは」


 私は言葉を選びながら尋ねた。


「私にノクスの遺品へ触れ、その声を聞いてほしいという意味でしょうか」


「ああ」


 アルフォンス様はうなずいた。


「だが、それだけではない」


「では、何を?」


「分からない」


 あまりにも正直な返事だった。


「何をすれば、あいつが眠れるのか。何をしてほしかったのか。俺には分からない」


 アルフォンス様の右手が、膝の上で震えている。


 彼はその手を隠さなかった。


「これまで、何もなさらなかったわけではありませんね」


「何度も試した」


「どのような儀式を?」


「最初は、グレイヴ領の司祭へ頼んだ」


 アルフォンス様は、六年前の記録を思い出すように目を伏せた。


「聖句を唱え、香を焚き、遺骨を墓へ納めた。だが、翌朝には墓石が割れていた」


「遺骨が外へ出たのですか」


「いや。骨は墓の中にあった」


「では、なぜ失敗だと?」


「ノクスが死んだ夜と同じ痛みが、契約を通じて流れ込んできた」


 竜騎士契約は、竜が死ねば完全に消えるわけではない。


 魂に残された傷が、契約者の中へ残り続ける。


 母から、そう教わったことがある。


「その一度だけですか」


「墓へ納めるたびに起きた」


「何度、埋葬を?」


「四度」


 四度。


 そのたびに骨を掘り起こし、別の方法を試したのだろうか。


「二度目は?」


「王都から聖職者を呼んだ」


「聖竜院の方ですか」


「ああ」


 アルフォンス様の声が少し硬くなる。


「彼らは、竜の魂が土地へ還れないのは、死の間際にけがれへ触れたためだと言った」


「穢れ?」


「人間への憎しみだそうだ」


 胸の奥に、冷たいものが落ちた。


「それを清めれば、眠れると?」


「そう説明された」


「どのように清めたのですか」


「聖水をかけ、骨の周囲へ浄化用の竜骨魔石(りゅうこつませき)を埋めた」


「竜の遺骨を弔うために、別の竜の骨を使ったのですか」


 思わず声が強くなった。


 アルフォンス様が小さくうなずく。


「当時は、それが当然だと思っていた」


 責められることを受け入れるような言い方だった。


 けれど、私はすぐに言葉を返せなかった。


 王都でも辺境でも、竜骨魔石は神聖なものとして扱われている。


 竜を清めるために竜骨を使うことへ、疑問を抱かない者の方が多いのだろう。


「儀式の後は、どうなりましたか」


「墓の周囲に霜が降りた」


「冬ではなく?」


「夏だった」


 アルフォンス様は続ける。


「埋めた魔石は、翌朝すべて黒く濁っていた。聖職者は、ノクスの憎しみが強すぎると言った」


「それで、三度目を?」


「別の司祭は、骨に残った魔力を焼き切るべきだと主張した」


 父が息を呑んだ。


「焼いたのか」


「火をつけようとした」


 アルフォンス様の声が低くなる。


「だが、燃えなかった」


「竜の骨は通常の炎では燃えません」


「司祭も知っていた。竜骨魔石を使った炉を用意した」


「それでも?」


「火が消えた」


 竜の骨を燃やすために、竜の骨を燃料にする。


 どの儀式も、ノクスが何を思っているかを確かめるものではなかった。


 眠らないのなら押さえつける。


 穢れているのなら清める。


 思いが残っているのなら焼き切る。


「四度目は?」


「何もしなかった」


 意外な返事だった。


「何も?」


「谷へ戻した」


 アルフォンス様は窓の外へ顔を向ける。


「ノクスが生まれ、俺と出会った谷だ。石室を作り、骨を並べた。祈りも、封印もしていない」


「その状態で六年間?」


「ああ」


「痛みは、今も?」


「夜になると戻ることがある」


「毎晩ですか」


「以前ほど頻繁ではない」


 けれど、消えてはいない。


「遺骨の周囲だけ、雪が解けないとおっしゃいましたね」


「ああ。春になっても残る」


「動物は?」


「近寄らない」


「植物は生えますか」


「生えない」


「魔力の流れは?」


「遺骨の周囲で止まっている」


 竜の魂が大地へ還れば、その魔力は土地へ流れ、新しい命を育てる。


 黒竜は特に、記憶と土地を結びつける性質が強い。


 それが還れずに留まれば、周囲の竜脈(りゅうみゃく)も塞がれてしまう。


「確かに、眠ってはいないのでしょう」


 私が言うと、アルフォンス様の視線が戻ってきた。


「弔えるか」


「今は分かりません」


 即答すると、父がこちらを見た。


 アルフォンス様は表情を変えなかった。


「何が必要だ」


「まず、確認したいことがあります」


「言ってくれ」


「ノクスの遺骨は、すべて揃っていますか」


「すべてではない」


「失われた部位は?」


「左の翼骨の一部。胸骨。それから、右の角」


 胸骨。


 夜会場の竜骨細工にも、胸骨が使われていた。


 けれど、あれは女竜のものだ。


 少なくとも、私が受け取った声は女性のものだった。


「遺骨が一部欠けているだけなら、弔いができないとは限りません」


「他には?」


「ノクスが長く使っていた物は残っていますか」


「鞍がある」


 その言葉を口にした時、アルフォンス様の右手が大きく震えた。


「契約時に使っていたものですか」


「ああ」


「最期の日にも?」


「俺と砦へ行く時に着けていた」


「ノクスが失踪した後、回収されたのですか」


「遺骸の近くに落ちていた」


 長く使い、最期まで身につけていた物。


 強い思いが残っている可能性は高い。


「鞍には、どなたかが素手で触れましたか」


「何人も触れている」


「私のような力を持たない方が触れても、残された思いは薄れません」


「では、まだ声が残っている可能性がある?」


「あります」


 希望を持たせすぎないよう、すぐに続ける。


「ただし、六年が経過しています。保存状態によっては、何も残っていない可能性もあります」


「構わない」


「何も聞こえなかった時、別の遺品へすぐ触れるとは限りません」


「昨日、約束した」


「はい」


 私は黒い手袋に覆われた両手を見る。


「もう一つ、大切なことがあります」


「何だ」


「私は、ノクスへ質問できません」


 アルフォンス様はうなずいた。


「分かっている」


「『何をしてほしいのか』と尋ねても、答えは返りません。聞こえるのは、ノクスが死の直前に強く抱いていた言葉や感情だけです」


「ああ」


「その中に、弔い方についての願いが含まれているとは限りません」


「俺への言葉も?」


「含まれない可能性があります」


「それでもいい」


 アルフォンス様は迷わず答えた。


「先ほども申し上げましたが、死者の声は絶対の真実ではありません」


「それも分かっている」


「ノクスが、誰かを誤解したまま亡くなっている可能性もあります」


「ああ」


「あなたを恨んでいるように聞こえるかもしれません」


「聞こえたままを話してくれ」


「逆に、あなたを恨んでいないと聞こえても、それだけであなたに責任がなかったことにはなりません」


「分かっている」


 一つ一つ確かめても、アルフォンス様の返事は変わらなかった。


 都合のよい言葉だけを欲しがってはいない。


 それは昨日交わした約束の通りだった。


「では」


 私は息を整えた。


「なぜ、ノクスを弔いたいのですか」


 アルフォンス様の顔がわずかに強張った。


 父も、私へ視線を向ける。


「眠っていないから、ではありません」


 私は続けた。


「土地の竜脈を塞いでいるからでも、夜ごと痛みが戻るからでもありません」


「それらも理由だ」


「はい。ですが、それだけではないはずです」


 アルフォンス様は答えなかった。


「弔いは、死者を静かにするためのものではありません」


 これまでの儀式を思い出す。


 清める。


 封じる。


 焼き切る。


 どれも、生きている者の都合で死者を黙らせようとするものだった。


「死者に言うことを聞かせるためでもありません」


「では、何のために行う」


 アルフォンス様が尋ねる。


 私は、母が昔話してくれた言葉を思い出した。


 すべてを覚えているわけではない。


 けれど、これだけは忘れたことがなかった。


「死者がどこで立ち止まっているのかを確かめるためです」


「立ち止まっている場所?」


「言えなかった言葉。帰れなかった場所。残してきた人。自分でも手放せなかった怒りや悲しみ」


 死者は、正しいから残るわけではない。


 許されるべきだから残るわけでもない。


「その思いを、生きている者が知る」


「知れば、眠れるのか」


「いいえ」


 私は首を横に振った。


「知るだけでは足りないこともあります」


「ならば?」


「名前を呼ぶ。起きたことを記録する。遺骨を本来あるべき場所へ返す。残された者が、別れを受け入れる」


「別れを」


「何をすればよいかは、死者によって異なります」


 決まった言葉を唱えれば終わるものではない。


 祈りの回数でも、供物の量でもない。


「ですから、ノクスの最後の願いを確かめないまま、弔えるとは申し上げられません」


 アルフォンス様は黙って私を見た。


「声を聞いても、弔えない可能性があるのか」


「あります」


「何年かかる?」


「分かりません」


「失敗することも?」


「あります」


 父が深く息を吐く。


「それなら、引き受けるべきではない」


「お父様」


「辺境まで行き、命を削って遺品へ触れた末に、何もできないかもしれないのだろう」


「はい」


「ならば、なおさらだ」


 父はアルフォンス様へ顔を向けた。


「グレイヴ辺境伯閣下。娘は正式な聖職者ではありません。竜の葬送を執り行った経験もない」


「知っている」


「何も知らない娘へ、六年間誰にも解決できなかった問題を背負わせるおつもりですか」


「背負わせるつもりはない」


「依頼すること自体が、背負わせることです」


 アルフォンス様は反論しなかった。


 父の言葉を受け止めるように、短く沈黙した。


「その通りだ」


 やがて彼は言った。


 父がわずかに目を見開く。


「俺は、リーゼロッテ嬢の力を必要としている」


 アルフォンス様はまっすぐ私を見た。


「ノクスの声を聞ける可能性がある、唯一の人間だからだ」


 唯一。


 その言葉は、これまで何度も私を動かしてきた。


 私にしかできない。


 私が聞かなければならない。


 そう思えば、痛みも恐怖も後回しにできた。


「だが」


 アルフォンス様は続けた。


「必要だからといって、彼女が断る権利を奪うつもりはない」


 父の表情が少し変わる。


「今すぐ答えなくていい」


 アルフォンス様は私へ言った。


「辺境へ来るかどうかも、ノクスへ触れるかどうかも、君が決めてくれ」


「ですが、ノクスは六年も――」


「六年待った」


「だからこそ、これ以上――」


「俺が待てないことを、君が傷つく理由にするつもりはない」


 言葉を遮られた。


 けれど、不快ではなかった。


「記録と遺骨の状態は、すべて書面で送る。過去に行った儀式の内容もまとめる」


「それを確認してから決めてもよいのですか」


「ああ」


「断る可能性もあります」


「分かっている」


「辺境へ行っても、遺品に触れないと判断するかもしれません」


「それも君が決める」


「何もできずに帰るかもしれません」


「その時は、何もできないと分かったことを持ち帰る」


 アルフォンス様の言葉には、焦りがなかった。


 少なくとも、私へ焦りを押しつけまいとしていた。


「ありがとうございます」


 そう答えると、彼はほんの少しだけ眉を寄せた。


「礼を言われることではない」


「それでも」


 私の選択を、私のものとして返してくれた。


 それだけで、胸の奥にあった息苦しさが少し和らいだ。


「私も、調べます」


「何を?」


「竜葬の正式な手順です」


 父の肩が小さく揺れた。


 私はそれを見逃さなかった。


「母から、断片的に教わったことはあります」


 死者の名を呼ぶこと。


 思いを記録すること。


 遺骨を土地へ返すこと。


 けれど、正式な儀式の全体は知らない。


「母が亡くなった後、関連する書物はすべて見つからなくなりました」


 父は目を逸らした。


「お父様が、しまったのですね」


「……必要のないものだった」


「今は必要です」


「必要ではない」


「なぜですか」


「お前は竜葬師ではない」


 父の声が強くなる。


「では、竜葬師とは何ですか」


 問い返すと、父は口を閉ざした。


「死者の声を聞ける者のことですか。それとも、儀式を学んだ聖職者のことですか」


「この話は、今することではない」


「私は依頼を受けるかどうか判断しなければなりません」


「断ればよい」


「それを決めるために、知りたいのです」


 父は椅子の肘掛けを強く握った。


 指先が白くなっている。


「お父様は、竜葬についてご存じなのですね」


「知らない」


「では、なぜそこまで恐れるのですか」


 父の唇が動いた。


 けれど、言葉は出てこない。


 アルフォンス様が立ち上がる。


「今日は帰る」


「アルフォンス様」


「これは、君たち親子が話すべきことだ」


 彼は持参した飛行記録と巡回報告書をまとめた。


「資料は明日、改めて届ける」


「分かりました」


 アルフォンス様は父へ一礼する。


「突然の依頼となったことを、お詫びします」


「謝罪は必要ありません」


 父の返事は硬かった。


「ですが、娘を連れていくことを許可したわけではありません」


「承知している」


「辺境伯閣下」


 私はアルフォンス様を呼び止めた。


「一つだけ、お約束します」


 彼が振り返る。


「弔えるとは、まだ申し上げられません」


「ああ」


「ですが、ノクスに何が起きたのかを確かめたいと思っています」


 アルフォンス様の銀色の目が、わずかに揺れた。


「記録を読んでから、必ずお返事します」


「待っている」


 短く答え、彼は部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 応接室には、私と父だけが残された。


 雨音が、先ほどよりも大きく聞こえる。


「お父様」


「今日は休みなさい」


「まだ、お話は終わっておりません」


「終わった」


 父は立ち上がり、机の上の書類を集め始める。


「竜葬に関する本を、見せてください」


「処分した」


「嘘です」


 父の手が止まった。


「お父様は、母の物を捨てられません」


 母の衣装も。


 使っていた筆も。


 庭で育てていた薬草の鉢も。


 父は片づけたふりをして、すべて屋敷のどこかへ残している。


 私が知らないと思っているだけだ。


「書物も残しているはずです」


「仮に残っていたとしても、お前へ渡すつもりはない」


「なぜですか」


「同じことを繰り返したくないからだ」


 第六話の馬車でも聞いた言葉だった。


「誰と同じことを?」


 父は答えない。


「お母様ですか」


 その名前を出した瞬間、父の顔が苦しそうに歪んだ。


「母は、私と同じ力を持っていたのですか」


「……やめなさい」


「母も、死者の声を聞いていたのですね」


「リーゼロッテ」


「だから私が能力を使うことを恐れているのですか」


「やめろ」


「母は、竜葬について何を――」


「セレーネも、同じことを言った!」


 父の声が、部屋へ響いた。


 私は息を止めた。


 父が私へ声を荒らげたのは、幼い頃を含めても初めてだった。


 机の上で、書類の束が崩れる。


「同じこと?」


 静かに聞き返す。


 父はうつむいた。


 肩が震えている。


「私にしか聞こえない」


 父は、噛みしめるように言った。


「私が行かなければ、誰が行くのか」


 それは、私が何度も口にしてきた言葉だった。


「お母様が、そう言ったのですか」


 父は長い間、答えなかった。


 けれど、今度は話を終わらせようとはしなかった。


 やがて、崩れた書類の中から、一枚の紙を拾い上げる。


 古く、端が黄ばんだ紙。


 そこには、私の知らない文字と、翼を閉じた竜の印が描かれていた。


「お前には、知らせるつもりはなかった」


 父の声は、ひどく弱かった。


「一生、知らずにいてほしかった」


 紙を持つ手が震えている。


「お前の母セレーネは」


 父が顔を上げた。


「この王国に残った、最後の竜葬師だった」

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