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「魔法使い見習いと生意気な猫」  作者: れおん
第2章 『黒猫の魔導王と、美食を求める乙女たちの行進 〜淀んだ大地を七色に塗り替えろ!〜』

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第76話:岩陰の祝宴と、真理のスープ

街道から少し外れた、巨大な反り立つ岩の影。そこが今夜の野営地となった。

ゼノスの馬車隊の護衛たちとアルマたちは、手際よく火を熾し、冷え込む荒野の夜に備える。

だが、今夜の主役は焚き火の暖かさではない。鍋の中から漂い始めた、例の「端材」から滲み出た濃厚な香りだった。

「おい、商人ゼノス。火力が強すぎる。それでは真理が蒸発してしまうだろうが。もっと弱めろ、弱めるのだ! 黄金の脂が鍋の縁で震える、その繊細なリズムを感じろと言っているのだ」

ノアが鍋のすぐ傍、熱気で髭が焦げそうな距離に陣取り、調理を担当するゼノスに執拗な指示を飛ばしていた。その姿はもはや猫ではなく、小うるさい厨房の独裁者だ。

「わ、分かってますよ、黒猫様! ですが、これはあくまで端材を使ったスープですから、そこまで厳密に言われましても……」

「端材だと? 愚かな! 真理は細部に宿るのだ。この一欠片に凝縮されたスパイスの配合、燻製の薫香、それらすべてがこのスープという小宇宙の中で完璧な調和を保たねばならん。ほら、そこだ! 今、脂が弾けた。灰を少し被せて火を落ち着かせろ!」

ノアのあまりの剣幕に、ゼノスは商会の主としての威厳をどこへやら、必死に灰を操作して火加減を調整していた。

少し離れた場所では、アルマ、キャスカ、アリス、ジャムの四人が、岩に背中を預けて鍋を見守っていた。

リタをはじめとする護衛たちも、狼との戦いで疲弊した体にその香りが染み渡るのか、心なしか鼻の下を伸ばしている。

「ねえ、アリス。さっきからあんたの持ってる木皿が、カチカチ鳴ってるんだけど」

キャスカが呆れたように指摘すると、アリスは顔を背けながらも、手に持った空の皿を握りしめていた。

「……仕方がありませんわ。先ほどの戦闘で魔力を全開にいたしましたもの。脳が、いえ、魂が糖分と脂質を求めて鳴り止まないのですわ。……ノア様ほどではありませんけれど、わたくしも、今ならあの岩を齧れる自信がありますわよ」

「アリス、岩は食べちゃダメ。……もうすぐ、……できるから」

ジャムが空腹のあまり虚空を見つめながら、アリスの袖を優しく引いた。

アルマもまた、胃袋が奏でる重低音を聞きながら、肩を落として呟く。

「……もう、ノアったら。あんなに騒ぐなら、自分で作ればいいのに。……あ、できたみたい」

ゼノスがお玉でスープを掬い、最初にノアの前に置かれた小さな皿に注いだ。

続けて、アルマたちやリタ、そして護衛たちの皿にも、黄金色の脂が浮いたスープが配られる。

具材は端材の肉と、荒野で採れた僅かな根菜だけ。だが、そこから立ち上る香りは、王宮の晩餐会もかくやというほどに芳醇だった。

「……いただくわ。……ッ!? な、何これ……」

キャスカが最初の一口を口に含んだ瞬間、その動きが止まった。

荒々しいスパイスの刺激が舌を突き抜けた直後、じっくりと燻された肉の濃厚な旨味と、脂の甘みが波のように押し寄せてくる。

「……美味おいしゅうございますわ! この、鼻から抜けるスモークの香りが、わたくしの疲れた神経を優しく、それでいて暴力的に包み込みますわ!」

アリスが貴族の礼儀も忘れてスープを啜り、ジャムも無言で、しかし恐ろしいスピードでスプーンを動かしていた。

リタたち護衛も「……こいつは、今まで食ったどのスープよりも元気が出るな」と、驚きを隠せない様子で顔を見合わせている。

「(……。……。……。ふむ)」

そんな喧騒の中、ノアだけが目を閉じ、一口のスープを喉に流し込んだまま静止していた。

「(……スパイスの第一撃は及第点。……燻製の余韻は、……少し火を通しすぎたか。だが、この圧倒的な鶏の生命力。……これこそが王都が秘匿せし、黄金の真理の一片。……悪くない。……いや、……悪くないぞ、商人ゼノス。貴様の商才はともかく、この味を選んだ審美眼だけは認めてやらんこともない)」

「……そりゃあどうも、黒猫様。……で、おかわりはいかがです?」

「(……当然だ。鍋の底に沈殿した、その真理の結晶をすべて我の皿に注げ。一滴たりとも無駄にすることは、この世界に対する裏切りだ)」

ノアは満足げに喉を鳴らし、尻尾でリズムを刻みながら二皿目を要求した。

夜の荒野。狼に襲われた恐怖も、目的地がまだ遠い不安も、この一杯のスープの熱気が一時的に忘れさせてくれる。

焚き火を囲む一行の顔には、微かな充足感が漂っていた。

だが、アルマは知っていた。この贅沢を覚えてしまったノアの「ササミへの執着」が、明日以降、さらに加速することを。

「……明日から、また歩くの、大変だろうな……」

アルマは夜空に輝く星を見上げながら、スープの最後の一滴を飲み干し、小さくため息をついた。

彼女たちの護衛任務は、まだ始まったばかりなのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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