第71話:古びた馬車と、奇妙な護衛
赤茶けた大地を噛み締める、単調な足音だけが響く荒野。
蜃気楼の向こう側から立ち上る砂煙は、刻一刻とその輪郭を鮮明に変えていきました。
現れたのは、あちこちに補強の鉄板が打ち付けられ、歳月の風雪を物語るような年季の入った一台の大型馬車。
そして、その周囲を殺気立った様子で取り囲む、数人の武装した男女の姿でした。
「止まりなさい! そこな小娘たち、動くじゃないよ!」
鋭い制止の声が荒野を切り裂くと同時に、馬車の側面に控えていた一人の女戦士が、地面を蹴って前方へと躍り出ました。
彼女は使い込まれた槍を水平に構え、その切っ先をアルマたちの喉元へと向けます。
その瞳は、逃亡者か賊を警戒するかのように鋭く、アルマたちのボロボロに汚れた装備、そして何よりアルマの肩にどっしりと居座る黒猫を、執拗なまでに観察していました。
「あ、あの! 待ってください、私たちはただの旅の者です。昨日の……その、空に異変があったでしょう? あれに巻き込まれて道に迷ってしまいまして……」
アルマは慌てて両手を上げ、手のひらを見せて敵意がないことを示しました。
背後では、キャスカがいつもの冷静さで、しかし瞬時に踏み込めるよう腰の剣の柄に指を添えています。
アリスとジャムも、疲労困憊の状態ながらも、いつでも魔力の障壁を展開できるよう、それぞれの杖を握る手に力を込めました。
(小娘、下がるな。この女の槍先からは、血の匂いよりも『焦燥』の匂いが強く漂っておる。追い詰められておるのは、地を這う彼女らの方だ。……それにな、アルマ。よく見ろ、この馬車の中身を。我の髭が、最高級の、それも極めて希少な『スパイスの真理』を捉えたぞ)
ノアがアルマのフードの奥から、くぐもった、しかし興奮を隠しきれない声で囁きました。
昨日までの空腹で、彼の感覚は研ぎ澄まされすぎていたのかもしれません。
「生活臭とか言ってたのに、今度はスパイス? ノア、今はそれどころじゃ……」
アルマが小声で突っ込みを入れるより早く、馬車の重い幌が内側から勢いよく跳ね上げられました。
「待ちたまえ、リタ。その者たちは賊ではない。……いや、むしろ、天がこの不運な行商人に遣わした、最後の希望かもしれんぞ」
幌の中から姿を現したのは、整えられた立派な髭を蓄えた、恰幅の良い初老の男でした。
彼は宝石の散りばめられた派手な指輪を朝陽に光らせながら、値踏みするようにアルマたちの杖や装備をじっくりと観察します。
その視線は、商売敵を見るそれではなく、砂漠でオアシスを見つけた男の渇望に近いものでした。
「私は商人、ゼノス。見ての通り、この忌々しい荒野で足止めを食らっている不運な男だ。……お嬢さん方、失礼ながら君たちはなかなかの魔法使い、それに腕の立つ剣士とお見受けした。どうだね、この先の街まで我々の護衛を引き受けてはくれないか?」
「護衛……ですか? でも、あそこに立派な武装をした方たちが……」
アルマが女槍使いのリタたちを指差すと、ゼノスは苦虫を噛み潰したような顔で、馬車の背後に広がる空白の街道を忌々しげに振り返りました。
「本来の護衛を頼んでいた腕利きどもが、昨日の魔物の襲撃で半分以上逃げ出してしまってね。このままでは立ち往生だ。……安心したまえ、報酬は弾もう。それこそ、君たちが一生見ることのないような、王都直送の『黄金のササミの燻製』を含めてな。この積み荷には、それだけの価値があるのだよ」
その瞬間、アルマの肩に乗っていたノアの体が、まるで電流が走ったかのようにピンと伸びました。
「黄金のササミ」という単語。
それはノアにとって、魔導の真理そのものに匹敵する、抗い難い言霊でした。
(アルマ、聞け。……この男、成金特有の鼻持ちならなさはあるが、その提案だけは『黄金の真理』だ。断れば、我は今この場で貴様のフードを食い破り、この馬車に単身乗り込むことになろう。あそこに漂うスパイスとササミの融合……。それはもはや、一つの宇宙だぞ)
「脅さないでよ……。でも、確かに私たちも街の場所が分からないし……。キャスカ、どう思う?」
アルマが尋ねると、キャスカは少しだけ目を細め、馬車を取り巻く護衛たちの様子を確認しました。
槍使いのリタをはじめ、残った護衛たちは皆、疲弊してはいるものの、商人を見捨てて逃げ出さなかった根性はあるようです。
「……悪い話じゃないわね。私たちだけでこの荒野を彷徨うよりは、地理に詳しい商人と一緒の方が効率がいいわ。それに、何より安全な街へ最短で辿り着くのが優先だし」
キャスカの冷静な判断に、アリスも「わたくしのプリズム・シェルも、移動しながらの方が効果を発揮しやすいですわ」と同意し、ジャムも小さく頷きました。
「わかりました。次の街まで、お供します」
アルマが代表して告げると、商人ゼノスは満足げに、そして下卑た欲望を隠そうともせずに唇を歪めました。
こうして、空の決戦を終えたばかりの一行は、砂埃舞う街道を行く、この奇妙な馬車隊に加わることとなりました。
しかし、アルマはまだ気づいていませんでした。
ノアが目を輝かせた「黄金のササミ」という言葉の裏に隠された、この商人のあまりにも危うい「野望」と、それが呼び寄せる新たな騒動の予感に。
彼女たちの旅は、荒野の静寂を破る馬車の車輪の音と共に、新たな局面へと転がり始めました。
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