第68話:星降る荒野の晩餐
「……っ、アルマ! もう一歩も歩けないわ。ここをキャンプ地とするわよ。異論は認めないから!」
岩棚にホウキが突き刺さるように着陸してから数分。キャスカが、腰の剣を岩場へ突き立て、その場に膝をつきました。空底の捕食者との激戦を終えたばかりの彼女たちの体は、もはや一滴の魔力も、一歩を踏み出す体力も残されてはいませんでした。
「わかった、キャスカ。……私も、もう限界。ジャム、アリス、大丈夫?」
アルマが声をかけると、岩に背中を預けていたジャムが力なく頷き、アリスは虚空を見つめたまま「ツナ缶の残響が、宇宙の果てまで聞こえますわ……」と、うわ言のように呟いていました。
太陽はすでに地平線の向こうへと沈み、荒野には急激な冷気が忍び寄ってきます。アルマは震える手で、ケットル先輩から授かった『特製・巨大背負い袋』の側面を叩きました。
「おい、アルマ。何を躊躇っておる。この凍えるような静寂こそ、真理を享受するに相応しい舞台装置ではないか。早くしろ。我の胃壁が、飢餓という名の反乱軍に占拠されようとしておるのだ」
ノアがアルマのフードから這い出し、袋の紐を器用に前脚で引っ掻きました。その黄金色の瞳には、夜の寒さよりも、失われたエネルギーを補填せんとする強烈な意志が宿っています。
「わかってるって。……よし、『展開』!」
アルマが微かな魔力を袋に流し込むと、空間拡張の理が働き、袋の中から折り畳み式の小さな魔導コンロと、大量の食材が魔法のように滑り出てきました。かつてオード村を去る際、ケットル先輩が「旅は食事が命」と詰め込んでくれた、最高級の備刻品です。
アルマは慣れない手つきでコンロに火を入れ、厚手の鉄鍋をセットしました。そこへ、ノアの厳しい視線に急かされながら、オード村特製の燻製肉と、熟成された硬質チーズ、そして道中で摘んでおいた香草を放り込んでいきます。
脂の焼けるパチパチという心地よい音と、濃厚なチーズの香りが、凍てつく荒野の空気を一変させていきました。極限状態にあった少女たちの鼻腔を、暴力的なまでの「美味の予感」が貫きます。
「ふむ。アルマ、火力が甘いぞ。表面を強火で一気に焼き固め、中の肉汁を逃がすな。肉を焼くことは、魔力を固定することと同じだ。一瞬の油断が、真理をただの焦げカスに変えると思え」
「ノア、教え方が厳しすぎるよ……。でも、……よし、できた!」
アルマが木皿に盛り分けたのは、溢れんばかりの肉汁を湛えた燻製肉のソテー。その上には、熱でトロリと溶け出したチーズが、黄金色のソースとなって絡みついています。
「いただき……ますっ!」
五臓六腑に染み渡る旨味。キャスカが涙目で肉を咀嚼し、アリスも至福の表情を浮かべていました。ノアは、アルマが特別に用意した『重厚なるササミ』の干し肉を、目を細めて堪能しています。彼らにとって、この一口一口が、先ほどまで空で繰り広げていた死闘への報酬であり、失った生命力を繋ぎ止める楔でした。
見上げれば、遮るもののない空に、こぼれ落ちそうなほどの満天の星々が輝いていました。これまで通り過ぎてきた街の灯りも、学園の時計塔の音も届かない、静寂の世界。パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが、彼女たちがここに生きていることを証明していました。
「ねえ、ノア。もし、あそこで私が失敗してたら、私たち、今頃どうなってたかな」
アルマが膝を抱え、小さくなった炎を見つめて呟きました。その問いには、勝利の後の虚脱感と、見知らぬ土地へ放り出された不安が混じっていました。
「フン。失敗だと? 笑わせるな、アルマ。我という真理の王が背に乗り、あのドワーフが鍛え上げた鉄を抱え、そして、このポンコツどもが必死に糸を繋いだのだ。そんな重厚な事実が揃っておいて、結果が揺らぐ道理など、この世界の数式には存在せん」
ノアは満足げに髭を整えると、焚き火の熱を避けるように、少しだけ離れた岩の上に丸くなりました。
「……そっか。そうだよね」
「案ずるな、小娘。貴様はまだ、泥の詰まったドブ川のような未熟者だ。だが、今宵のこの肉の焼き加減に免じて、明日もまた、我が貴様を正しい空へと導いてやらんこともない」
「ありがとう、ノア」
アルマの頬を、夜の風が優しく撫でていきました。魔力は空っぽ、体は重く、自分たちが地図のどこにいるのかすら分かりません。けれど、仲間たちの穏やかな寝息と、生意気な黒猫の不遜なまでの自信。それらすべてが、アルマの胸に明日を歩むための温かな灯火を灯していました。
死闘を越えた少女たちは、星空の下で一歩だけ進んだ実感を噛み締めながら、深い眠りへと落ちていくのでした。




