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「魔法使い見習いと生意気な猫」  作者: れおん
第2章 『黒猫の魔導王と、美食を求める乙女たちの行進 〜淀んだ大地を七色に塗り替えろ!〜』

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第60話:沈黙の森と、奪われた拍動

「おい、小娘。断言するが、この先に広がる静寂は、安らぎなどではない。真理が何者かによって『録音』され、空間ごと切り取られた最悪のデッドコピーだ。我の髭が、空気の振動が一切消えた不自然な無音を捉えたぞ。これは、世界を構築する『音』という名の波長を食らう、未知の捕食者が潜んでいる兆候だ!」

水の村を救い、意気揚々と西へ進んでいたアルマたちの前に、それは突如として現れました。地図には記載のない、奇妙な「白い森」です。

一歩足を踏み入れた瞬間、世界から一切の音が消失しました。

風が枝を揺らす音も、自分たちが落ち葉を踏み締める音も。

そして、隣を歩く仲間の息遣いさえも、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せてしまったのです。

アルマは反射的に隣を歩くキャスカの肩を叩こうとしましたが、自分の手が彼女の防具に触れる「カチッ」という音すら聞こえません。

それは単なる静寂ではなく、空間そのものが「音」という概念を失ってしまったような、悍ましい感覚でした。

「(……っ!? 声が出ない!)」

アルマが慌てて喉を抑え、キャスカに呼びかけようとしますが、唇が空しく動くだけで音は一粒も零れません。

それどころか、アルマが杖を振って出そうとしたシャボン玉さえ、膜が膨らむ「プゥ」という音すら立てず、音のない映像のように虚空を漂うだけでした。

「(落ち着きなさい、アルマ。これは単なる静寂ではなく、魔力による『音の隔離』ですわ。あるいは、空間そのものに強力な封印術が施されている可能性があります)」

アリスが指先に小さな光を灯し、文字として空中に浮かび上がらせました。

彼女の顔は真剣そのものです。魔法使いにとって、詠唱や魔力の「響き」が失われることは、魔法の構成要素を半分以上奪われたのと同義だからです。

「フン。絶望するにはまだ早いぞ、小娘ども」

ノアがアルマの頭をポンと叩き、自身の瞳を琥珀色に輝かせました。

ノアの視線が、不自然に白く結晶化した大樹の根本、その濃い影を射抜きます。

そこには、太陽の光の向きとは無関係に、まるで意志を持つアメーバのように地面を這い回る「真っ黒な影」が潜んでいました。

「(あれが、この森の音を盗んでいる犯人、『音泥棒サウンド・イーター』の末端だ。奴らは世界のあらゆる振動を食らい、己の核に蓄積しておる。おそらく、大地の魔力が滞り、空気の循環が止まったことで、本来は無害な精霊だったものが、音を貪るだけの化物へと変異してしまったのだろう)」

ノアの声は、アルマの頭の中に直接響いてきました。

魔導王としての格を持つノアだけは、音に頼らない「思念の伝達」が可能だったのです。

「(おい、アルマ。このままでは我らの存在そのものが『静寂の保存食』にされてしまうぞ! 心臓の鼓動、呼吸の摩擦音、それらすべてを吸い尽くされた時、我らは生きたまま彫像へと変えられてしまうだろう)」

アルマはゴクリと唾を飲み込みました。その飲み込む音さえ聞こえないことが、さらに恐怖を煽ります。

これまでの「澱み」とは明らかに質が違います。

相手は、こちらの反撃の手段……魔法の構成要素である「波長」そのものを無効化しているのです。

キャスカが剣を抜き、地面を這う影に向かって鋭い一撃を放ちました。

普段なら空気を切り裂く鋭い風切り音が鳴るはずのその一閃。しかし、現実は不気味なほどの無音の空振りでした。

影は音もなくキャスカの足元を通り抜け、彼女が腰に下げていた水筒をかすめます。

すると、水筒の中で「ちゃぷん」と揺れていた微かな音までもが、一瞬で吸い取られ、水筒は石のように静まり返ってしまいました。

「(っ! 逃げ足が速いわね! 手応えが全くないわ!)」

キャスカが悔しそうに足を踏み鳴らしますが、その衝撃音さえも森には響きません。

アルマたちは、自分たちが完全に「無力」化されつつある恐怖を、肌で感じていました。

詠唱ができないアリスやジャムは、ただ震えてアルマの背後に隠れることしかできません。

「フン。案ずるな。奴らが『音』を食うというなら、逆に出し抜いてやればよいのだ。音という名の『餌』を撒き、その強欲な口を開かせてやればいい」

「(餌……? でもノア、声も出せないのに、どうやって音を出すの?)」

「アルマ、我に策がある。だが、それには少しばかり、我の腹を極限の状態で鳴らす必要がある。……いいか、よく聞け。音を食らう魔物は、その瞬間だけは『外の世界』と繋がる。そこが弱点だ」

ノアの瞳が、さらに深く、怪しい光を放ち始めます。

「おい、袋の奥にある例の熟成生ハムを取り出せ。そして、我の目の前でじっくりと香らせ、その脂が滴る音を……イメージの力で増幅させるのだ! 我の空腹が限界に達したとき、我が腹から鳴る『真理の雷鳴はらむし』は、いかなる沈黙も引き裂く最強の不協和音となるだろう!」

「(ノア!! こんな深刻な時にまで、結局は食べ物のことなの!?)」

音のない世界で、アルマの全力のツッコミだけが虚しくノアの脳内に響きます。

しかし、ノアの視線の先には、森のさらに奥……ひときわ白く、ひときわ静寂が深い「大樹の空洞」が、巨大な捕食者の口のように開いて待っていました。

沈黙の森に隠された、本当の「澱み」の正体とは。

そして、ノアの「腹の虫」は本当に世界を救うのか。

彼女たちの冒険は、かつてない知的な、そして奇妙な戦いへと足を踏み入れようとしていました。

「(いくわよ、みんな。……音を取り戻して、この不気味な森を塗り替えてやるんだから!)」

アルマは音なき決意を固め、一歩、白銀の闇へと踏み出しました。

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