第55話:街道の古井戸と、水底に潜む影
「……おい、小娘。断言するが、この先の空気には、湿った『蛇の鱗』のような不快な粘り気が混じっている。……我の鋭敏な髭が、街道沿いの古井戸から溢れ出す『深淵という名の悪臭』を捉えたぞ。……これは、世界の喉元が濁った魔力で窒息し、我らの喉を潤すべき清涼な真理が、毒へと書き換えられようとしている兆候だ!」
ケットル先輩から授かった「巨大すぎる背負い袋」を揺らしながら、一行は次なる目的地への街道を進んでいた。
だが、その歩みは一つの古井戸の前で止まる。
かつて旅人の喉を潤していたはずの休憩所。
しかし、そこにある井戸からは、澄んだ水ではなく、どす黒いヘドロのような液体が溢れ出し、周囲の草花を無残に腐らせていた。
「……ひどい。……。……これじゃ、街道を歩く人たちも、近くの動物たちも困っちゃうよ」
アルマが井戸の縁を覗き込むと、底の見えない暗闇から、冷たく、そして不気味にうねるような魔力の波動が伝わってきた。
それは、オード村で戦った「澱みの怪物」とはまた違う、より意志を持った、狡猾な気配だった。
「……アルマ、下がって! ――井戸の底から、何かが上がってくるわ!」
キャスカが剣を抜き放ち、鋭い眼光で井戸を睨み据える。
その瞬間、井戸の底から「シュルリ……」と、巨大な鱗に覆われた漆黒の触手のようなものが飛び出し、キャスカの足元を狙って襲いかかった。
「……っ!? ――速い! ――まるで生きている蛇みたい!」
「(――フン。……。……。……。……。……蛇だと? ――笑わせるな。……。……あれは、水底の循環を奪い、己の糧とする下俗な捕食者……『水底の蛇』の変異種だ。……。……。……世界の澱みを吸い込み、……。……本来は清浄であるべき水脈を、……死の沼へと変えようとしているのだ)」
ノアはアルマの肩の上で、金色の瞳を細めた。
水は生命の源。それを汚す存在は、美食を愛するノアにとっても、決して許しがたい不浄であった。
「……そんな……。……。……。……放っておけないよ! ――アリス、ジャムさん! ――井戸の周囲を浄化して! ――私はこの『水底の蛇』をシャボン玉に引きずり出す!」
「……了解ですわ! ――光よ、淀みを射抜け!」
「……はい! ――癒やしの雨よ、大地を浄めて!」
アリスの光魔法とジャムの回復魔法が、井戸の周囲のヘドロを焼き払い、正常な魔力の流れを呼び戻そうとする。
だが、井戸の主はその浄化の光を嫌い、さらに巨大な漆黒の体を、水飛沫と共に地上へと這い出させてきた。
「(……。……。……。……。……。……ほう。……。……。……。……。……。……。……。……。……姿を現したな、泥の化身。……。……。……。……。……小娘、……。……。……。……今こそ、ケットルが施したあの『洗浄砲』の出番だ。……。……。……。……。……我が質量の真理に、……。……最高級の『高圧洗浄』を上乗せして、……。……その腐った鱗を一枚残らず剥いでくれるわ!)」
「……わかった! ――いけぇ、ノア!! ――魔導ブースター、最大出力!!」
アルマが背負い袋に取り付けられた「洗浄砲」に魔力を注ぎ込むと、ノアを包み込んだシャボン玉の背後から、凄まじい勢いで浄化の激流が噴射された。
「(――真理の激流を知れぇぇぇ! ――ダイナミック・ウォッシュ・プレスゥゥゥ!!)」
ドォォォォォォン!!
高圧の水流に加速されたノアの重量級の一撃が、水底の蛇の脳門に炸裂した。
浄化の水とノアの圧力が混ざり合い、蛇の体を構成していたドロドロの魔力が、一瞬にして弾け飛ぶ。
「(……。……。……。……。……。……。……。……。……。……フン。……。……。……。……。……。……。……。……水に流す、とはこのことよ。……。……。……。……。……。……。……。……。……おい、アルマ。……。……。……。……蛇の本体は消えたが、……井戸の底にはまだ『澱みの種』が残っておる。……。……。……。……。……仕上げに、我が特注の『循環のシャボン』を叩き込み、……この井戸を、……。……。……世界で一番美味い水が湧く井戸へと、……。……書き換えてやろうではないか)」
ノアが井戸の底に向かって、一粒の小さな、けれど太陽のように輝く魔力の泡を放った。
数秒後。
井戸の底から、かつてないほど清らかな、甘い香りのする水がこんこんと湧き出してきた。
「……わあ……! ――水が、透き通ってる!」
「……。……。……。……。……アルマ、……。……。……。……。……。……。……。……。……早速だが、……。……。……。……。……。……。……その一番水を汲め。……。……。……。……。……そして、……袋の二段目にある、……最高級の紅茶の葉を取り出すのだ。……。……。……。……真理の浄化の後のティータイム……。……。……。……。……これを欠かしては、……一流の魔法使いとは言えんからな)」
「……もう、ノアったら! ――でも、本当にお疲れ様!」
浄化された井戸の傍らで、一行は束の間の休息を取った。
淀んだ世界を一つずつ、自分たちの手で塗り替えていく旅。
その道程は険しいが、淹れたての紅茶の香りは、彼女たちの心に確かな希望を運んでいた。
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