第35話:学年対抗戦・開幕! 胃袋の壁と、黄金の誘惑
「……おい、小娘。断言するが、この競技場の地面は、昨日よりも磁力が十倍に増大している。……我の腹部が、地磁気に引かれて地面から離れようとせず、四肢が重力との絶望的な戦いを強いられているぞ」
学年対抗戦、当日。
王立魔法アカデミーの巨大競技場は、全校生徒と近隣の街から集まった観客たちの熱気に包まれていた。
しかし、入場門に並ぶアルマたちの表情は、勇壮な行進曲とは裏腹に、極めて険しいものだった。
「……ノア。それは磁力じゃなくて、昨夜の『テトラ・パン』のせいだよ。……私、歩くたびに胃の中で岩が転がってる気がするもん……」
アルマは青い顔で、重い足取りを一歩ずつ進めていた。
彼女の肩に乗っているノアも、もはや「球体」を通り越して「黒い鉄球」のような密度を放っており、アルマの肩はミシミシと悲鳴を上げている。
横を見ると、レオは剣を杖代わりにしなければ立てないほど腹を膨らませ、ルルは爆発する気力すら胃の重さに飲み込まれ、ポプリは綿あめを出す余裕もなく「うぷっ」と口を押さえていた。
「(……案ずるな、迷い子たちよ。……この『重み』こそが、我らの絶対防壁だ。……見てみろ、あの眼鏡の不敵な笑みを。……今こそ、空腹という弱点を克服した我らの姿を見せつけてやるのだ!)」
競技場の中央。対戦相手として待ち構えていたのは、エドワード先輩率いる三年生選抜チームだった。
エドワードは白衣の袖を捲り上げ、その背後には巨大な、布に覆われた「何か」が鎮座している。
「……やあ、ベルンさん。随分と『重厚な』オーラを纏っているね。……昨夜の夜食が、いい隠し味になっているようだ」
「……エドワード先輩。……私たちは負けません。……どんな誘惑にも、もう屈しませんから!」
アルマが(胃を抑えながら)宣言した、その時。
審判の合図と共に、対抗戦の幕が切って落とされた。
「……対抗戦、開始! ――第一術式、開放!」
エドワードが指を鳴らすと、背後の布が勢いよく剥ぎ取られた。
そこに現れたのは、魔導工学の粋を集めて作られた『超高速・自動焼き肉散布機』であった。
ジューッ!! という、魂を揺さぶるような音。
厳選された霜降り肉が、魔導の熱で一瞬にして焼き上げられ、その香ばしい脂の香りが、競技場に設置された「風の魔導具」によって、アルマたちの鼻先へとピンポイントで送り込まれる。
「(――グヌォォォッ!? ――この、暴力的なまでに、甘く、香ばしい香りは……!)」
ノアの鼻がピクピクと痙攣する。
だが、次の瞬間、ノアの胃袋から強烈な「圧」が押し寄せた。
「(……フ、フン。……無駄だ、眼鏡。……我の胃には、既に『テトラ・パン』と『マンモス肉』が、隙間なく詰まっている。……どんなに美味そうな匂いがしようとも……入る余地が……一ミリも……ないのだぁぁぁ!)」
「お、お肉……。……お肉なのに、見たくない……。……これが、満腹の力……!」
レオが涙を流しながら、肉の香りを振り切り、案山子(敵の魔導防衛線)へと突進した。
「今ですわ、リリちゃん! ――出汁のシャボン玉で、肉の香りを包囲して!」
「はい、アルマ先輩! ――シャボン・中和・バリア!」
リリとアルマが放ったシャボン玉が、焼き肉の香りを次々と閉じ込めていく。
普段なら「美味しそう」と喜ぶはずの香りが、今の彼らにとっては「胃へのトドメ」に等しい。必死の形相で、香りを封印していく二人。
「……ほう。……物理的な満腹による精神防御か。……原始的だが、実に効果的だ。……ならば、これならどうかな?」
エドワードがニヤリと笑い、屋台の底から『究極の冷製・黄金ツナのジュレ』を取り出した。
それは、氷魔法でキンキンに冷やされ、見た目にも涼やかで、満腹の胃にもスッと入りそうな、魔性の逸品だった。
「(――ッパカァァァッ!!)」
競技場に響き渡る、あの「禁断の開封音」。
ツナの香りが、冷気と共にノアの脳髄を直撃した。
「(……ア、アガガガッ……! ――ツ、ツナ……。……冷たいツナなら……別腹……別腹が……存在すると、我が脳が囁いている……!)」
ノアの瞳が、黄金色に輝き、理性が崩壊しかける。
その瞬間、ノアの体がアルマの肩から滑り落ちそうになった。
「ノア! 駄目だよ! ――今食べたら、本当に動けなくなっちゃうよ!」
「(……う、うるさい! ――あれは……あれは聖遺物だ! ――我の手で、いや胃で保護せねばならんのだぁぁぁ!)」
「……ルルちゃん、今ですわっ! ――ノア様を、爆風で押し戻して!」
アリスが叫ぶ。
「私の……私の一秒は、おかわりのためにあるんじゃない! ――ダイエットの、ためだああああ!」
ルルが自分自身の「重すぎる胃」のエネルギーを燃料に変え、特大の衝撃波を放った。
ドォォォォォォン!!
その爆風は、ツナに吸い寄せられようとしたノアを無理やり押し戻し、同時にエドワードの「焼き肉散布機」を根こそぎなぎ倒した。
「……何ッ!?」
エドワードが驚愕する中、その爆風に乗って、レオの剣が敵の防衛旗を真っ二つに切り裂いた。
「勝者、二年生チーム!!」
審判の宣言が、熱狂する競技場に響き渡る。
アルマたちは、勝利の喜びよりも先に、その場に崩れ落ちた。
「(……勝っ、た……。……我は、ツナの誘惑に……耐えた……。……。……うぷっ)」
ノアは四肢を投げ出し、満足げに(そして非常に苦しそうに)目を回した。
「……やったね、みんな。……。……でも、もう、一週間は何も食べたくないよ……」
アルマも地面に大の字になり、空を見上げた。
「……完敗だ。……まさか、自分の『食欲』を物理的な質量で封じ込めるとは。……君たちの『根性』という名のデータ、書き換えが必要だね」
エドワードが苦笑しながら歩み寄り、ノアの鼻先に、先ほどの黄金ツナをそっと置いた。
「……。……これは優勝祝いだ。……取っておきたまえ」
「(………………)」
ノアは薄目を開け、ツナを見つめた。
そして、かすかな声でこう呟いた。
「(……眼鏡よ。……。……五分だけ……五分だけ待て。……消化魔法を……自分にかけるから……。……あと、……白米を……持って……こい……)」
「(ノア! 反省してないでしょ!!)」
アルマの叫びが、春の空に高く響いた。
最弱パーティと後輩たちの学年対抗戦。
それは、魔法の勝利というよりも、強欲な胃袋と、それを守り抜いた意地の勝利として、学園の歴史に(奇妙な形で)刻まれることになったのである。




