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ペルス・ネージュの咲く頃に~売られた令嬢と銀嶺の守護者~  作者: 橘 塔子
第五章 雪解けの道を、あなたのもとへ
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春の使者

 篝火の前に戻ってきたイザベルは、冬至祭の様相が変化していることに気づいた。

 男たちの姿はなく、女たちは一方向を見上げている。


「何が始まったの?」

「ちょうどいいところに来た! 見ててごらん。男たちの馬鹿さ加減が分かるよ」


 蒸留酒で真っ赤になったナタリーがイザベルの肩を抱き寄せ、皆の視線の先を指さす。

 居館二階のバルコニーで男たちが(ひし)めいているのが見えた。狭いから外に出ているのは数人で、他は室内に押し込まれているようだ。

 楽師たちも二階にいるのか、音楽は消えていた。かわりに、馬番のイヴァルが太鼓を叩いていた。タン、タン、タン――一定のリズムで、まるで何かを煽るように。


 手摺りの脇に立つバティストが手を上げると、一人目が行動に出た。いきなり手摺りを乗り越えて、そのまま空中に身を躍らせたのである。

 イザベルが悲鳴を上げて顔を覆ったのは、そいつが素っ裸だったからだ。

 人の背丈ほどある雪山に尻から突っ込み、すぐに絶叫が響き渡った。


「いっでえええっ! 下の方固ぇじゃねえか!」


 女たちがゲラゲラ笑い、二階にいる男たちからは拍手が湧いた。

 イザベルは真っ青になった。雪下ろしや雪かきで溜まった雪は自重で押し固められ、すぐに氷と同じになる。そんな中に身を投げるなんて正気の沙汰ではない。


「大丈夫だよ。あの雪、昼間のうちに真ん中の所を砕いて掻き混ぜて柔らかくしてある。人ひとりぶんくらいの幅だけどね」


 ナタリーの説明を聞いても、イザベルは釈然としなかった。その狭い安全圏を狙って飛び降りる度胸試しなのは分かったが――。


(なぜ全裸に?)


 次の男が手摺りに立った。イザベルはもう呆れてしまって、目を瞑ることも忘れた。


「ルイーズ、愛してるよ! 今年はもひとりガキこさえるぜ!」

「受けて立つわよ、あんたぁ!」


 女房が地上から手を振って、亭主が飛び降りるのを見届けた。


 ある者は何かくだらないことを叫んで、ある者は空中でおかしなポーズをきめて、男たちが次々と雪山に突っ込んでいく。

 落ちる場所を間違えれば大怪我だし、きれいに嵌まっても凍った細かい雪で皮膚を引っ掻かれる。先に飛んだ男と女たちが協力して雪から引っ張りだし、上着を被せ酒を飲ませた。包帯を巻いた怪我人までもが挑戦するのを見て、イザベルは心の底から叫んだ。


「ばっっかじゃないの!」

「だから馬鹿だって言ったろ? 毎年の恒例なんだよ。あ、ほら次」


 振り仰ぐと、手摺りの上にはトリスが立っていた。

 ほとんど裸だが、辛うじて下履き一枚は身に着けていたので、イザベルはホッとした。後で聞いたところによると、バティストが情けをかけて着衣を許したのだという。


「イザベル! 好きだぁっ!」


 トリスは空に向かって声を張り上げた。

 あちこちから口笛が飛び、歓声が上がる。衆人環視での告白に、イザベルは恥ずかしさで卒倒しそうになった。


(最初からやり直せとは言ったけど……今じゃない。今じゃないわ!)


 しかしトリスの真剣な眼差しが落とされると、その場から逃げ出すことができなくなった。酒に酔ってのおふざけではなく、真面目に想いを伝えようとしているのが分かったのだ。


「最初に会った時にかわいいと思った! 旅の間に気になり始めて、ここに来てから完全に惚れた! あんたみたいに優しくて賢くて勇敢な女の子は他にいない!」


 女たちからきゃあと悲鳴に近い声が湧いた。イザベルは顔に全身の血が集まる気がした。


「心から愛してる、イザベル。お頭はやめて俺にしとけ!」


 最後にそう叫び、トリスは水に飛び込むような姿勢で手摺りから身を躍らせた。

 ずぼ、と頭から雪に嵌まる。飛ぶと同時に駆け出したイザベルは雪山を登ろうとしたが、下で待っていた男たちがじたばたする両脚を引っ張り出した。


「寒い寒い寒い」


 救出されたトリスは、身を縮こまらせながら滑り降りてきた。案の定、全身に細かい擦過傷を負っている。イザベルはマントを脱いで彼の肩にかけた。


「上着はどこ? あたし取ってくるわ」


 焦るイザベルの腕を掴んで、トリスは正面から向き合った。無駄なく引き締まった体には古傷が目立つ。彼の歩んできた人生の険しさを改めて思い知り、イザベルはいろいろな意味で鼓動が速まった。


「返事は? イザベル、俺の恋人になってくれる?」

「あ、あたしは春になったら家に帰るのよ」

「分かってる。でもそれは俺があんたを諦める理由にはならない」


 何とかする、とトリスは言った。

 保証も具体性もない言葉だが、嘘もなかった。傷だらけの腕も、ひび割れた唇も、青みがかった黒い瞳も、何の虚飾もなくイザベルの前に晒されている。

 これまで多くの(えにし)を失い、諦めてきたトリスが、今は真っ直ぐに自分を欲してくれている。不器用ながら未来を掴もうとしている――それが痛いほど分かったから、イザベルの方も気持ちを正直に口にした。


「……あたしもあなたが好き」

「ああ神様! ありがとう!」


 初めて聞く神への感謝の言葉とともに、イザベルはぎゅっと抱き締められた。直接触れた彼の体は冷え切っていたが、耳元に響く鼓動はイザベルと同じくらい速かった。

 お熱いねえとか、尻に敷かれそうだとか、お頭に知れたら目玉をくり抜かれるぞ、とか祝福とやっかみとからかいの言葉が次々に投げられる。トリスは気にする様子もなく、むしろ自慢げにイザベルを抱き上げてぐるぐると回った。


「ねえ服着て! お願いだから」


 首にしがみついたイザベルが必死に言うと、トリスは彼女をそっと下ろして、地面に落ちたマントを彼女の両肩に羽織らせた。

 ついでのように唇にキスをされて、イザベルは瞬きをした。


「ちょっ……目を閉じる暇がなかったじゃない」

「そう? じゃもう一回」


 トリスはにっこりして再び顔を寄せようとしたが、すぐに鼻をひくひくさせた。勢いよく横を向いた彼は、盛大にくしゃみをした。




 翌朝、目を覚ましたディミトリは、隣で眠るオルガの肩に口づけて、彼女を起こさないようにベッドを出た。

 手下どもは夜明け近くまで騒いでいたことだろう。火の始末は心配していないが、やはり少し気になって様子を見にいくことにした。


 一階まで階段を降りると、玄関ホールから続く廊下のあちこちに男たちが転がっていた。

 ある者は酒瓶を抱き締め、ある者はこの寒いのに半裸で、大鼾(おおいびき)をかいている。さすがに屋外で寝ている者はいなさそうだったが、昨晩の乱痴気騒ぎが想像できて、ディミトリは呆れた。 

 女たちは子供を連れて部屋に引っ込んだのか、冷たい床の上で酔い潰れているのは男だけだった。おい起きろ、と蹴飛ばしながら進んでいき――ディミトリは玄関ホールで愕然と立ち止まった。


 一枚の毛布に(くる)まり、身を寄せ合って寝息を立てているのは、トリスとイザベルだった。




 イザベルはトリスに手を引かれて森の中を歩いていた。

 透明な朝日が木立の間から振り注ぎ、雪が眩しく輝いている。外套を通して感じる空気は冷たいが、体が締めつけられるような厳しさは薄れていた。心なしか、風が優しい。


「足下、気をつけて。もう少しだから」


 トリスは慣れた足取りで積もった雪の中を進む。この辺は狩り場で、イザベルも何度か連れて来てもらった場所だ。見せたいものがあるんだ、と今朝急に誘われた。


 盛大に告白し合った冬至祭の夜から、三ヶ月近くが過ぎている。夜通し踊って飲んで酔い潰れて、ディミトリから大目玉を食らったのも今ではいい思い出だ。


「あん時はマジで殺されるかと思った。お頭が(ルルス)って呼ばれてる意味がよく分かったよ。おっかなかった」


 と、トリスはいまだに怯えているが、イザベルはひどい二日酔いで、説教されたこと自体あまり覚えていなかった。

 以来、二人の関係性はさほど変わっていない。仕事の合間にお喋りをして、時たま連れ立って冬の森を散策して、二人っきりになるとキスをした。

 ディミトリは内心穏やかではないだろうが、トリスにイザベルの部屋には入るなとだけ厳命して、あとは黙認していた。


「ほら、ここだよ」


 足を止めた場所で、イザベルは目を見張った。

 (もみ)の根元の雪を押し上げ、白い花が群生している。細い茎の先に滴のような花弁をつけた小さな花は、古いハンカチの刺繍と同じだ。


待雪花(ペルス・ネージュ)……」

「ほんと言うと、お頭に言われたんだ。昨日、狩りのお供でこの辺歩いててさ、花が咲いてんの見つけて、イザベルを連れてきてやれって」


 トリスは少し寂しげに言った。


「もうすぐ春だな」

「うん」


 母親の思い出の花は、想像していたよりずっと清楚で慎ましく、それでいて生命力に溢れていた。

 イザベルがここを去る日が近づいたと告げる、春からの使者でもあった。

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― 新着の感想 ―
トリス頑張りました。おめでとう!! めちゃ素直な彼ですが、過去を考えるとけしてお調子者ではないので、やっぱりイザベル効果でこうなってるんでしょうね。 でも外国の男性はこういうこと平気で言うイメージなの…
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