答え合わせ
雇い主を明かせというトリスの要求に、タネルは鼻で笑い、ヴォルカンは大袈裟に胸に手を当てた。
憐れな弟分を見る目で、
「心配すんな。おまえも一緒に来い。『鉄の蠍』に戻れば分け前はくれてやる」
「で、デュノールと戦えってか」
「おまえはもう十分役目を果たしてくれた。あとは見物してりゃいい、あの砦が落ちるのをよ」
ヴォルカンの軽口に、一瞬だけ黒いものが混じった。恨みとまでは言わないまでも、かつての因縁は確かに尾を引いている。
トリスは二人を交互に見た。
あの時デュノールに勝つか引き分けていれば、自分はまだ傭兵団にいて彼らとともに気儘な暮らしを続けていたかもしれない――そう考えると、いま自分がここにいることが不思議に思えた。
「……あんたらの雇い主、だいたい察しがついたぜ、タネル」
トリスはイザベルの前に立ちはだかったまま、伸びてきたタネルの手を撥ねのけた。険悪に淀んだ空気をものともせず、
「金目当てじゃなくイザベルを探していて、冬の山道に慣れていて、デュノールの砦を襲えるだけの戦力をもってる奴ら……案外近くにいたな」
指を折りながら根拠を挙げて、最後にそいつらの名前を口にした。
ヴォルカンが焦れたように唸る。
「そうそう、そうだよ、図星だよ、小賢しい奴め。別に意外でも何でもねえだろ?」
「でも何で、今なんだ?」
「俺たちの知ったことじゃない」
トリスは口元を歪めた。へたり込んだままのイザベルを振り返って、小さな声で囁く。
「……こいつらについて行けば、どうやらあんたは本当に家に帰れるみたいだ。そうしたいなら……」
「何をゴチャゴチャ言ってやがんだ。娘はもらってくぞ」
ヴォルカンが大きな手で強引にトリスを押しのけた。身を屈めて、イザベルの体を軽々と持ち上げる。少女は荷物のようにされるがままだ。
だが、肩に担がれ、視界が上下逆さまになる直前――イザベルは自由な両手で男の両耳を掴んだ。
力任せに耳を後ろに引っ張られ、ヴォルカンはぎゃっと声を上げた。頭が後方に仰け反る。イザベルはその瞬間を逃さず、上半身を思い切り彼の背後側に傾けた。
重心が後ろへと移動し、ヴォルカンの体勢が完全に崩れる。
二人はもつれ合って雪に倒れ込んだ。
下敷きになって呻く男の腕から抜け出し、イザベルは素早く立ち上がった。
猿轡を毟り取って、
「こんな奴らと一緒に行くなんてまっぴらよ! 家には自分の足で帰るわ!」
さっきまで怯えていたのが嘘のように威勢よく啖呵を切る。トリスは安堵の笑みを浮かべた。
すべては二人で仕掛けた大芝居だ。
昨日、あの鐘の音の合図で集まった住人たちを前に、ディミトリはこの砦が狙われていることを告げた。
彼はすでに相手の目星をつけていた。王都からやって来たフィルマン――普通は三週間かかる王都からの道のりを二週間で踏破し、疲労困憊の有様で辿り着いた部下からの情報は、その推理を裏づける根拠となった。しかしまだ決定的ではない。
そこで、イザベルは、敵の正体を掴むための餌になることを自ら買って出たのだ。
「だって、あたしを湖に誘ったのってそういう意味でしょ?」
「おい待て、誘ったとはどういうことだ?」
今にも指を切り落としてきそうなディミトリの形相に、トリスは思わず後ずさった。イザベルは無視して、
「あたしやります。やらせてください」
と、ディミトリに迫ったのだった。
油断させるための縛縄は、ひと捻りで解ける特殊な縛り方をすることにした。
それから、主にバティストを相手に体術の稽古をした。イザベルは意外と身が軽く、大男を押し倒すコツを一日で掴んだ。
付け焼刃の反撃を見事に食らったヴォルカンは、怨嗟の声を上げながら身を起こした。
「このアマ……!」
「イザベル走れ!」
トリスが叫ぶ。同時に腰の後ろの双剣を引き抜いた。横合いから突き出されたタネルの短剣とぶつかり、火花が散りそうな金属音が響く。
イザベルは一目散に駆け出した。だがその足取りは覚束ない。よたよたとよろけながら、森ではなく湖の方へ向かう。後を追うヴォルカンにすぐにも追いつかれそうだ。
しかし、岸辺から湖面に飛び降りた途端、様相が変わった。走りづらかったはずである――彼女のブーツにはあの刃のような金具が取りつけられていた。
厚い氷の上を、イザベルは水鳥のように進んだ。
よく研がれた金具はしっかりと氷を捉え、切り裂いては彼女に推進力を与える。驚くほど滑らかに体が動いて、湖面を蹴る度に速度が上がった。
耳元で風が唸り、白い息が背後に流れた。
(よかった、ちゃんと体が覚えてた!)
傭兵を欺くことより拘束を解くことより、いちばん心配していたのはこの逃走だったのだが、杞憂に終わったようだ。
追っ手のヴォルカンが派手にすっ転ぶのを、視界の隅で見た。南生まれの彼らは北国にあまり縁がない。氷の上ではまともに動けないはずだというトリスの読みは当たった。
(でも、どうやって止まるんだっけ?)
イザベルがそう思い至った時、足元の氷が黒い棒を生やした。
矢だ、と理解するより先に、同じ物が進路の先へ次々と飛来する。
相手は二人だけのはずがない。十中八九、他の仲間が隠れている。予想どおりだった。松の木の枝にでも身を潜めて、逃走するイザベルを狙ってきているのだ。
イザベルはなるべく蛇行しながら必死に氷を蹴った。次の瞬間にでも体に矢が刺さるのではないか、その恐怖と戦いながら――。
本能的に頭を庇い、視線を下に落としていたので、彼らが飛び出してきたのに気づかなかった。複数の人間と擦れ違う気配がして、顔を上げると同時にその一人とぶつかった。
彼女を抱き留めて、そのまま氷の上に身を伏せたのはディミトリだった。
「怪我はないか?」
「え、ええ」
分厚い外套の腕に囲われながら覗くと、大盾を構えたバティストが見えた。ギヨームがその陰から矢を射返している。
彼らが現れたのは、切り出して放置されていた氷塊の陰からである。傭兵たちに気づかれないよう先回りしてイザベルを奪還し、トリスの応援をする作戦だった。
ディミトリまでやって来るとは思わず、イザベルは驚いたが、
「トリスは!?」
硬く冷たい湖面の感触も忘れて目を凝らした。
岸辺で、タネルを相手に激しく斬り合っているトリスが見える。林に隠れていたらしい他の仲間もいた。二対一、いや、三対一だ。
「心配するな。トリスは強い」
ディミトリが少し不機嫌そうに言って、イザベルを抱き起こした。射手を仕留めたのか、矢での攻撃は止んでいる。苦笑交じりのバティストが盾を下ろした。
「正面からやり合ってあいつに勝てる奴は、仲間内にはいねえ。ですよね、お頭」
部下の言葉に、ディミトリはますます顰めっ面になった。それが答えだった。
首領の機嫌を損ねてしまったバティストは肩を竦め、自らの得物の斧を手にした。岸の近くにはヴォルカンがいて、先行したギヨームを槌鉾で薙ぎ払っている。
「あのデカブツは俺に任せてください」
彼は不敵にそう言った。
湾曲したトリスの剣がタネルの右の短剣を引っかけ、跳ね飛ばした。
タネルの左手はすでに深く負傷し、柄を握るだけの状態になっている。それでも右手に持ち替えようとするタネルの喉元に、トリスはもう片方の剣を突きつけた。
タネルはぐっと身を反らせて、鈍く光る切っ先と、かつての小僧を見比べた。
「おまえ、前回は手加減したな……!」
「団を離れて何年経ったと思ってやがんだ。俺は育ち盛りなんだよ」
トリスは荒い息のままで言い返した。余裕があるように見せたかったが、実際のところ楽勝とは言えなかった。
足元では他に二人の傭兵が倒れ伏して、呻き声を上げている。赤く染まった雪の上に落ちているのは、彼らの武器と、それを握っていた指だ。
「昔のよしみだ、大人しく手を引けば命までは取らない。本隊に残ってる奴らにも離脱するように言え」
低い声で恫喝され、タネルはニヤリと笑った。敗北を喫したにもかかわらず見下したような笑いに、トリスは胸騒ぎを覚える。
「今さら無駄だよ!」
湖の方でヴォルカンが喚いた。バティストとの勝負の末、彼の槌鉾は分厚い斧刃で柄を叩き折られていた。最後の方は殴り合いになって、バティストに組み伏せられたヴォルカンは、顔だけを捻じ曲げて唾を飛ばした。
「てめぇらのチンケな手勢で王軍に勝てると思ってんのか!」
凍りついた針葉樹の森を、黒い騎馬隊が進んでいる。
深く雪の積もった中、慣れた手綱捌きで馬を進める男たちは百人以上いた。全員が揃いの軍服を身に着け、剣や槍で武装している。
沈黙したまま粛々と進む隊列は、不吉な死神の行進のようだった。
彼らは森を抜けた先、デュノールの砦を目指している。
北の街道を支配する熊を狩るために。そして、その成果をもって国王への忠誠を示すために。
先頭を行く口髭の男は、王軍北部国境警備隊小隊長、ジベール・マルセル――ディミトリから袖の下を受け取り、連れ去られるイザベルを見捨てた、あの男であった。
次章へ続く




