昔のよしみ
「そうさ、おまえならすぐ気づくと思ったぜ」
槌鉾使い――ヴォルカンはあっさりと答えた。パスカルが両腕に装着していた爪状の武器は、南方の原型を彼ら傭兵団で改良したものだった。
「何年前だったかな、ナビルって町で、おもしれえおっさんだと思ったからよ」
悪びれる様子もなく、ヴォルカンは種明かしをした。
デュノールと衝突して大敗を喫した『鉄の蠍』は、頭目をはじめ半数近くの手勢を失った。とはいえ、もとより拠点を持たぬ流れ者の集団である。来る者拒まずで仲間を補充しつつ、旅を続けていた。
パスカルとの接触は、王国南西部のナビルという交易都市で、商人組合の用心棒をしていた頃のことである。商家の小間使いから、指がなくても使える武器を探している奴がいると聞き、興味を惹かれて会ってみたらそれがパスカルだったというわけだ。デュノールの一味であることも同時に知った。
「あの親父、俺らとの悶着には加わってなかったらしくて、こっちの顔は知らなかった。爪を売ってやって、何杯か奢ってやったら首領への恨みつらみを話してくれたぜ」
「武器を融通して、お頭への刺客に仕立てたってわけか」
「そんなわけねえだろ」
失笑するヴォルカンの後を、短剣使いのタネルが引き継いだ。
「あんなしみったれた親父にそんな大層なことできっこないよ。うまくいけば儲けもの、ちょっとした内輪揉めになればいいと思っただけさ。それよりも収穫だったのは」
おまえが生きていると分かったことだ、と、タネルは真顔になった。トリスのこめかみを冷たい汗が伝う。
安酒ですっかり上機嫌になったパスカルは、トリスタンという生意気な小僧が仲間に加わったことを喋ったという。もちろん、眼前の気前のいい男たちがトリスの古巣の仲間であるとは露ほども知らずに。
ヴォルカンは腕組みをしてトリスを見下ろし、タネルは脇に回って彼を凝視した。再びその手に短剣を握っている。このまま逃がすつもりはないらしい。
「この裏切者。あれだけ団長の世話になっておきながら、よくものうのうと熊の巣で生きてこられたもんだね」
「俺らに拾われなけりゃ野垂れ死んでたくせによ、あっさり寝返りやがって」
全身に絡みつく殺気を、トリスは唇を歪めただけで受け流した。
「何とでも言え。だったらすぐに俺を殺しにくればよかったじゃねえか」
「熊に殴り込みかけるほど無謀じゃねえ。それに、しばらく北の方に用もなかったしよ」
「へえ? じゃ、何か用ができたからここに来たってわけか?」
ヴォルカンは曖昧に首を捻って、その質問には答えなかった。かわりに槌鉾を肩に担ぎ直し、距離を一歩詰めた。大きな体の影がトリスの顔に落ちる。
「さてどうしてくれようか、小僧」
トリスは腰の後ろに手を伸ばした。この至近距離なら先に仕掛けられる。だが左側にいるタネルが厄介だった。
薄氷の上に立つような緊張が、三人の呼吸を止めさせた。
誰か一人でも動けば次の瞬間血飛沫が上がる。だが、血を流さなければ収拾できない。
最初の一撃への期待と、取り返しのつかない事態への戦慄――異様な空気は、突如、意外な形で破られた。タネルが笑い出したのである。
そちらに顔を向けたトリスの前で、ヴォルカンもまた破顔した。がははは、と豪快に大笑する。
「なーんてな、マジになんなよトリス!」
「やっぱり引っかかった! 冗談だよ冗談!」
タネルは手を叩いて囃し立てる。すでに短剣は鞘に戻されていた。
トリスは呆気に取られ、ようやく悪趣味な小芝居に気づいた。大きく溜息をつく彼に、ヴォルカンが笑いながら言った。
「出てった奴への制裁なんて俺らの柄じゃねえだろ。忠誠を尽くして死ぬより、生き延びて金を稼ぐのが『鉄の蠍』の流儀だ。おまえが生きてて嬉しいぜ、トリスよ」
乱暴に肩を抱き寄せられて、トリスは渋面を作った。最年少の彼は昔からよくからかわれており、彼らの性格もよく分かっていたつもりだったが、すっかり忘れていた。
「じゃあ、デュノールに復讐するつもりもねえんだな?」
「金にならないことはやらないよ。でも熊の旦那は、案外俺たちに気づいてるんじゃないのかい?」
タネルの質問にどきりとした。トリスは少しだけためらった後、肯いた。
「何日か前に、訊かれたよ。パスカルの武器に見覚えはないかって」
静養中のトリスをイザベルが見舞った日のことだ。彼女を退出させたディミトリは、持ってきた鉄の爪をトリスに見せたのだった。気の利く部下の一人が、パスカルの遺体から回収していたらしい。
『鉄の蠍』との抗争時に似たようなものを見た気がする、おまえは何か知らないか、と問われ――。
「……知らないって答えといた。勘繰られるのはごめんだからな」
「相変わらず小賢しい奴だな。そこが気に入ってるんだけどよ」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き回してくる大きな手を、トリスは鬱陶しそうに振り払った。褒められているのか馬鹿にされているのか図りかねた。
「俺を殺すためでも、デュノールへの仕返しでもないんなら、何であんたらここに来たんだ? まさか俺に団に戻れとでも?」
「違うけど、いい線いってる。昔のよしみでひとつ仕事を頼みたいんだよ、トリス」
タネルが思わせぶりに、聞きようによっては図々しい依頼をした。警戒心を露わにするトリスに、
「なに、簡単な仕事さ。熊の巣からある人物を連れ出してもらいたい。名前は、イザベル・ド・バンドール――最近連れて来られた女の子がいるだろ?」
「は?」
「俺らにとっては金になる小娘だ」
うきうきとした、まるで財布の中の金貨を数えるような口調でヴォルカンが言う。
理解の追いつかないトリスは、次の言葉でさらに混乱させられた。
「教えといてやるよ。近々デュノールの砦は落ちるぜ。その前にかっ攫って連れて来い」
屋内にもかかわらず地下の食糧庫は底冷えがする。イザベルは外套を着込んで作業に没頭していた。
大量に積まれた酒樽には、一応中身の分かる札がついていた。葡萄酒の他に、穀物原料の蒸留酒も多かった。国中の産地から買い集められているようだ。
(ひと冬分にしては贅沢だわ。どいつもこいつも酒飲みだもんね)
少しばかり呆れながら数を数え、種類を分けて手元の帳面に書き込んでいく。
食糧の在庫調査を任され、地下の酒類から始めたのは、やはり馴染みがあるからだっだ。
ディミトリは毎年イザベルの故郷で葡萄酒を買いつけていたと聞く。実家の農園産と思われる樽を見つけ、懐かしい思いがした。
同時に、またあの苦い気持ちが甦ってくる。父と母の関係を、まだ受け止めきれない。
(お母さんはお父さんに買われて結婚した。そこに本当に愛情はあったんだろうか)
訊いたところで、母は愛していたと答えるだけだろう。それが本音なのか、イザベルに確かめる術はない。父親に対してはもう尋ねる機会もない。
正解の分からない想像をあれこれ巡らすだけになり、自己嫌悪に辿り着くのを繰り返していた。
(家には帰りたくない、って言ったら、ディミトリはどんな顔をするかしら)
ふと、そんな埒もないことを考える。十七歳の少女にとっては、ディミトリとオルガの関係の方がよっぽど清廉に感じられるのだった。
「よいしょ……あれ?」
棚に積みきれず、床に直置きになっている樽をどかそうとして、イザベルは手を止めた。
樽の下の床が、石ではなく木板になっていたのだ。把手らしきものまである。
「ドア? まだ下があるっていうの?」
上に荷物を置いているのだから使われてはいないのだろうが、好奇心に刺激された。イザベルはその扉もどき全体を表出させようと、樽を押した。
「何してんの? イザベル」
聞き慣れた声で名前を呼ばれ、彼女は振り返った。
地上の倉庫から続く階段の所にトリスが立っていた。狩りから帰ってきたらしく、すでに外套を脱いだ普段着姿だった。
「おかえりなさい。今日の獲物はどうだった?」
「はは、いつもどおりさっぱりだよ」
ここで仕事をしていると聞いて、と言いながらトリスは近づいてきた。薄暗いのではっきりはしないが、表情や仕草が疲れているように見えた。
(あんなに強いのに、狩りの腕は上達しないのね)
イザベルは少し気の毒に思って、それ以上の追求を止めた。
かわりに、直前の大発見を共有することにする。彼なら何か知ってるかも知れないという期待もあった。
「ねえ、あたし変なもの見つけちゃって。ほらこれ……」
イザベルの言葉は途切れた。背後からトリスに抱き締められたのである。




