『贖罪』
「――ねえ、ほんとに大丈夫なの?」
「平気平気! 一晩くらいばれないよ」
日が落ちて、月が顔を覗かせる頃。遊真は4回目の心配を口にしていた。
屋根もしっかりと固定して、リュックの中に入れてあるランタンで光源も確保してある。夜を過ごせること自体に不安はあまりなかったが、この泊まり自体を親に怒られるのではないか。そう考えると遊真は素直に楽しむ気持ちになれなかったのだ。
「でも……」
「心配性だなぁ……」
呆れた目を向けられてしまった。
リュックの中にあったボードゲームやトランプ等は既に遊びに使い、いつも通り大差の敗北をしたので、遊真にはもう時間を潰すための手段がなかった。
なにもせず、ただうつぶせで時間を過ごして。
暗闇の中、虫の音が響くのを耳で感じるしかなかった。
その音すら最早怖いと感じてくるほど、夜の闇は遊真を蝕んでいたのだが、それを夜星には話せずに居た。
目を瞑っても闇が見え、目を開いても闇が広がる。そんな逃げ場のない状況で、ただ何か変化が欲しくて上を見上げたのだ。
「――っ!!」
ふと、顔を上げて夜空を見て、言葉を失ってしまった。
――都会で見える星なんか比べ物にならない、一つ一つが存在を強く主張して煌めく星々がそこにはあった。
煌々としていて、堂々としていて。遊真はすっかり圧倒されて、溜息すらも出せないほどになってしまう。
「ね、ねえ! 空! 空見て!」
この驚きを共有しようと、隣にいる夜星の肩をたたいて早く早くと遊真は急かす。極上の景色を共有したい気持ちもあったが、同時に普段元気な夜星が驚きすぎて静かになるという姿も見てみたいと、遊真はうっすらと考えていた。
そんな遊真の目の前で、
「んー、綺麗だけどいつもこんなもんだよ?」
――動じることなくそう言い放った夜星に、遊真は憧れ、途轍も無く尊敬した。
この先どんな人と関わろうとも、この人以上に尊敬する人など現れないと、そう確信できるほどだった。
この景色を見て、自分は大いに感動して、心を揺さぶられたのに。そんな遊真と違って思わぬところで冷静な夜星を見て、遊真の夜星に抱く印象は一瞬で、綺麗に反転してしまった。
「……ヤホ姉って呼んでもいい?」
「え、なに急に……別にいいけどさ」
尊敬する相手になら、話題なんて無尽蔵と言っていいほど出てくる。
そんな遊真に、夜星――ヤホ姉は最初こそ態度の変化に疑問を持っていたものの、特にそれ以上気に留めることはなく、遊真との対話を楽しんでいた。
尽きぬ話題はそのままに、時間だけは過ぎていく。月の高度が最高に達し終え、あとは地平線に向かって沈むのみとなった頃。
――二人は笑顔で、いつの間にか眠ってしまった。
次の日、怒られるどころか限りなく心配をされて、それはそれで心が痛むので、何も言わないで泊まるのはこれっきりにしようと二人で約束したのはまた別の話である。
■■■
「じゃあ、またねヤホ姉」
「また来年ー!」
短期間で仲良くなっている二人をみた遊真の親が、「子供ってすごい」と呟いて驚いた一幕を挟みつつ、その年は平和に終わった。
だが次の年に、遊真含めた家族が引越をすることになり、夏休みはその引越のドタバタでヤホ姉の所へ泊まりに行くことができなかった。
そうこうしている内に小学校が終わり、中学も3年が過ぎた。
そうして、遊真が高校1年生となったときだった。
「よし、やっと貯まった」
貯金箱と、その中に一瞬では数え切れないほどの一万円札。
遊真はこっそりヤホ姉の場所へ旅行に行く計画を、引越をして親から「暫くはいけないかも」と言われたときから考えていたのだ。
ちまちまとお金を貯め続けて6年。やっと往復分のお金が貯まったのだ。
「中学に入ってからつれていってくれなくなった母親なんて知らん。俺は一人で行くんだ」
夏休み。平日は親がいなくなるので単独行動し放題。
森に泊まって心配をかけた一件があるので、遊真は『ヤホ姉のところに行ってきます』という書き置きだけを残して家を出た。
初めての一人旅。都市部とはいえ中心ではないので、電車に乗ってまず東京にいかなければならない。それくらいならば高校生からしたら冒険でもないが、問題は更にそこから新幹線に乗らなければいけないことだ。
「えっと、新幹線のチケットを……」
恐る恐る駅員に訪ねごとをすると、駅員が暖かい目をして遊真に優しくチケットの買い方を教えてくれた。恐らく彼の目には親の許可なしで旅する遊真が『慣れない一人旅をする青年』に見えたのだろう。
――そうして無事に席を取り、駅弁なんて高価なものは買わずに、睡眠と景色の流し見でなんとか一駅分である3時間を過ごし切る。
そして、
「ついたぁーっ!」
新幹線から降りて、開口一番の叫びを発する。胸は達成感でいっぱいだ。
必死に記憶を掘り起こして、どうにかヤホ姉の家への道を辿っていく。
人に聞いて、記憶と照らし合わせて、なんとかヤホ姉の家へ辿り着く頃には日が沈んでしまっていた。
だが――、
「夜星は入院してるの。ごめんね」
「え、っと……病気、なんですか……?」
「うん。夜星は、中々治らない病気にかかっちゃって」
そう、自分も辛いだろうに此方を案じるような声音で、ヤホ姉の母親が遊真に告げた。
母親が何故自分をヤホ姉のもとに行かせないかの理由が、理解できた。それと同時に、自分の母親に対して心苦しい感情が湧いてきてしまう。
だが、遊真は心のどこか片隅で、正体のわからないもやもやした感情も湧いていた。
「……今日は泊まっていく?」
「ありがとう、ございます……」
――その日のお泊りは、人生で一番楽しくなかった。
■■■
次の日、朝ご飯をご馳走してもらった後、「気をつけてね」と遊真は優しく送り出された。
このまま帰るのが最適なのは理解している。わかっている。だが――、
「ヤホ姉……」
だが、会いたいのだ。
あの星空に驚いて、それに驚かなかった貴方に憧れて。
「――治りにくい病気なんて、きっと嘘だ。怪我とかで入院して……俺と合わせたくないからあんなこと言ったんだ」
高校生なんて、自分の欲望を抑えられるほど大人じゃない。そして、大人じゃないのに大人になった気でいる高校生は、大人は隠し事ばかりすると疑ってかかるのだ。
だから、言うことを聞かない。
だから、素直にならない。なれない。
だから――、
「……ゆう、ま? もしかして、身長……抜かされちゃった、かな……? はは……」
だから、いつも間違いばかり起こすのだ。
「ヤホ、ヤホ姉? あの、お、俺……その」
大人は間違ってなかった。遊真が間違っていた。
病院のベッドに横たわって、管が繋がれている従姉妹に進んで会わせようとする母親なんて人間失格だ。だからこそ、無理に会いに来てしまった遊真が――否、遊真だけが、人間失格と言われて差し支えのない存在であると、このとき強く思った。
「お、俺……」
「……前みたいに……元気、出しなよ……」
「……ごめん、なさい……俺、俺……ここに、勝手に、来たんだ……」
「……」
「皆が嘘ついてるって、ヤホ姉が、病気にかかるなんて、そんな、嘘だって……」
「……ゆうまが、あってるよ。私が、病気にかかるわけ……ないじゃん。なのに……泣いちゃってさ」
「……っ、ごめん……なさい……! ごめん、ごめん……本当に……ごめん、なさい……っ」
優しさが、痛かった。病気にかかっていないなど、わかりやすい嘘にもほどがある。
そして、そんな嘘をつかせてしまった自分が情けなくて、不甲斐なくて。
謝っても、どうにもならないのに。ヤホ姉に謝っても、困惑させるだけなのに。
なのに、申し訳ない気持ちだけが湧いて、止まらなかった。
ヤホ姉の居るベッドの横に座り、膝に乗せた手をただ只管に強く握る。
強く、強く握って――涙を流して。
「……俺が」
「……ん」
「俺が、ヤホ姉を、治す」
ここまで身勝手な行動をした、贖罪を。贖いを、しなければならない。
過去は変えられない。何か間違いを犯してしまったのなら、それを覆す何かを成し遂げなければいけない。
そして、今の遊真には贖罪のやりかたが一つしか思い浮かばなかったのだ。
「……ばかのくせに。――待ってるよ、遊真」
涙を拭いて、堪えて、どうにかこうにか立ち上がる。決意を固めて、世界で一番尊敬する人と視線を交差させる。
「病気じゃない」と、嘘をつかせてしまった。
「待ってる」と、そう言われてしまった。
だから、もう遊真は間違わない。間違いを犯さない努力を、怠らない。
「……じゃあ、またね、ヤホ姉」
「――うん、またね」
病室の扉を閉めて、入る前とは明らかに違う顔つきで、遊真は歩き始めた。




