『衝撃を以て、取り戻す』
『……一度、一番近い病院に行って聞いてみて下さい。恐らく、そこの住所を言えば何かわかると思います。それでも駄目でしたら、その時は此方が』
そう言い残した女性が、一方的に電話を切って対話を終わらせてしまう。
考えてみれば当たり前の話である。救急の電話だという前提での話なのに、相手が支離滅裂な会話をしてくれば切るのが当然だ。むしろ、病院へ行ってくれと一つの道を提示してくれた時点でだいぶ温情があると考えるべきだろう。
だが、今の遊真にはその提言を受け入れるほどの余裕がなかった。
「いつから……!? なんで忘れてる!?」
混乱が、脳内を支配していく。
混沌が、身体を満たしていく。
自分が、根底から覆っていく。
全てを、信じれなくなっていく。
何故とどうして、そしていつからも加わって、遊真の脳内を不安が渦巻いていく。
「なんで思い出せない……なんで、なんで……っ!」
いっそのこと、丸々『全て』忘れたままでいればまだ良かった。
従姉妹がいることは明確に覚えているし、遊んだこともしっかりと記憶に焼き付いている。
――なのに、顔と名前が思い出せない。こんな中途半端な記憶喪失など、知りたくなかった。こんな場所、来なければ良かった。
『それは違うよ、お兄さん』
「――ぇ」
蹲った遊真。その横から発される声が遊真の耳朶を打った。
「違うって、なにが」
『最後のことだよ』
「さい、ご……?」
まるで意味がわからない。何の最後、どれに対する最後、全く持って言葉が足りな――、
「……ああ、そっか」
困惑や混乱で脳が高速で回転しているおかげだろうか。少女の声が言った『最後』が何処なのか。なんとなく理解できた。
――言われてみればそうだ。
縋った藁に知りたくなかった現実を見せつけられ、理由もわからない記憶喪失を不本意な形で知ったとしても。
この場所に来なければよかったと思うことは、断じて違う。間違っている。誤っているのだ。
ゆっくりと立ち上がり、縁側からしか見ることのできない、雄大な自然を視界いっぱいに堪能する。
深呼吸をして、乱れた心に落ち着きを取り戻す。
自分の記憶喪失にうなだれるのはいい。知りたくなかったと嘆くのも構わない。だが、『来なければ』と言って、かつての楽しかった記憶まで邪魔者扱いするのは、絶対に間違っている。
――今の遊真は人生最大限に精神不安定だが、それだけは言い切れる。
「記憶喪失も、今から調べれば良いんだ」
何かの取り返しがつかなくなったわけじゃないのだ。だから、戸惑う必要なんてない。
「そうだ」
重要なことに気づかせてくれた少女にお礼をと、声のしていた方に振り返り「ありがとう」と感謝を伝えようとしたが、既に少女は消えていた。
「まあ……またどっかで会えるかな。――ひとまず病院だ」
従姉妹の記憶と、何故遊真の記憶がないのか。
行ってわかると確定した訳では無いが、行ってみないとわからない。
――遊真は縁側から軽く飛んで地面に着地し、病院へと一歩ずつ歩いていった。
■■■
アスファルトの温度が、靴を貫通して遊真の体力を削っていく。
文明の利器を駆使して近場の病院の場所を突き止めたところまでは順調だった。しかし如何せん田舎なので『近い』といっても都会民からするとそこそこの距離離れているのだ。
そしてそれに並列して、毎年更新されていく最高気温が遊真の体内から水分をどんどん奪っていく。
「ここ登ったら、病院のはず……!」
中々角度のある傾斜を気合で遊真は登っていく。
そうして進んでいくと、坂の終わりと同時に見えてくるのは白を基調として建設されている病院だ。
自動ドアをくぐり抜けて、冷房の効いた病院内を遊真は堪能する。
受付で細かいことを済ませると、「名前を呼びますので」と言われ、一度受付の人とはさようならだ。
冷房だけでなく、椅子に座って休みたいと思わないでもないが、やはり田舎なので待ち時間も少なく、すぐに自分の名前が呼ばれてしまった。
「えぇっと、安田さんですね。本日はどうしましたか?」
「その……記憶喪失で、ある人を思い出すことができないんです」
医者がすぐさま怪訝そうな顔つきになる。開口一番記憶喪失というこっちが悪いのでしょうがないが。
「ここの住所に住んでいた、自分の従姉妹なんですが」
――途端、医者が驚いた顔を見せた。
遊真に向ける怪訝な表情は最早何処にもなく、疑いの目と、少々の憐憫の目を、向けられてしまう。
確実に、事情を知っている。何も確定ではないが、どこか遊真は確信していた。
「その人の名前って、わかりますか……?」
「え、えぇ。わかります。わからないはずがない。――しかし、」
「あのっ! その名前、教えてくれませんか!?」
「も、勿論。美空夜星さんです」
直後、脳に若干の痛みが走る。
「そう……だ、そう、夜星! ヤホ姉だ! 今ヤホ姉が何処にいるかわかりますか!?」
未だ記憶に穴はあるものの、名前が知れたのは大きな一歩だ。
思わず立ち上がり、落ち着くために何度か深呼吸をしようとする遊真に、医者は返答のためか口を開く。
――記憶とは不確かなもので、思い込みで捏造ができたり、あまりに嫌なことなどは蓋をして思い出さないようにできてしまうときがある。
――記憶喪失などその不確かさを象徴する一つ。
物理的、あるいは精神的に大きなダメージを負ってしまうと、そこだけ、最悪の場合全ての記憶が抜け落ちてしまう可能性がある。
逆に、記憶のない状態で再び同じ程の衝撃を食らえば、記憶が戻る可能性もあるという。
つまり、何が言いたいのか。――遊真に強い衝撃が加われば記憶が戻る可能性があるということだ。
――そして、
「美空さんは……亡くなっています。その……癌で」
その言葉には、遊真が記憶を取り戻すのには十分すぎる衝撃があった。




