『輪郭を得て』
――おかしい。何かがおかしい。
先程からずっと、違和感がありすぎる。
タクシーから降ろしてもらったあと、記憶を頼りに道を進んでいた遊真だが、明らかに雑草の背丈が高すぎるのだ。
まるで、人の手が加えられず何年も放置されていたようかのようにのびのびと背を伸ばしている。
「なんで……?」
答える人もいないというのに、疑問が口をついて出てしまう。
それほど、昔の記憶と差異がありすぎる。
そんな背の高い雑草をかき分けながら進んでいくが、時々肌を掠って鬱陶しい。夢では膝下くらいだったはずなのに、いざ現地に来てみれば腰くらいまでは余裕で伸びている。
――雑草の力強さをこんな所で実感するとは思わなかった。
「ハァ……ハァ……」
草をかき分けながら、太陽光に差されて進む。
夢の世界ではその不快さが無かったからスイスイと進むことができたが、現実はそう上手くはいかない。少し進むのも一苦労である。
そうして、かき分けて、踏んづけて、避けて、歩いていった先に――
「……あった」
蔦が絡まった、廃墟となった家がそこにはあった。
■■■
「なん、だ……これ」
これは、どういうことなのだろうか。
記憶にあった家は、古めかしくもしっかりと手入れが行き届いており、何処にいても人の温かさを感じることができた。
だが、今のこの惨状はなんだ。一体、何が起こっている――否、
「……起こったあと、なのか?」
違和感の正体を探りながら、記憶とは別物の姿に成り果てた家へと侵入する。
――人の気配がないし、最早誰かが住んでいるとも思えないので、侵入という言葉が正しいかはわからないが。
歩を進めて、土やら泥やらが入り込んだ屋内を見渡していく。
明かりもない薄暗い一階、腐り始めている階段を登って二階を見て回り、異常性だけを理解し続ける。
「こっちに……」
再び一階に降りて、夢と同じように縁側を見に行く。木には蔦が絡まっていて、かつての面影など何処にも――、
「文字!」
遊真は弾かれたように目を見開いた。
思い出したのだ。夢の世界で、この木の柱に何か文字が彫られていたことを。
柱に近づき、蔦を無造作に剥がしていく。木を軸にして何周もしている蔦は取りづらく、しかもそれが何本ものさばっている状態だ。
「くそ……っ!」
力任せに無理やりに蔦を剥がし、植物の切れる音が青空に吸い込まれていく。
そうして、ようやく全貌を見せた木の柱。そこには、
「『キンキュウジ』って彫ってあんのか。それにこれ、電話番号……?」
どこに繋がっているのか皆目検討もつかない、見覚えのない電話番号がそこには彫られていた。
迷っている暇などない。違和感は依然遊真の脳を揺らし続けている。
スマホを取り出して、打ち間違えぬように慎重に、しかし素早く入力を済ませていく。
コール音が何度か鳴り始める。どうやら打ち間違いはしていないようだが。
「……まずこれはなんの電話番号なんだよ」
スマホに表示される画面を睨みつけても、答えは得られない。
だが、少なくとも通話相手は何かしらの情報を有しているだろう。
――それが遊真にとって悪影響を及ぼすか、有益であるかは定かではないが。
『――はい、こちら緊急医療センターです。そちらの現在地、患者さんのご容態をお伝え下さい』
「……」
『……大丈夫ですか?』
――もう、訳がわからなかった。何もかも、全部。
言いたいことが山程ありすぎて逆に一つも口に出ないほどだ。
『もしもし、もし容態がわからないのであれば現在地だけでも大丈夫ですので』
――もういい、ヤケクソだ。
「住所、住所は……」
母親から送られてきた住所を読み上げ始める。それを聞いた通話相手が漏らす怪訝そうな溜息で、初めて通話相手が落ち着いた雰囲気のある女性であることを遊真は認識した。
「――で、住所は以上です」
『ありがとう、ございます。――ここって……』
「あと、わからないのが当たり前だし、迷惑なのもわかってるんですが……俺の従姉妹、知ってますか?」
知ってるはずがない。わかっている。理解している。しかし、ここまで訳のわからない状況に追い込まれているとき、藁にも縋るのが人間なのだ。
『ここの住所……あの、その人の名前、わかりますか?』
「え、えぇ、はい。えっと……」
忘れているはずがない。昔とはいえあそこまで仲良くしてもらったのだ。忘れている訳が、
「え、えっと……あれ、な、え……」
――暑さで浮かぶとは別の汗がうなじをつたっていく。外の色々な音が無駄にクリアに聞こえるくせに、遊真自身の脳内はこれっぽっちも明瞭にならない。
「あ、あれ?」
思い出せない。
言葉が、つっかえる。
――一文字も、出てこない。
それどころか、顔すら――、
「な、なん、で……?」
ことここに至り、遊真は自覚を果たした。
記憶を失っている。
輪郭を得てようやく気付いたのだ。
――自分の空洞に。




