『夢と、現状と』
都会住みの悪いところの一つは、壁が薄いところだろう。隣人がもし騒がしい大学生等であれば、毎日どんちゃん騒ぎをやられてしまう。
時にはそれが昼間から起こることもあるので困りものである。特に、事実上永遠の夏休みを手に入れた遊真にとっては。
「ふあ、ぁ……うるせえなぁ、隣……」
不満を口に出しつつ、注意する気力もないので無視をする。
時計を見れば昼の12時を回っており、今日一食も食べていない遊真がこれから食べる食事は朝飯ではなく昼飯になることが決定した。
ひとまず冷蔵庫の中身を確認しようと立ち上がる。――が、何故か体が動きづらい。
「なんっだこれ……俺はまだ20代前半だぞ」
寝起きで意識をふわふわと宙に漂わせながら、遊真は冷蔵庫にたどり着く。
そして、冷蔵庫を開ける際に視界に入り込んだ腕を見て、遊真はようやっと体の違和感、その原因に気付くこととなる。
「――俺スーツじゃねえか!!」
そう、社畜精神が板につきすぎてスーツで寝たことに気づいていなかったのである。
これはまずい。折角休みを手に入れたというのに精神のどこかに社畜が存在していては楽しめるものも楽しめなくなってしまう。
――まずは至急、精神の矯正から始めるべきだと、遊真は悟った。
ならば、その方法はどうするか。何をしたら一番早く矯正できるか。
「……夢にも出てきたし、従姉妹の所久々に行ってみるか」
思い立ったが吉日。遊真は今日、見切り発車且つあやふやな記憶を頼りに田舎旅行へと漕ぎ出した。
「さぁ……まずどこだったっけな、あそこ」
家を出て、開口一番。まずは身近な人に頼って探していこう。
「母さん出るかなぁ。――いきなりだし平日だし、厳しいか……?」
急な電話に出れない理由上位に入りそうな理由2つが重なっている時点で少々望み薄である母親への電話を、遊真は今試していた。他にも何人か知ってそうな人物はいるが、まず頼るべきは実の母であろう。
「――やっぱ流石に出ないか」
コール音が十に届きそうになり、やはりこの時間に電話をかけても出ないと確信した遊真は電話を切る。――直後、折り返しがかかってきた。
「うおっ、出れるのかよ。びっくりした」
『パートの休憩時間利用してるだけだよ。なんでまた急に電話なんか』
いつも通り、ちょっとそっけないながらも愛を感じる声音。間違いない、正真正銘遊真の母親だ。まあ、そんなこと当たり前だが。
「いや、実はさ、会社から長期休暇もらって。折角だし久々に従姉妹のところ行こうと思ったんだよ」
『じゅうし……え、あの子のとこかい?』
「うん。でも従姉妹の住所忘れちゃってさ。あの、田舎っぽいところ、どこだっけ?」
『……メールで住所送っておくよ。というか、大丈夫なのかい?』
「――?」
大丈夫という言葉が何に対する大丈夫なのか一瞬わからず、会話が止まってしまう。
「……あぁー、お金? お金ならなんか案外貯金があったからなんとかなるよ。大丈夫。しっかり数えてないけど」
『いや、そうじゃなくて……』
「なんだよ、自慢の息子だから金の心配なんてしてませんってか?」
『お金も勿論心配だよ。でも――』
「心配なんて大丈夫だって。会社でめちゃくちゃ働いてるんだぜ? 俺」
「まじで馬車馬みたいに働いてたから、あのくらいの貯金はあってしかあるべきかも」と笑いながら会話を続ける遊真だが、母親との会話が先刻から何処かズレているという感覚が、遊真の中で拭えなかった。
やはり夏だから皆暑さにやられているのだろうか。お金の心配など、社会人となった息子にするようなものじゃないだろうに。
「さては母さん、夏の暑さでバテてるな?」
『……そうかもしれないねえ。まあ、行っといで。楽しむんだよ』
「勿論!」
――遊真の自信満々の返答を聞いた母親は、どこか安心したような溜息をついたのち、ワンテンポおいて通話を切った。
会話の若干の噛み合わなさに幾ばくかの違和感を覚えるものの、遊真はそこまで気にすることはなく、住所を送ってくれたことに感謝をしながら駅へ向かった。
住所はここから東京まで出て、そこから新幹線を使うようなルートである。新幹線に三、四時間揺られていればつくだろうほどの距離である。
「行ってみるかあ!」
――夏の暑さで見た夢の景色を追いかける無職が一人、太陽のもとを歩き出した。




