『いつからだったか』
「やっと終わったぁ……!」
暑さでの朦朧なのか、疲労での居眠りなのかわからない意識不明状態を罵られたその日、遊真はやっとの思いで仕事を終わらせて帰路につくことができた。
もう夜だというのに気温はあまり落ちず、蒸し暑い空気が漂う夜を、遊真は一人で歩いていく。
見上げれば、空にはぽつぽつと星が浮かんでいた。満天の星空を拝めないのが、都会住みの欠点の一つである。
「まあ、夜でも明るいからしょうがないか」
夜空を見上げたままに、歩みを止めずに溜息を付く。
「……早く帰って寝るか」
そう呟いた遊真は、少々キツイこの体勢を終わらして家に帰ろうと決心し、視線を前に戻して顎を引いた。
「――」
ちょうど前へと戻した視界に向こうからこちらに歩いてくる人が入る。今の遊真が歩いている道は幅が2人半程しかないのだ。あのまま進んでいれば気づかずにぶつかっていただろう。
「あぶねあぶね、前はちゃんとみないとな……」
ぶつからぬように道の脇に逸れて――そしてわざとぶつかられてしまう。
「ぁ痛っ……すいません」
「……っち」
去り際にわざとらしく舌打ちをされてしまった。
完全に聞かせる気で打ったであろう舌打ちが耳に入り、多少モヤモヤとする気持ちを抱えるが、ここで何かしたら相手の思うツボである。
「まぁ、ああいうやつは何処にでもいるんだし、気にしてもしょうがねえな」
小声で呟いた遊真は呆れた顔をしながら、振り返らずに再び帰路についた。
――夜空のきれいな夜である。
「そういやあ」
ふとした瞬間に空を見上げる癖、いつの間に付いたのだろうか。
■■■
しぱしぱとする目を何度も瞬きさせながら、不安定な意識を覚醒させようと努力をする。
仰向けのまま右手で目を擦り、大きな欠伸をしながら体を起こした遊真は、今自分の居る場所が家であることに感動を覚えてしまった。
「……いや、こんなことに感動覚えるとか末期だやべえ」
数少ない休日なのだから会議の資料を作る等有意義な過ごし方をするべきであり、普段との些細な違いに感動を覚えている暇などないのだ。
――と、頬を叩いて無理やり意識を覚醒させようとした瞬間、ピロンとスマホの通知音が遊真の耳に入り込んだ。
上司からの連絡かと急いでスマホを起動する。休日なのに休まる暇が無いことに疑問を持てない異常さである。
「――」
だが、そんな朝から続くバタバタも、次の瞬間には終わりを告げていた。
光る電子版に表示される文字を何度も読み、脳内で何度も反芻する。
反芻して、脳が文章を理解して尚遊真の眉は怪訝を示してしまう。が――、
「……あ」
気づけば視界に写っているのは天井だった。寝る体勢に逆戻りしたのだろう。
深呼吸をしながら、意味もなく起こした上半身をまた布団にダイブさせる。
若干の力を腹筋に入れながら、またしても上半身を起こして――またダイブ。
何度も繰り返し、そうしているうちに謎の笑いが込み上げてきてしまった。
「……くは、ははは!」
――6徹夜の6連勤を経験した人間はだいぶおかしくなるらしい。
再び上半身を起こして、ダイブ。――その瞬間に大の字で布団に倒れた遊真は、汚れた白天井を見て、
「はは! あっはは!」
今日一番であろう笑い声を発した。
笑いが止まらない。愉悦が留まるところを知らない。
――当然だろう。だって、『解雇予告通知表』なんてメッセージがスマホに表示されたいたのだから。
「え、まじ? これ夢?」
頬をつねっても、何度布団にダイブしても目が覚めない。――なら、こちらが現実ということで確定だ。
「……マジなのか……マジなのか……!!」
興奮したせいで同じ言葉を馬鹿の一つ覚えのように繰り返してしまうが仕方がない。奇行も発狂も繰り返しも、開放への興奮を抑えきれないからこそ溢れ出てしまっている産物なのだから仕方がないのだ。
「取り敢えず。取り敢えず……」
深呼吸をして多少落ち着いたのか、遊真は一度奇行を止めて、冷静に頭を回し始める。
たった今から、自由なのだ。解雇の手続き等面倒くさいものはあるだろうが、取り敢えず今は自由。
では、何をするべきなのか。
今までのブラックな日々から光を取り戻すために、まず何から始めるべきなのか。目を瞑って顎に手を当て、冷静に思考を回して判断を下す。
そして選んだ未来は――、
「寝よ」
二度寝だった。
■■■
――久しぶりに何も心配せずに安眠したからだろうか。いつからか見ることが無くなった夢を、遊真は見ることができた。
それも、今自分は夢を見ていると自覚できる珍しいタイプの夢。
夢だからしょうがないが、全体的にフィルターのようなものがかかっており、音がぼやけて聞こえる。
『ここ……』
夢の舞台に選ばれたのは、幼少期の時に泊まりに行った田舎町。
鈴虫や蝉など履いて捨てるほど存在を主張しており、そこら辺の虫や草が都会とは比較にならないほど大きかった記憶がある。
実際、夢でもその大きさは再現されていた。
――視界に入る情報に覚えがあっても、足裏の感触や感覚、匂いは感じることができない。だから、砂や石の混じった砂利道を歩いていても、その感覚を持つことができない。
それらのせいか、既視感しかない景色だがどこかちぐはぐな印象を受けてしまう。
『懐かしいな……ここ』
この場所に来たばかりの遊真は田舎での過ごし方を知らず、ただ物珍しい縁側に座ってぼーっと時間が過ぎるのを待つだけだった。
しかし、そんな暇そうな遊真を見つけた従姉妹が、遊び方や過ごし方、諸々を手取り足取り教えてくれたのだ。
あのときは勝負ばかりして感謝も、ありがたいと思ったこともなかったが――、
『今思えば、姉ちゃんのおかげで楽しい泊まりになったんだよな』
人の気配のない、夢の世界。
既視感もありながら、何処か別世界のような感覚のある、夢の中。
懐かしい記憶を刺激し続ける砂利道をゆったりと歩く遊真の顔には、社会に出てから一度として覗かせることのなかった笑顔に溢れていた。
『たしか、こっちに行けば……』
幼少期の不確かな記憶を頼りに、畦道と砂利道の入り混じる道に足跡を刻んで行く。
そうして、朧げながらも進んでいくと、見えてくるのは二階建ての大きな木造一軒家である。
随分と古い雰囲気があるが、田舎ではこの感じが当たり前であることに現地に着いて初めて知って、驚いたことをよく覚えている。
懐かしさに心を踊らせながら、遊真は木造一軒家の中へと脚を進める。
中は木でできた支柱に、襖や畳など、大多数の日本人が思い浮かべるであろう『古い家』の造りとなっている。
自分の泊まった部屋や、台所、そして二階には従姉妹の部屋があるところまで、遊真の夢はきっちりと再現していた。
『……こっちは』
ふと脚を止めれば、見るだけで温かい目になってしまうほど懐かしい縁側がそこにはあった。
『スイカとか食べたっけ。あんときの最高気温とか、今考えればまだまだだよなあ』
縁側あぐらで座り、顎に手をついて記憶を掘り起こす。
――と、
『ん……?』
木の柱に、何かが彫ってある。
雑で見にくいが、これは――、
『文字……?』
――突如、急速に世界の色が失われ、遊真は夢から覚めてしまった。
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