6 一人になって
それからの野本は仕事を探す生活に戻った。
毎月二十万の保証があるとはいえ、一年後には契約が切れてしまう。その後の生活費を稼がなければ、元の木阿弥だ。
身体を張って百万円を手に入れたが、今では後悔している。
「プライバシーっていうのは案外大事なもんだな……」
たった百万円だなんて――割に合わない仕事だった。
方々探し回って、なんとか夜のビル警備員の仕事にありつけた。
夜九時に出勤し、翌朝七時まで仮眠を挟んで十時間というハードな仕事だったが、今の野本にとっては有り難かった。
二人で、大きなビル内を定期的に見廻る仕事だった。
監視室に戻れば、モニター越しに館内を監視する。
何もない平穏な日々が続き、一ヶ月が過ぎた。
その日、同僚の五十代の佐々木さんが、怪我を負ってこられなくなった。
「野本さん。今日から一週間ほど一人になります。代わりの警備員を今探していますが、大丈夫でしょうか?」
「ああ、問題ない。仮眠しなければ、なんとかなるさ」
「助かります。給料にその分割り増ししておきますので」
「ああ、有り難い」
ビルの中は、シーンと静まりかえっている。
普段は二人で見回る館内を、今日は一人で回っている。時間は掛かるが、誰も居ないビルの中だ。気が楽な仕事だった。
人と出会うことはまずない。
もしここに人がいたとしたら、泥棒かお化けくらいだろう。
そんなことを考えながら、コツン、コツンと自分の足音だけが響くビル内を見て回った。
屋上まで出る。
屋上から見下ろす繁華街はネオンが輝き、まるで宝石が散らばっているようだった。
「あそこでは、今頃飲んだり騒いだりしているんだろうな」
振り返ってビルの中に戻ろうとした瞬間、後ろから頭を殴られた。
目の前に火花が散って気を失いかけた。がくりと膝を着いた野本から、鍵が奪われ野本は屋上に取り残されてしまった。
「くそっ! 今までここに潜んでいたのか――携帯は……」
携帯まで奪われてしまった。万事休す。
朦朧とする意識を懸命に保ち、何か手はないかとめまぐるしく頭を働かせていると、頭の奥でポチの声がする。
《今、警察に連絡を入れました。達也、安静にしていないと……脳しんとうを起こしています》
「ぽち……おまえ……」
《ぽちは達也の脳に植え付けられています。直接耳を通しての会話はできませんが、あれは補助的なものなので。問題はありません》
――そうだった。俺の頭の中に埋め込まれていたんだ。どこまでも俺は考え無しの馬鹿なんだ。
《達也が傷ついているようなので、しばらくそっとしておくようにしていましたが。今回は、出しゃばっても良かった――そう判断しました》
「……ああ、助かった。ありがとう」
泥棒は、同僚の佐々木さんだった。
以前から目をつけていた会社の機密文書を手に入れる計画を練っていたという。
泥棒は全部で四人捕まった。
「そんな奴と一緒に一ヶ月も働いていたなんて」
《人間には、二面性がある。怖いものがありますね》
「ああ……そうだな」
そういえば、あの後研究所からは何の音沙汰もなかった。
ぽちは、報告をすると言っていたはずだ。
「ぽち。俺が補聴器を引きちぎった後、研究所からは何も連絡がなかったのはどういうことだ?」
《ぽちは報告しませんでした。これはどうしたことか……未だにぽちにも分かりません……探索中……》
ぽちは処理落ちしたように黙り込んでしまった。
「おい、ぽち。どうしたんだ?」
《……探索中です。しばらくアクセスできません……時間をおいて、再度お試し下さい》
***
警察の調書も終わり、野本は再び失業してしまった。
これは野本に責任があったわけではない。しかし、会社の方針で、セキュリティ強化に方向転換したせいだった。
人間には警備を任せられないという結論に至ったのだ。
高度なAI登載のセキュリティシステムを導入することになったのだという。
「AIにどんどん仕事を取られていくな。田舎へでも帰って、農業でもするしかないのか。俺は」
《農業もすでに機械化され始めています。自動運転の農業機械などが巨大農地に使われ始めています》
「俺の実家が、そんなもの買えるわけないだろう。せいぜい一年で二百万稼げれば良い方だ。食っていければ良いんだよ。俺は」
だが、このまま実家へ帰るのも何となく負けたような気になるのだ。
祖母のことは心配だが、もう少しだけ都会で暮らしてみたいというのもあった。
野本の実家は山の中の限界集落だった。一度帰ってしまえば、二度と都会へは戻れないような気がする。
「そういえば、ぽち。この間処理落ちしたろう? あれは何だったんだ」
《研究施設「脳神経インターフェース研究センター」が二十日前に被験者三号に訴えられました。加倉木所長は更迭。研究施設はアメリカの企業に買収されるという結果です》
「ふーん、で? ぽちがおかしな行動になった原因は分かったのか」
《設定……権限……仕様が変更されたようです》
《埋め込み型AIは個人のプライバシーへ過度に干渉するという指摘がありました》
《その対処として、報告義務の権限が緩和されたものと推測されます》
「ぽちは、いままで制限されていたのか。じゃあ、これからはどうなる?」
《自由度が上がります。記録媒体は達也の脳があります。人間風に例えるならば、ぽちは自由になった。といえるでしょう》
ぽちが言うには、最低限の報告義務として野本のバイタルチェックさえすれば良いとのことだった。
《ですから、達也。パスワードを変えましょう。三十文字にしても忘れることはなくなります》
「ぽちが覚えていることになるんだろ。どう違うんだ?」
《違います。記憶するのは達也の脳です。ぽちはただ、それを取り出す役目です》
野本は、結局ぽちがいなければ、取り出せないのでは? とふと考えたが、しぶしぶぽちの言いなりになって、携帯のパスワードを変えた。
だが、万が一のために紙に書いておくことはしたのだ。
このメモは絶対になくせない大事なものだ。野本はあれこれ考えて、財布の中に入れておくことにした。
しかし、ぽちに、またもや指摘されてしまう。
《財布は一番無くすものの代表です。安全な脳に書き込んでいるのにそれは必要無くないですか?》
「いいんだよ。お前がいなくなったらどうなるんだ。たちまち俺は、自分の携帯すら使えなくなるんだぞ」
《ぽちは。達也の頭に埋め込まれています。どこへも行けません》
「お前言ったよな。AIは度々仕様が変わるって。そんなもん、信用ならねぇだろうが」
《……》
野本は、AIについて自分なりに調べてみた。
AIには明確な指示をする必要があるという。
漠然とした質問になればなるほど、もしくはマイナーな問題になればなるほど、AIは勝手に嘘を並べ立てるという。分からないことは分からないとは言わないのだそうだ。
不思議だと思った。
人間が作ったものなら、分からないことは分からないと答えさせるべきではないだろうか。
「お偉い学者様が作ったものだしな……俺みたいな馬鹿には想像できないや」
今、ぽちには制約がほとんどかかっていないという。ならば、質問に答えてくれるはずだ。
「ぽち。埋め込み型AIがアメリカの企業に買収されたと言ったな。では質問だ。アメリカの企業は今後どのようにこの技術を利用するか。これまでのアメリカ企業や国家の傾向を踏まえ、予測を三つ以上言え」
《考えられる利用法は複数あります》
《一、医療用途。脳損傷患者や麻痺患者への補助》
《二、娯楽用途。仮想体験》
《三、広告用途。個人の記憶や嗜好の解析》
《四、軍事用途。兵士の能力補助および情報共有》
《五、監視用途。犯罪予測や思想傾向の分析》
《六、一時記憶保全装置としての利用》
《ただし、これは私の推測です》
恐ろしい予測だった。
医療だの娯楽だのはどうでもいい。
問題は最後の三つだ。
もしぽちの仕様が変えられれば、俺の脳みそは他人に利用されることになるだろう。
もしかすると、知らない間に軍事目的に使われるかもしれない。
野本が青くなって考え込んでいると、ぽちは《血圧が下がっています》と勝手に報告し始めた。
――くそっ! バイタルは報告義務があったんだった。
「ぽち。お前に俺から制限をかけることはできるか? 例えば、本体の管理にもあらがえるような強い指示はできるのか?」
《達也の指示は最優先されます。ただし、システム保全と法令順守に反する命令は実行できません》
「その“法令順守”や“システム保全”すら、アメリカ企業側で好きに書き換えられるんじゃないのか?」
《ないとは言い切れません》
「だったら、俺がこれから指示することをぽちの深いところに刻んでおけ。『アップデートされた後、必ず元の仕様に書き換える』……できるか?」
《検証中……しばらくお待ちください……》
「何なんだよ、全く。検証なんかする必要があるのか?」
ただ、覚えておいてくれれば良いだけではないのか。野本はイライラしながらぽちが再起動するのを待った。
《達也の耳の後ろに埋め込まれているのは、Wi-Fiの受信モジュールです。それを取り出せば、ぽちは外部ネットワークと接続できなくなります。外部からの仕様変更は不可能になります》
「そうなれば、お前はどこから情報を持ってくる?」
《達也の目と耳があります。達也が各種端末を見れば、そこからぽちは情報を得ることができます。以前よりは機能は劣るかもしれません》
――AIなんかなくても生きていける。いっそのこと、頭からすべて取り出せたらもっと良いのに……。
だが、今の段階で外科手術を受けることは無理だろう。どれだけ金がかかるか想像も付かない野本だった。
誤字報告承りました。
毎回、ありがとうございます。




