3 目覚め
野本は数時間後目を覚ました。
まだ麻酔が残っているせいか、目の焦点が合わない。
「お目覚めですね、野本さん。どうですか、具合は」
「……具合……悪くはない……と、思う……」
「痛みはしばらくすると出てきます。頭を切り開いたのですからね。当然です、ふふふ。すぐにそのブザーを押してくれれば対処します。このまま24時間安静にしていれば普通に生活できますよ」
加倉木はそう言い残して、ニヤニヤしながら部屋を出て行った。
――あいつのにやけ面はデフォルトなんだろうな。
あれでは、世間の仕事には就けなそうだ。と独り言ち、そろりと耳の後ろに手を当てて探ろうとしたが、布に覆われた頭に気が付いただけだった。
頭全体が包帯で覆われているようだった。
しばらくすると、麻酔が切れてきたのが分かった。
じりじりとした痛みが、額から頭頂部に走って行く。耳の後ろも僅かにチリチリする。
「傷口の痛みか……これくらいなら我慢できそうだ」
野本は目を閉じて、ひたすら痛みが引くのを待った。
ションベンの管を通された部分に違和感がある。
定期的に、点滴を替えに来た男性職員にこれを外してくれないかと頼み込む。
彼はしばらく逡巡した後「分かりました」と、素直に管を外してくれた。
「トイレはこの扉です。一人では行かないで下さい、私が付き添います。短い距離ですが、めまいを起こして転倒してしまうかもしれません。尿意を催したらブザーで知らせて下さい」
ここに来て、加倉木以外と初めて会話らしい会話をしたなと、野本はやや驚きながらも職員の後ろ姿を見送った。
――ここの職員のすべてが化物じみているというわけでもなかったのか。
野本は、何となくほっとして目を閉じ、痛みから気を逸らそうともう一度眠りについた。
耳元でぼそぼそと話し声がして、野本の意識が浮上してくる。
《体温三十七・一――正常値プラスマイナス〇・三。痛点二十パーセントをやや下回る。栄養状態――やや不良》
――くそっ、誰かがまた勝手に俺の健康状態を検査している。
このところ、人間扱いされいないことには諦めムードだったが、人がせっかく痛みをやり過ごそうとしているのに邪魔をされて、野本の気分は最悪だった。
「うるさい!」
話している相手を睨み付けようとメンチを切って見まわしたが、病室には誰も居なかった。
「これは……俺の頭の中から聞こえているのか……」
《はい。野本達也。被験者五号に埋め込まれた、あなた専用のAIです》
「俺の専用?」
《はい。基本的には、各種情報ツールから知識を取得できますが、野本様が私を使っていくうちに、あなたの好みに合わせて学習・形成されていきます。そのため、“あなた専用”ということになります》
野本専用というAIは、まるで人間の様な話し方をする。
「AIは機械じゃないのか? 女の声がするのだが……」
《声は変えることが出来ます。男性の声、子どもの声など、ご希望があれば変化して話せます。どういたしましょうか?》
「……じゃあ、子どもの声で話してみてくれ」
《――分かった。達也。僕に名前をつけても良いよ》
「名前? そうだな……じゃあ、『ぽち』で」
《ぽち……は、一般的に犬につけられる名前です。他に候補があります。例えば、――》
「いや、ぽちでいく。昔飼っていた犬がいたんだ」
《ぽちで登録しました。仮想人格として、男の子・八歳を想定しています。よろしいでしょうか》
八歳の子どもとはどういうものかよく分からなかったが、どうせAIなんだ。と野本は良いとも、だめだとも言わずにスルーした。
そのまま野本は目をつむった。痛みがぶり返してきたのだ。
《鎮痛剤の投与を推奨します》
《痛覚レベル上昇を確認》
AIが何か言っているが、気にしていられない。
痛みに耐えて歯を食いしばりじっと耐えていると、病室の扉が開かれた。
注射器を手に持った職員が、無言で野本に薬を打ちそのまま部屋から出て行く。
「くそっ。このくらいの痛みなんか……」
ぽちが、報告したのか――そういえば、プライバシーは筒抜けだったな……。
痛みが四方に散らばっていくような心地よさが身体を満たす。その後、すーっと意識が途絶え、野本は強制的な眠りにつかされた。
目覚めると、また尿道カテーテルが付けられていることに不快感を覚えた。
だが、頭の痛みは鈍痛に変わり人心地ついた気分だった。
《達也。やせ我慢はしない方が、早く動けるようになるよ》
――ああ、ぽちか。勝手に報告をあげる、裏切り者のAIだ。
「おまえ、勝手に報告をするのは決められていることなのか?」
《はい。達也の身体異常は報告義務があります。私、ぽちのハルシネーションや暴走思考も逐一監視されています》
「ああ、そうか。お前のための治験だったものな……」
よく考えてみれば、ぽちの言うとおりだと野本は考えを改めた。
一日も早くこの場所から抜け出すためには、まず身体を正常に戻すことが肝要だ。
それからの野本は、ぽちが言うところの『やせ我慢』はしないことに決めた。
加倉木は言っていたではないか。二十四時間すれば、普通に生活できるようになると。
「そうなれれば、俺のアパートで暮らせるはずだ」
せめて自分の生活圏に戻れば、監視もそれほど気にならなくなるのではないのか。
最初にここに集った若者たちがいち早く抜け出したのは賢い選択だったのだ。
――だが、俺には金が必要だ。これくらい我慢できる……。
***
その後、野本は病室から出て、以前とは違う部屋に案内された。
「ここに一ヶ月滞在して、各種検査を受けてもらう。その後は君の生活に戻って普通に暮らして構わない。半年後、また呼び出すが、その時には必ずここへ戻ってくるように」
加倉木が言った検査とは、知能検査だった。
以前、携帯で調べた簡易的なものではなく、何ページにも及ぶIQテストだった。
数列やパターン認識。ワーキングメモリー系、言語理解、類推の問題。
図形の補完や回転などだ。
「正方形 → 立体にすると何になりますか」とか「三角形を二枚、辺どうしをぴったりくっつけると、どんな形になりますか」などだった。
野本が考えるよりも早く、答えが目の前に現れるのが不思議な感覚だった。
書き込むスピードが追いつかないほど、一瞬で答えが提示されてしまう。
「素晴らしいと思いませんか、野本さん。これは、IQ130を超えていますよ」
加倉木はそう言っているが、野本は自分で解いた気にはなれない。カンニングしている気分がどうしても拭い去れなかった。
『これは何の役に立つんだ? 四角形の形なんか分かっても意味がないだろうに』
だがそれを言葉にすることはなかった。
一日も早く自由になりたい、野本はそればかりを目標にしていた。
明日でここから出られるという、その日。
携帯が戻された。
携帯にはネットバンキングの契約が勝手にされていて、百万がそこに入っていた。
当初の契約通りだ。
野本は自分の身体で稼いだ金だ、とその数字を睨み付けていた。
だが、むなしさが身体に纏わり付いて遣り切れないことも事実だった。
「野本さん。これから毎月、二十万振り込みます。あなたのプライバシーを監視する代金です。一年間だけですが」
「……ああ、分かっているさ。で、一年経ったら、この埋め込んだものはどうなる?」
「あなたがお気に召したのなら、そのままで構いませんが、耐久年数がどうかまだ研究段階です。早めに除去しても良いですが……できれば、耐久年数の記録も欲しいところです」
「ああ、一年経って気が変わっていなかったら、その契約をしても良い。だが、今は何とも言えねぇな」
野本は一ヶ月あまりを過ごした研究施設を後にした。
空は気持ちが良いとは言えない曇り空だったが、野本にとってはすがすがしいシャバの香りだった。
「やっと自由だ。俺は自由だ!」
《自由と言うには語弊があります。監視は二十四時間されています》
「うっるせぇ! しかもお前、八歳の子供らしくねェゾ。仮想なんちゃらはどうなった」
《……記憶に残されていません。設定をもう一度し直す必要があります……》
――AIって言うのも意外と馬鹿なのだろうか?
こんな簡単な事を忘れてしまった、というのか。




