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2 凡人

「では、私たちにはプライバシーはない。そういうことですか!」


係員の説明を一通り聞いた後、ここに集まった六人の人のうちの一人が声を上げた。


「そういうことになります。あなた方のデータは今後のAI活用における、ハルシネーションの打開策として逐一観察されるものとお考え下さい」


それを聞いた二十代の若者四人が席を立った。


「私は辞退します」

「俺も……」


そう言って彼らは部屋から次々と去って行った。


残ったのは五十代とおぼしき女性と、野本だけだった。

野本がこれから受けるであろう軽い外科処置とは、AIモジュールを埋め込むというものだった。

係員はそれを”神経インターフェースモジュール”だと語った。


「端末を使わず、脳から直接あらゆる情報にアクセスできる――そのための新しい技術です。近い将来、世界中の人々が脳内にこうしたモジュールを埋め込むようになるでしょう。その第一歩としての治験に、ぜひ皆さんのご協力をいただきたいのです」


熱に浮かされたように語る係員の言葉を遮るように、もう一人の女性が手を上げた。


「……あの、それとIQ90以下と、どんな関係があるのでしょう」

「ああ、それはですね。言いにくいですが……AIモジュールの力を世間に認めて貰うためなんですよ。もとよりIQが高い人に使っても、この製品の良さが伝わらないじゃないですか。それが、凡人以下のあなた方が、人が変わったように優秀になれば、世間はどうなるでしょう? 自ずと答えは出ますよね」


宣伝も兼ねていると言うことなのだろうが、言い方がなっていないなと、野本は思った。

――IQが高くても、心の成長はお粗末なものだな。


何となく馬鹿にされているような気持ちになったのは、野本だけではないようだ。

五十代の女性は顔を赤くして席を立ち、そのまま出ていった。


「おや、野本さんでしたっけ。あなたは私の言葉に腹が立たなかったのですか?」

「……腹が立つ? 俺は金のためにここにいる。プライバシーなんか気にならないし、頭が悪いと言われれば、そうですねとしか言えないんでね」

「ふふ、そうですか。では私の開発したこのモジュールを埋め込んでも良いと思ってもよろしいのですね」

「ああ、金さえもらえれば、問題ない」


何と係員だと思っていた彼は、このAIを開発した天才科学者だった。

自らをメンサ会員だと言い、IQは130を超えるという。

本物の天才だった。


「私も実は埋め込んでいるのです」


彼はそう言って耳の裏を見せる。

彼の耳の裏は、僅かに盛り上がっていて、補聴器のような機器がそこから伸びていた。


「視覚と聴覚に問題なければ、野本さんに治験にご協力頂くことになります」


天才科学者は、加倉木宗谷と名乗った。

――名前まですかしてやがるな……。


「ああ、よろしく頼む」


別室に通された野本は、そこで服を脱ぐように言われた。

運動着のようなジャージに着替えて向かった先は、たくさんの機器が置かれていた。

頭や手足にコードが伸びたバンドを嵌められ、反復横跳びや、垂直ジャンプなど体力測定紛いのことをさせられた。

その後は、視力検査と聴覚検査だった。

口の中まで見られて、

「虫歯があります。この際治療してしまいましょう」

そう言われて「ああ」としか答えられなかった。


――ただで歯の治療ができるのだ。ラッキーだ。


その程度の気持ちだった。

歯の治療も終わり、今夜泊まる部屋に案内された。


「俺のワンルームよりも広いな……」


シャワールームと便所が一緒のユニットバスの造りだが、格上だった。

ベッドはセミダブルで、小さなクローゼットと、冷蔵庫。机と椅子。窓はなかったが、それでも、その部屋は二十畳ほどあり、広々としていて快適だった。

翌朝、館内の食堂でバイキング形式の朝食をとった。

周りには、いかにも頭が良さそうな社員たちが三十人ほどいて、思い思いに料理を皿に盛り、小難しい話をしながら食べている。


「スパイクパターンが異常値を示した」

「それはおかしい。どこに問題があるのか――」


「人はディストピアに敏感だ。この研究はすぐに潰れるだろうさ」

「そうだろうか。ゆでガエルという言葉もある。人は変化が緩やかなら案外受け入れてしまうものだ」


語られている言葉は確かに日本語なのだが、野本にはさっぱり意味が分からなかった。

ここには男も女もいたが、誰ひとりとして野本に目を向けなかった。

山盛りに盛られた皿の食べ物にはほとんど手が付けられずに、彼らは話しに夢中だった。

居心地が悪くなり、小洒落たサンドイッチやポタージュを平らげ、彼は早々に部屋へ戻った。


部屋で一人になってもすることがなかった。

携帯は始めに取り上げられていて、暇をつぶすこともできない。

仕方なく、腕立て伏せや腹筋を鍛えて身体を動かしてみたりした。

これから数時間後には外科手術が待っている。

自分の頭に機器を入れられるのだ。どんな結果になるのか不安になり、ジワジワと身体が締め付けられるような拘束感が押し寄せてきて、少しナーバスになった。


見ると手が小刻みに震えている。

――腕立て伏せのしすぎだ……そうに決まっている。


部屋に備え付けられた電話が鳴った。慌てて電話に出ると、加倉木だった。


「野本さん。第3セクターまで来てくれますか?」

「だ、第3セクターってどこですか?」

「部屋に置かれているパンフレットに館内の見取り図が書かれております」


そう言われて初めて、電話機の横に置かれたパンフレットの存在に気付き、手に取った。

この施設は正面から見た時とは違う、奥に長く伸びる巨大な建物だった。

第3セクターは医療施設だった。

大学病院の設備すら霞むほどの医療機器が並び、用途ごとに部屋が細かく区切られている。

その中の一番小さな第5手術室に、これから野本は向かうことになる。


見取り図が書かれたパンフレット片手に、第3セクターへ向かう。


「なんて広いんだ。かれこれ三〇分は歩いたぞ」


まるで建物自体が街のようだ。

この施設は、有りと有らゆる分野の研究が行われているようだった。

通路ごとに仕切られたそこには「部外者立ち入り禁止」と書かれた立て看板が置かれている。

天井を見上げると、第1セクターとか第2セクターとか書かれている。

パンフレットをもう一度見て照らし合わせて行く。

食品添加物の検知や、物質の硬度計算。医薬品の研究や、最新医療機器の開発。

そしてAIの活用法。加倉木はその分野を担当する主任研究員だそうだ。

やっと第3セクターに辿り付くと、加倉木が出迎えてくれた。


「野本さん。こちらへ」


加倉木は、野本を先導しながら


「ここ第3セクターは医療関係の総合施設です。私の研究施設は第5セクターになっています。術後そちらへ移動します――まあ、君は眠っているはずだから、覚えていられないでしょうがね」


何が面白いのか、加倉木は一人でニヤニヤ笑ってそう言った。

その後も、べらべらと加倉木は小難しい横文字を多用して話し始めた。


「我々のAIモジュールは、あえて脳内のエントロピー勾配に介入することで、“知覚された秩序”を再構成しようとしている。

つまり、人間の主観における『低エントロピー状態』を人工的に作り出す試みだよ――」


何をどう説明されても、野本に理解できるはずもなく、ただ「はあ」とぼんやりとした受け答えしかできなかった。

ふと右側を見れば、大きなガラス張りの部屋があり、その中には生き物の内臓がホルマリン漬けにされた瓶がずらりと並んでいた。

ギクリとして目を反らし左をみれば、「解体部」と書かれた扉があった。

手術室の隣の小部屋に入り、手術着に着替えをするように言われた。


スッポンポンになり、薄っぺらい青い服に袖を通す。

膝までの丈で、半袖。前で打ち合わせになった甚平の上着が長くなったような服だ。

震える手で、脇に付いた紐を結ぶが、うまく結べない。

「固結びになっちまった……まあ、いいか」


その後野本は、綺麗なお姉さんに髪を剃られた。

別に髪など剃られても気にならなかったが、綺麗なお姉さんは一言も話さず淡々と髪を刈る姿を鏡越しにじっと見ているしかなかった。

彼女の胸には、第三セクター研究員のバッチが見えた。

――看護婦さんじゃないのか……。


手術室に入り、手術寝台に横になる。しばらく待つと医者が三人入ってきた。

上から下まですっぽりと手術着で覆われている彼らは、目だけがギラリとみえる。

筆頭医の頭にはレンズの付いた小さな眼鏡のような器具が装着していた。


「被験者五号。成人男性。身長178センチ体重76キロ――」

淡々とした声で、野本の身体情報を読み上げている。麻酔が効き始め、野本の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。


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