1 被験者
野本達也は今、非常に困窮していた。
長年勤めていた会社を数ヶ月前にリストラされたのだ。
テーブルの上には、残高不足を知らせる通知書が何枚も積まれている。
失業保険も来月で終わりだった。
何社か面接を受けたが、返ってくるのは決まって同じ言葉だ。
『今回はご縁がありませんでした』
三十五歳を過ぎた自分を欲しがる会社など、どこにもないのではないか。
高校を卒業してからこれまで十七年、工場の生産ラインの歯車として働いてきた。
自分ができる仕事などたかが知れているのだ。
野本は深いため息を吐いた。
――世の中景気が良くなったはずなんだがな……。
取り立てて優秀でもなく、高卒で学歴もあるわけでもない自分にできることは、一体何がある。
それでも生きて行かねばならない。
ワンルームのこの部屋に住むためにも金が必要なのだから。
田舎に帰っても仕事は無いだろう。
何もすることがなく、この頃は日がな一日携帯をいじっているばかりだった。
ふと、闇サイトっぽい求人欄が目に留まった。
【IQ90以下。性別年齢問わず。好待遇】
「IQ90以下……?」
これはどういう意味なんだ。
IQ90以上なら、分かる。ミスプリントか?
百歩譲って、こういう条件を出す意味を考えてみても、意味が分からなかった。
世の中の大半がこれに該当するはずだ。
「やはり、闇サイト……か」
野本は、応募する気持ちは更々無かったが、暇に倦かせて、その求人広告をクリックした。
【脳神経インターフェース研究センター】
軽い外科処置あり。能力検査あり。臨床試験に協力頂ければ、初期費用として100万保証――
「ひ、百万円!」
金額に引きずられるように、細かく書かれた応募要項を読んでいく。
どうやら、新技術の被験者の募集らしかった。
被験者ということは――実験体……か。
金額から見ると、危険な人体実験なのだろうか。
だけど、碌なスキルもない自分でも務まりそうだ。
途端に興味が沸いてきた。どんどん読み進めていくと、
公募人員は三人と最後に記載されていた。
たった三人。難しい条件は何もなかった。知能検査。肉体検査。家族構成……ここだけがやや引っかかった。
だが、選に漏れるのは目に見えている。
この金額に人は寄ってくるはずだ。先着順とあったので、すでに決まってしまっているかもしれない――だけど、このまま何もせずに終わってしまうのは気持ちが落ち着かない。
「応募するだけなら……」
野本は”応募”の欄をクリックした。
最初に現れたのが家族構成の入力欄だった。
【同居している家族】
闇サイトでは、家族の情報を押さえて逃げられないようにされる、と聞いたことがあった。
だけども野本は一人暮らしだったし、故郷には年老いた祖母がいるだけだ。もう何年も帰郷していない。
両親は彼が幼い時に離婚した。
その両親も、風の便りで数年前に亡くなったと聞く。兄弟もいなかった。
親類はいるはずだが、会ったことはない。
「誰にも迷惑は掛からない。大丈夫だ。見るだけだし……」
天涯孤独……誰にも頼るすべがない――それが野本の人生だった。
祖母もそろそろ寿命だろうが、野本は帰れなかった。
「交通費がな……」
通帳の残高は58円。
財布には2万円弱しか入っていなかった。来月まで食いつなぐのが精一杯だろう。
沈み込みがちな考えを振り切り、次に現れた記入欄に目を通していく。
身長、体重。身体的な不自由の有無。視力聴力に問題はあるかないか。過去の病歴。
その入力が終わって、また画面が変わる。
「今度は、簡単な計算と……迷路か」
小学生低学年程度の計算問題。制限時間が五分となっていた。
懸命に計算していく。
学校を出てから、碌に文字も書かなかったし頭を使う仕事にも就かなかった。
久し振りに脳汁が出た気分だった。
100問ある問題のうち70問までしか解けなかった自分に愕然とするが、考えてみれば、IQが低い方が良いはずだと気を取り直し、今度は迷路を解いて行く。
根が真面目な野本は、それも懸命にこなしていった。
迷路も同じ制限時間で、50問あった。
簡単ではあったが、やはり制限時間内にはできなかった。
それが終わるとまた画面が変わり、交通ルールみたいな画面になった。
「一体これが知能にどう関係するんだ?」
車は左、歩行者は右側。斜め横断はしても良いかどうか、と言うような馬鹿馬鹿しい問題だった。
今回の問題は完璧に時間内に終わり、ぴこんという音と共に表示が切り替わった。
【おめでとう御座います。野本様。一週間後の11時。***街**番地「脳神経インターフェース研究センター」までお越し下さい】
「え、受かったのか……」
野本の住む街から**街までは電車で一時間以上かかる。
運賃は片道千円弱。
往復二千円近い出費は、今の彼には痛かった。
朝、土鍋で三合の飯を炊き、すべて握り飯にして一日それを食べてなんとか生きている状態だった。
面接に決められた指定の日、昼食用に握り飯を鞄に詰め込み電車に飛び乗る。
「やっとつかんだチャンスだ。何とか採用してもらえれば良いのだが……」
彼は『脳神経インターフェース研究センター』の建物の前に一人佇んでいた。
殺風景な広大な敷地の回りには鉄条網がはりめぐらされていて、門の前には守衛小屋があった。
守衛にここに来た理由を説明した。
「ああ、被験者の方ですね。お名前は?」
「野本達也です」
守衛は書類を確かめ、チェックを入れ、中へ入るように促された。
野本は建物の中に入り、言われたとおりの道順で廊下を進む。
――製薬会社の実験施設だろうか。
彼は、薄々考えていた事があった。たぶん薬の治験なのだろうと。
新薬を国に申請するための被験者なのではないかと。
「それでも、百万あれば何とか当座はしのげるさ」
まさか死ぬようなことはないだろう。万が一の事になったとしても、今更逃げたとして、この先どうするというのか。
なるようになるさ――そんな投げやりともつかない気持ちで、黙々と廊下を歩いて行った。
ご指摘ありがとうございます。
「暇に倦かせて」は「暇すぎて飽きてしまい、その勢いで〜する」という意味の表現で、意図して使っていました。
読んでくださって、気づいた点を伝えていただけたのが嬉しいです。




