「止まらなかった車」後編
第90話「止まらなかった車」後編
「姉ちゃんッ!!」
誠一の叫びが響く。
道路に倒れた美鈴は動かない。
額から血が流れていた。
左腕も不自然な方向へ曲がっている。
周囲は騒然としていた。
「きゃあああ!!」
「誰か救急車!!」
「子ども下がって!!」
その時だった。
「看護師です!! 離れてください!!」
近くを歩いていた女性二人が駆け込んできた。
二人とも、博多南総合病院の看護師だった。
一人は美鈴のそばへ膝をつく。
三十代後半くらいの女性。
顔つきが一瞬で変わる。
完全に“医療従事者の顔”だった。
「あなた、ご家族!?」
誠一は震えながら答える。
「お、弟です……!!」
「名前は!?」
「黒崎美鈴……!!」
「黒崎さん! 聞こえますか!!」
呼びかけ。
反応なし。
看護師はすぐに首元へ手を当てる。
呼吸確認。
胸の動きを見る。
さらに心音確認。
次の瞬間。
「AED!! 誰かAED持ってきてください!!」
鋭い声が飛ぶ。
もう一人の看護師が即座に動く。
「はい!」
そしてスマホを取り出す。
「119番! 大型交通事故です! 複数傷病者! 場所は――」
同時に周囲へ叫ぶ。
「歩ける人は歩道側へ! 重傷者は動かさないでください!!」
完全なトリアージだった。
さらに彼女は、事故車へ向かう。
フロントガラスの向こう。
高齢男性ドライバーが呆然としていた。
「聞こえますか!?」
「わ、わしは……」
「意識ありますね!? 動かないでください!!」
一方。
美鈴のそば。
看護師が胸骨圧迫を始めていた。
「1、2、3、4――」
強く。
速く。
絶え間なく。
人工呼吸。
再び胸骨圧迫。
誠一は呆然としていた。
頭が真っ白だった。
目の前の光景が信じられない。
数分前まで。
笑っていた。
ふざけていた。
姉ちゃんが。
「君!!」
看護師の声で我に返る。
「近くに店あります!? AED探して!!」
「は、はい!!」
誠一は全力で走った。
ショッピングモール入口へ飛び込む。
「AED!! AED貸してください!!」
館内スタッフが驚く。
「えっ!?」
「事故です!! 人が倒れてるんです!!」
「すぐ持ってきます!!」
店員が走る。
誠一も震えていた。
息が乱れる。
涙が止まらない。
「姉ちゃん……!!」
AEDを受け取る。
そして再び全力で戻った。
事故現場はさらに混乱していた。
パニック。
悲鳴。
煙。
ガソリン臭。
誠一は看護師へAEDを渡す。
「ありがとうございます!」
すぐに電極パッド装着。
『ショックが必要です』
電子音声が響く。
「離れてください!!」
看護師が叫ぶ。
バチンッ!!
美鈴の身体が跳ねる。
誠一の心臓も跳ねた。
「再開します!!」
再び胸骨圧迫。
人工呼吸。
汗。
血。
怒号。
そして。
遠くから。
サイレン。
ウゥゥゥゥゥ――!!
救急車。
レスキュー車。
パトカー。
次々と集結する。
現場は完全に騒然としていた。
「こちら重傷者一名! 意識なし!」
「多重事故! 二次災害注意!」
「車両内閉じ込めあり!」
救急隊が駆け込む。
担架。
酸素。
点滴。
ネックカラー。
現場指揮が始まる。
美鈴の周囲にも救急隊員が集まる。
「女性、20歳!」
「交通外傷!」
「意識レベル低下!」
「SpO2低下!」
誠一は震えていた。
「姉ちゃん……」
救急隊員が酸素マスクを装着。
点滴ライン確保。
止血。
固定。
「ストレッチャー搬送します!」
美鈴が慎重に持ち上げられる。
ぐったりしたまま。
反応がない。
誠一の呼吸が乱れる。
「ご家族ですね!?」
「はい……!!」
「同乗してください!!」
誠一は救急車へ飛び乗った。
ドアが閉まる。
サイレン。
発進。
救急車内。
狭い空間の中で、緊急処置が続く。
「血圧低下!」
「ルート追加!」
「瞳孔確認!」
隊員たちの声が飛ぶ。
誠一は壁際で震えていた。
何もできない。
ただ。
祈ることしかできない。
「姉ちゃん……」
酸素マスク越しの美鈴は、まるで眠っているようだった。
でも。
動かない。
返事もない。
その現実が。
誠一を押し潰していく。
救急車は、サイレンを鳴らしながら博多の街を突き進む。
向かう先は――
博多南総合病院。
黒崎美鈴の運命を左右する、緊急搬送だった。




