緊急搬送
博多南総合病院へ向かう救急車の中。
サイレンが鳴り響く。
救急隊員たちは、寸秒を争う処置を続けていた。
「血圧まだ低い!」
「酸素飽和下がってます!」
「搬送先へホットライン!」
その一方で。
別の隊員が、家族への連絡を始めていた。
◆
黒崎家。
夕方。
父・正一は居間で新聞を読んでいた。
母・佳代は夕食の準備をしている。
「今日は美鈴たち買い物やろ?」
「初任給で何買うとか言いよったね」
その時。
家の電話が鳴った。
佳代が出る。
「はい、黒崎です――」
だが。
次の瞬間。
佳代の表情が凍りついた。
「……え?」
声が震える。
正一が顔を上げる。
「どうした?」
佳代の手から、力が抜けそうになる。
「交通事故……?」
正一の顔色が変わる。
「誰が!?」
佳代の唇が震える。
「……美鈴」
一瞬。
時間が止まった。
「は?」
正一が立ち上がる。
「嘘やろ?」
電話口の隊員は、冷静に説明を続ける。
『現在、博多南総合病院へ搬送中です』
『至急来院をお願いします』
正一は首を振る。
「なんかの間違いやろ」
そんなはずがない。
数時間前まで元気だった。
初任給でプレゼント買うとか言っていた。
事故?
重体?
意味が分からない。
すると。
『ご家族の方、弟さんに代わります』
電話口が変わる。
「……父ちゃん」
誠一だった。
だが。
声がもう完全に崩れていた。
『姉ちゃんが……姉ちゃんが……!!』
「誠一!! 落ち着け!!」
『血が……全然動かんくて……!!』
泣きながら取り乱す誠一。
それを聞いた瞬間。
正一は悟ってしまった。
本当なんだ、と。
佳代はその場へ崩れ落ちる。
「美鈴……」
正一は必死に平静を保とうとする。
「今行く!! 絶対助かるけん!!」
だが。
手が震えていた。
◆
博多南幼稚園。
閉園後。
職員室。
「え……?」
一本の電話で、空気が変わった。
「黒崎先生が事故……?」
井上真紀先生が絶句する。
「重体って……」
園長も言葉を失う。
「そんな……」
昼間まで。
普通に笑っていた。
園児と遊んでいた。
連絡帳を書いていた。
その黒崎美鈴が。
意識不明?
職員室が静まり返る。
「嘘やろ……」
若い先生が涙ぐむ。
「今日も“明日またねー!”って……」
園長はすぐに判断した。
「病院へ向かいます」
◆
フェニックス福岡。
体育館。
練習中だった。
「ナイスレシーブ!」
「切り替えていこ――」
その時。
監督のスマホが鳴る。
表情が変わった。
「……え?」
周囲がざわつく。
「監督?」
監督はしばらく沈黙していた。
そして。
「……練習中止」
体育館が静まる。
「黒崎が事故に遭った」
一瞬。
誰も理解できなかった。
「は……?」
「重体らしい」
ボールが転がる音だけが響く。
神崎亜美の手から、ボールが落ちた。
「……嘘」
三浦玲奈も顔面蒼白だった。
「いや、だって今日――」
朝。
普通にLINEしていた。
『今日も頑張りましょー!』
その相手が。
重体?
「……無理」
一人の選手が座り込む。
「無理やって……」
松永先輩は壁に手をついていた。
息が乱れる。
「黒崎が……?」
誰よりも明るかった後輩。
誰よりも負けず嫌いだった後輩。
その美鈴が。
練習どころではなかった。
誰もボールを触れない。
体育館は完全に止まってしまった。
◆
宗像高校女子バレー部。
練習中。
「そこ一本集中!」
監督のスマホが鳴る。
監督は普段、練習中は電話に出ない。
だが。
何か嫌な予感がした。
「……もしもし」
数秒後。
監督の顔から血の気が引いた。
「……なんやて」
部員たちが異変に気づく。
「監督?」
沈黙。
長い沈黙。
監督はスマホを握ったまま動けなかった。
そして。
「……黒崎が事故に遭った」
体育館が凍りつく。
「え?」
「重体らしい」
ボールが転がる。
誰も拾わない。
「うそ……」
二年生が口を押さえる。
「黒崎先輩が……?」
一年生は泣き始める。
「嫌だ……」
監督は本来なら。
こういう時こそ。
部員を落ち着かせる立場だった。
動揺を抑え。
支える立場だった。
だが。
監督自身が立っているのがやっとだった。
「……っ」
言葉が出ない。
黒崎美鈴。
宗像高校の象徴。
宗像を“全国最強”へ押し上げたキャプテン。
そして。
監督にとっては。
娘みたいな存在だった。
「……なんでや」
監督の声が震える。
体育館には。
すすり泣きだけが広がっていった。
◆
宗像中学校。
OGたち。
福岡県内のバレー関係者。
ニュース速報。
SNS。
連絡網。
あっという間に情報が広がっていく。
『フェニックス福岡・黒崎美鈴選手、交通事故で重体』
福岡県バレー界に衝撃が走った。
誰もが知っている名前だった。
中学。
高校。
全国制覇。
そして。
“宗像バレー”を作った存在。
その黒崎美鈴が。
今。
生死の境をさまよっている。
誰も信じられなかった。
そして。
博多南総合病院。
救急搬入口の前へ。
サイレンを鳴らした救急車が、到着した。




