初任給で買いたいもの
第88話
初任給で買いたいもの
五月。
博多の街は、少しずつ初夏の空気をまとい始めていた。
*
博多南幼稚園。
昼休み。
*
「みすずせんせー!」
「はいはい、どうしたー?」
「カマキリおった!!」
「早っ!! もう!?」
*
園庭を全力疾走する園児たち。
その後ろを、美鈴も走る。
*
スーツ姿だった春とは違う。
今の美鈴は、ジャージ姿が多かった。
動く。
しゃがむ。
抱っこする。
追いかける。
*
幼稚園教諭は、想像以上に体力勝負だった。
*
「黒崎先生ー」
主任の井上先生が笑う。
「最近、子どもたち完全に懐いてますね」
「いやもう、毎日体力ゼロです……」
*
でも。
嫌じゃなかった。
*
泣いていた子が笑う。
一人でいた子が、友達と遊び始める。
“みすずせんせー!”って走ってくる。
*
その瞬間。
全部吹き飛ぶ。
*
職員室。
美鈴はふとカレンダーを見る。
*
給料日。
あと数日。
*
「……初任給かぁ」
ぽつりと呟く。
*
その夜。
白金荘。
*
美鈴はノートを広げていた。
メモには色々書かれている。
⸻
・お父さん→腕時計?
・お母さん→ブレスレット?
・予算どうしよう
・安すぎても嫌やし……
⸻
*
「うーん……」
頭を抱える。
*
正一。
佳代。
*
今まで、どれだけ支えてもらったか分からない。
怪我した時。
泣いた時。
リハビリ。
春高。
進路。
*
ずっと味方だった。
*
「ちゃんと感謝、伝えたいなぁ……」
*
腕時計。
正一は昔から時間に厳しかった。
でもそれは、美鈴の将来を考えてのことだった。
*
佳代には、ブレスレット。
普段あまりアクセサリーを買わない母だからこそ、ちゃんとしたものを贈りたい。
*
「……よし、決めた」
*
その時だった。
ピンポーン。
*
「ん?」
インターホン。
玄関を開ける。
*
「よっ」
立っていたのは、弟・誠一。
*
「なんでおるん!?」
「姉ちゃんが泊まっていいって言ったやん」
「あ、そうやった」
*
誠一、苦笑。
「忘れんでよ」
*
部屋へ入る。
テーブルにはメモ。
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「何これ?」
「初任給で何買うか考えよった」
*
誠一、少し笑う。
「父ちゃん泣くぞ」
「いや、絶対泣かんやろ」
「いや泣く」
*
美鈴も少し笑った。
*
「土曜、買い物付き合って」
「いいよ」
「荷物持ちね」
「はいはい」
*
その後。
夕食。
*
美鈴特製。
鶏肉と野菜のトマト煮。
サラダ。
スープ。
*
「……普通にうまい」
誠一、真顔。
「何その反応」
「いや昔より進化したなって」
「失礼やな!?」
*
食後。
テレビを見ながらダラダラ。
*
そして。
美鈴、立ち上がる。
「風呂入ってくるー」
*
誠一、スマホ見ながら返事。
「はいよー」
*
数秒後。
美鈴、ニヤリ。
*
「誠一」
「ん?」
「覗いたら地獄の千本ノックやけんね」
*
誠一、即答。
「覗かんわ!!」
*
美鈴、さらにニヤニヤ。
「でも見たいやろ?」
*
誠一、固まる。
「……」
「……」
*
「なんで黙るん」
「いや、その……」
*
誠一、視線泳ぐ。
「まぁ男なら見たいっちゃ見たいけど」
「おい」
「後が怖すぎる」
*
美鈴、大爆笑。
「正直やなぁ!!」
*
誠一、ため息。
「姉ちゃん、昔からそういうとこあるよな……」
*
風呂場へ向かう美鈴。
すると。
後ろから誠一。
「でも」
「ん?」
「先生、ちゃんと似合っとると思う」
*
美鈴、一瞬止まる。
*
「……何急に」
「いや、なんとなく」
*
少し照れ臭そうに笑う誠一。
*
美鈴も小さく笑う。
「ありがと」
*
風呂場の扉が閉まる。
シャワー音。
*
誠一はソファへ倒れ込む。
「……ほんと、変わったなぁ」
*
昔は。
全国しか見てなかった姉。
バレーしか頭になかった姉。
*
でも今は。
子どもたちの話をする。
料理をする。
先生として悩む。
*
少しずつ、大人になっていた。
*
一方――
フェニックス福岡。
*
「黒崎対策班、報告を」
「はい」
*
完全に国家プロジェクトみたいになっていた。
*
「高速フォーク確認」
「伸びるサーブ確認」
「横変化あり」
「縦変化あり」
*
監督、頭抱える。
「……結局何来るん?」
「分かりません」
*
他チーム監督、絶望。
「もうサーブ打つ前から怖い……」
*
一方。
宗像高校。
*
イタリアン研究会。
ついに料理雑誌掲載決定。
*
「だからバレー部ぉぉぉ!!」
藤崎監督、魂の絶叫。
*
だが。
全国から入部希望殺到。
*
宗像中学。
宗像高校。
*
今や。
“女子バレーの聖地”。
*
全国大会。
優勝候補は毎年。
横浜商工か。
宗像高校か。
*
そう言われる時代になっていた。
*
そして。
その中心には、いつも語られる名前があった。
*
黒崎美鈴。
*
だが。
そんな彼女の人生が。
もうすぐ大きく動こうとしていた。
⸻
次回予告
第89話「初任給の日」
ついに迎えた、人生初めての給料日。
美鈴は誠一と一緒に、両親へのプレゼントを買いに街へ出る。
「父ちゃんには時計。母ちゃんにはブレスレットかな」
一方フェニックス福岡では、“黒崎サーブ被害者の会”なるものが誕生。
「もう名前が物騒なんよ!!」
さらに宗像高校イタリアン研究会、まさかの料理監修依頼。
「だから何でやぁぁぁ!!」
そして――
福岡の街で。
一台の車が、静かに運命を狂わせ始めていた。
次回、第89話「初任給の日」。
黒崎美鈴の人生に、大きな試練が訪れる。




