新任先生、黒崎美鈴
第87話
新任先生、黒崎美鈴
四月。
桜が、福岡の街を薄桃色に染め始めていた。
*
白金荘二〇一号室。
朝五時四十分。
目覚ましより先に、美鈴は目を覚ました。
「……今日か」
天井を見上げる。
胸が少しだけ苦しい。
*
春高決勝前とは違う。
でも。
似ていた。
*
今日から。
本当に“先生”になる。
*
黒崎美鈴。
二十歳。
博多南幼稚園・新任教諭。
*
「……よしっ!」
布団を勢いよく跳ね飛ばす。
だが次の瞬間。
ゴッ!!
「いたぁっ!!」
ベッドの角に足をぶつける。
*
新生活初日。
すでにドタバタだった。
*
洗面所。
鏡の前。
スーツ姿の自分を見る。
高校時代のジャージ姿とは全然違う。
*
「……先生っぽく見えるんかな」
少し照れ臭い。
*
朝食。
今日はちゃんと作る。
ご飯。
味噌汁。
焼き鮭。
サラダ。
ヨーグルト。
*
アスリート時代から変わらない習慣。
食事は身体を作る。
それは、先生になっても同じだった。
*
時計を見る。
「やばっ!!」
結局ギリギリ。
美鈴は慌ててバッグを掴む。
「いってきまーす!!」
誰もいない部屋に向かって叫んで飛び出した。
*
地下鉄。
通勤ラッシュ。
美鈴は吊り革を握る。
*
一方。
別車両。
スーツ姿の青年。
小倉優馬。
*
優馬は、ぼんやり窓を見ていた。
だが。
ふと顔を上げる。
*
(……あ)
*
いた。
あの日の女性。
*
スポーツバッグ。
長身。
黒髪。
柔らかい雰囲気。
*
優馬の心臓が跳ねる。
*
(また会った……)
*
話しかけたい。
でも無理。
突然話しかけたら変な人やん。
*
結果。
遠くからチラチラ見るだけ。
*
完全に不審者予備軍だった。
*
一方、美鈴。
全く気づかない。
*
博多南幼稚園。
到着。
*
「おはようございます!!」
職員室へ入る。
声がデカい。
*
先生たち、一瞬止まる。
そして笑う。
「黒崎先生、元気いいですねぇ」
「すみません! つい!」
*
主任の井上先生が言う。
「緊張してます?」
「めちゃくちゃしてます!」
「大丈夫です。すぐ慣れますよ」
*
――慣れませんでした。
*
開園五分後。
すでに戦場。
*
「うわぁぁぁぁん!!」
泣く園児。
*
「せんせぇぇぇ!!」
抱きつく園児。
*
「いやぁぁぁ!!」
靴履かない園児。
*
「先生ぇ!!」
「どうした!?」
「こうたくんが噛んだ!!」
「なんでぇ!?」
*
さらに別方向。
「せんせぇぇぇ!!」
「今度は何!?」
「トイレ間に合わんかったぁぁ!!」
*
美鈴、脳内パンク。
*
(春高決勝より忙しいんやけど!?)
*
しかも。
園児たちは予測不能。
*
次の瞬間には別の事件が起きる。
*
「せんせー!!」
「はい!」
「カブトムシ死んだ!!」
「えぇぇぇ!?」
*
さらに。
園児同士のケンカ。
*
「僕のブロック!!」
「違うもん!!」
「いや、落ち着いて!?」
*
美鈴、しゃがみ込む。
子どもたちと目線を合わせる。
*
「どうしたと?」
優しく聞く。
*
すると。
さっきまで怒っていた子が、少しずつ落ち着く。
*
泣いていた子も。
静かに話し始める。
*
美鈴は気づいていた。
バレーと少し似ている。
*
まず受け止める。
ちゃんと見る。
相手を知る。
*
それが大事だった。
*
昼休み。
美鈴、机に突っ伏す。
「せ、先生って大変……」
*
そこへ井上先生。
「まだ午前中ですよ?」
「嘘やん……」
職員室爆笑。
*
だが。
さらに恐ろしいものが待っていた。
*
書類。
*
連絡帳。
指導記録。
保育日誌。
月案。
週案。
*
美鈴、真顔。
「……これ全部書くんですか?」
「はい」
「……春高五セットの方が楽かもしれん」
*
一方――
フェニックス福岡。
*
こちらもカオス。
*
「黒崎対策、どうする!?」
「知りません!!」
*
美鈴のサーブ。
もはや全国最警戒兵器。
*
普通。
高速。
落ちる。
伸びる。
曲がる。
緩急。
*
どれが飛んでくるか誰にも分からない。
*
「もうサーブ打つ前に怖い!!」
他チーム、悲鳴。
*
実況も笑う。
『黒崎美鈴、完全にラスボス扱いです!!』
*
さらに。
宗像中学。
宗像高校。
*
こちらは、美鈴イズム完全継承。
*
考えるバレー。
流動的戦術。
全員攻撃。
全員守備。
*
しかも。
ギャグコントみたいな空気から、試合になると異常に強い。
*
全国大会。
実況。
『また宗像です!!』
『横浜商工か宗像か!!』
*
もはや全国二強。
*
中学女子バレー。
高校女子バレー。
*
宗像市。
いつしか。
“バレーの聖地”と呼ばれるようになっていた。
*
全国から選手が集まる。
寮完備。
練習環境も充実。
*
そして。
そこには必ず語られる名前があった。
*
黒崎美鈴。
*
「黒崎先輩の映像、見た?」
「見ました」
「意味分からんサーブでした」
「あとパスタ」
「そこは見なくていい」
*
体育館、大爆笑。
*
そして夜。
白金荘。
*
美鈴はソファに倒れ込む。
「つっっっかれたぁぁ……」
*
でも。
不思議と嫌じゃなかった。
*
疲れる。
大変。
でも。
子どもたちの笑顔が頭に浮かぶ。
*
「みすずせんせー!」
*
その声だけで、また頑張れそうだった。
*
そして。
数日後。
*
美鈴にとって、人生初めての“給料日”が近づいていた。
*
初任給。
*
育ててくれた両親へ。
何かプレゼントを贈りたい。
*
そんなことを考えながら。
美鈴は静かに夜空を見上げていた。
次回予告
第88話「初任給で買いたいもの」
初めての給料日が近づき、美鈴は“両親へのプレゼント”を考え始める。
「今まで育ててくれたお礼、ちゃんとしたい」
一方フェニックス福岡では、黒崎対策がついに“専属解析チーム”規模へ。
「もう国家プロジェクトやん!!」
さらに宗像高校イタリアン研究会、まさかの料理雑誌掲載決定。
「だからバレー部ぉぉぉ!!」
そして地下鉄では、優馬がついに“あの日の女性”へ話しかけようと決意する。
だが、その時――。
次回、第88話「初任給で買いたいもの」。
黒崎美鈴の人生が、大きく動き始める。




