笑いのレシーブ
第8話
笑いのレシーブ
体育館で初めてボールに触れてからというもの。
黒崎美鈴の頭の中は、ほとんどバレーボールで埋まっていた。
授業中、黒板を見ながらも――
(あの時、もうちょっと手を前に出しとけば…)
休み時間、友達と話しながらも――
(さっきのボール、落とさんでつなげたかもしれん)
帰り道でも、家でも。
ボールの軌道が、ずっと頭の中を行き来していた。
*
昼休み。
美鈴たちは校庭の隅で、柔らかいボールを使って遊んでいた。
「いくよー!」
ぽーん。
友達が投げる。
美鈴は構える。
ボールが来る。
手を出す。
――落ちる。
「うわっ」
ボールはそのまま地面へ。
少しだけ、沈黙。
美鈴はボールを拾った。
笑うでもなく、怒るでもなく。
じっとボールを見る。
「……なんで落ちたっちゃろ」
友達が言う。
「気にせんでよかよ!」
美鈴は首を振った。
「いや、気にする」
そして、自分の手を見た。
「さっき、ここで手が曲がっとった」
「え?」
「ボールが来た時、ちょっと引いたけん、落ちた」
友達はぽかんとする。
でも、美鈴は続ける。
「次は、ここで止めてみる」
もう一度構える。
「いくよ!」
ぽーん。
ボールが来る。
今度は少しだけ前に手を出す。
ぽすっ。
完全ではない。
でも、さっきより長くボールが止まった。
「おっ」
「さっきよりよか!」
美鈴の顔が少し明るくなる。
「もう一回!」
*
何度も繰り返す。
失敗。
修正。
もう一回。
その中で、少しずつ分かっていく。
どこが違うのか。
何が足りないのか。
そして――
どうすればいいのか。
*
でも、うまくいかない日もある。
その日は、特に調子が悪かった。
何度やってもボールが上がらない。
思ったところに飛ばない。
つないでも、すぐに落ちる。
「……もういやや」
ぽつりと、美鈴が言った。
友達が驚く。
「え、美鈴ちゃん?」
「今日、全然できん」
少しだけ、顔が曇る。
その空気が、周りにも伝わる。
誰も、次の一言が出ない。
重くなりかけたその瞬間。
美鈴はふっと顔を上げた。
そして――
「今のレシーブ、ボールやなくて空気ば受けとったね!」
一拍。
そして爆発。
「あはははは!!」
「なにそれ!」
「空気レシーブ!」
美鈴も笑う。
「空気、めっちゃ軽か!」
「そら軽いわ!」
空気が一気に戻る。
さっきまでの重さが、消える。
そして、美鈴はすぐに言った。
「もう一回やるばい」
「やるやる!」
笑いながら、また構える。
*
その日の帰り道。
美鈴は少し静かだった。
佳代が気づく。
「今日はどうしたと?」
「うまくいかんかった」
正一が横で聞く。
「どこが?」
美鈴は少し考えて言った。
「手、引いとった」
「ほう」
「ボール来たとき、ちょっと怖かった」
正一はうなずく。
「それ、大事な気づきやな」
「え?」
「怖いって思うと、体は引く。引いたら、ボールは上がらん」
「じゃあ、どうしたらよか?」
正一はゆっくり言う。
「怖くても、一歩前に出ることたい」
美鈴はじっと聞く。
「それと、失敗した時」
「うん」
「なんで失敗したか考えたか?」
「考えた」
「それができとるなら、大丈夫や」
美鈴は少しだけ安心した顔になる。
「ほんと?」
「ほんと。上手い人はな、いっぱい失敗して、ちゃんと考えた人たい」
佳代も笑う。
「美鈴、もうそれできとるやん」
美鈴は少し照れた。
「でも、空気レシーブした」
「それはそれで新しい競技やね」
「空気バレー?」
「誰も点取れんやろ」
3人で笑った。
*
夜。
布団の中。
美鈴は今日のことを思い出していた。
うまくいかなかったこと。
悔しかったこと。
でも、分かったこと。
「なんで失敗したっちゃろ」
自分に問いかける。
「手、引いとった」
答えが出る。
「次は、引かん」
また一つ、前に進む。
そして、少しだけ笑う。
「空気は受けん」
小さな決意。
*
この時の美鈴は、まだ6歳。
けれど、すでに始まっていた。
ただの努力ではない。
考える力。
分析する力。
そして、空気を立て直す力。
失敗を、次につなげる力。
それはやがて――
博多ドンタクスで、
女子中学部を率い、
仲間を勝利へ導く“名将”と呼ばれる存在へとつながっていく。
笑いで空気を救い、
言葉で人を導き、
考えて、勝つ。
そのすべての原点が、この小さな校庭にあった。
⸻
次回予告
第9話「つなぐということ」
ボールを受けること。
ボールをつなぐこと。
それは、ただの技術ではなかった。
「一人じゃできんとよ」
仲間がいるから、つながる。
でも、うまくいかない時もある。
気持ちがすれ違う時もある。
初めての“チーム”の壁にぶつかる美鈴。
次回、第9話「つなぐということ」。
ボールだけじゃなく、心もつなげるか。




