つなぐということ
第9話
つなぐということ
ボールを受けること。
ボールをつなぐこと。
美鈴は、それが少しずつ楽しくなっていた。
最初は、ただ手に当てるだけだった。
次に、友達の方へ返せるようになった。
そして今は、少しでも長くボールを落とさずにつなぎたいと思うようになっていた。
昼休みになると、美鈴の周りには自然と友達が集まった。
「今日もボールする?」
「する!」
「何回つながるか数えようや!」
美鈴は柔らかいボールを持って、校庭の隅へ走った。
「じゃあ、今日は十回目標たい!」
「十回?むずかしかろ」
「でも、できたら気持ちよかよ!」
みんなが輪になった。
ボールが上がる。
「いーち!」
「にー!」
「さーん!」
四回目で落ちた。
「あー!」
みんなが一斉に声を上げる。
美鈴はボールを拾いながら笑った。
「今のは、ボールが休憩したかったっちゃね」
「ボールのせいにした!」
「いや、ボールにも都合があるけん!」
笑いが起きる。
もう一回。
「いーち!」
「にー!」
「さーん!」
「よーん!」
今度は五回目で、男の子が少し強く打ちすぎた。
ボールは輪の外へ飛んでいく。
「あっ!」
別の子が言った。
「もう、強すぎやん!」
「だって、返そうと思っただけやもん!」
少しだけ空気が固くなる。
美鈴は二人の間に入った。
「待って待って。今のは、強くしたくてしたんやなかろ?」
男の子は小さくうなずいた。
「うん」
「じゃあ、責めんでよか。ばってん、次はちょっとだけ優しく返したらつながるかも」
それから、文句を言った子の方を見る。
「落ちたら悔しかけど、怒ったら次がやりにくくなるたい」
その子は少し黙ってから、うなずいた。
「……ごめん」
「うん。じゃあ、もう一回!」
美鈴が明るく言うと、輪の空気が戻った。
*
けれど、うまくいく日ばかりではなかった。
ある日、ボール遊びの途中で、友達同士の言い合いが起きた。
「ちゃんと見てよ!」
「見とったよ!」
「見とらんけん落ちたっちゃろ!」
美鈴はボールを抱えたまま、二人を見ていた。
落ちたのはボールだった。
でも、今落ちそうになっているのは、みんなの気持ちだった。
美鈴はゆっくり口を開いた。
「一人じゃできんとよ」
二人が美鈴を見る。
「ボールは、一人じゃつながらん。誰かが受けて、誰かが返して、誰かがまた受けるけん、つながると」
美鈴は自分の手元のボールを見る。
「でも、怒っとったら、次のボールが怖くなる」
「怖くなる?」
「うん。『また怒られるかも』って思ったら、手が動かんくなる」
少し静かになった。
美鈴は続けた。
「だから、失敗したら、怒るんやなくて、どうしたら次つながるか言えばよか」
そして、少しだけ笑う。
「たとえば、『今のボール、旅行行きすぎやね』とか」
友達が吹き出した。
「旅行?」
「うん。輪の外まで一人旅しとった」
「ボール、自由すぎ!」
笑いが戻る。
美鈴はボールを上に軽く投げて、受け止めた。
「じゃあ、もう一回。今度は、ボールば旅行させんようにしよう」
「うん!」
*
その日の夕方。
美鈴は家で、正一に昼休みのことを話した。
「今日ね、ボールはつながらんかったけど、けんかは止まった」
正一は少し笑った。
「それは大事なことばしたな」
「でも、むずかしかった」
「何が?」
「みんな、勝ちたいし、つなげたいけん、失敗すると怒ると」
正一はうなずいた。
「それはバレーでもある」
「お父さんたちも?」
「あるたい。大人でもある」
美鈴は目を丸くした。
「大人でもけんかすると?」
「する。ばってん、強いチームは、そこで終わらん」
「どうすると?」
「話す。何が悪かったか、どうすれば次よくなるか。人を責めるんやなくて、プレーを直す」
美鈴はじっと聞いていた。
「人を責めんで、プレーを直す……」
「そうたい。失敗した人を小さくしたら、チームも小さくなる」
「チームも?」
「うん。誰かが怖がったら、ボールはつながらん」
美鈴は昼休みの出来事を思い出した。
怒られそうになると、手が縮こまる。
笑いがあると、もう一回やってみようと思える。
それは、少し分かった気がした。
「じゃあ、美鈴が笑わせたら、チーム強くなる?」
正一は笑った。
「笑わせるだけやったら足りん。でも、笑いで空気を戻して、そこからちゃんと考えたら強くなる」
美鈴はうなずいた。
「みーすず、それする」
「できるよ」
佳代が台所から言った。
「でも、笑わせすぎて練習にならんようにね」
美鈴は胸を張った。
「そこは調整する!」
正一が笑った。
「もう監督みたいやな」
*
翌日。
昼休みの校庭に、また美鈴たちの声が響いた。
「今日こそ十回たい!」
「いくよ!」
ボールが上がる。
「いーち!」
「にー!」
「さーん!」
途中で少し危ないボールが来た。
友達が必死に手を伸ばす。
ぽすん。
なんとか上がった。
「ナイス!」
美鈴が叫ぶ。
次の子がつなぐ。
「よーん!」
「ごー!」
六回目。
七回目。
八回目。
みんなの顔が真剣になる。
九回目。
そして十回目。
「じゅーう!」
ボールが落ちた。
でも、十回つながった。
一瞬の沈黙のあと、全員が跳び上がった。
「やったー!」
「十回いった!」
「すごか!」
美鈴は両手を上げて笑った。
「今の、みんなでつないだと!」
その言葉に、友達たちも笑った。
誰か一人がすごかったのではない。
みんなが少しずつ受けて、返して、声を出して、つないだ。
美鈴は胸の奥が熱くなるのを感じた。
ボールをつなぐことは、心をつなぐことでもある。
そのことを、まだ言葉ではうまく説明できない。
けれど、確かに分かった。
*
放課後。
教室で先生が美鈴に声をかけた。
「美鈴ちゃん、最近みんなでボール遊びしてるね」
「はい!」
「楽しそうね」
「楽しかです。でも、たまにけんかになります」
「そうね」
「でも、けんかしても、もう一回できるようにしたかです」
先生は少し驚いたように美鈴を見た。
「どうして?」
美鈴は少し考えてから言った。
「一人じゃ、つながらんけん」
先生は静かに微笑んだ。
「そうね。とても大事なことね」
*
夜。
美鈴は布団の中で、今日の十回を思い出していた。
一回目。
二回目。
三回目。
みんなの声。
必死に伸ばした手。
落ちた時の悔しさ。
つながった時の嬉しさ。
「一人じゃできんとよ」
小さくつぶやく。
そして、少し笑った。
「でも、みんなならできる」
黒崎美鈴、6歳。
まだ正式なチームに入っているわけではない。
まだ試合も知らない。
まだユニフォームも着ていない。
けれど、彼女はもう学び始めていた。
技術より先に大切なこと。
勝利より前に必要なこと。
人を責めず、空気を整え、次につなげること。
それはやがて、バレー選手としての美鈴を支え、
幼稚園教諭としての美鈴を支え、
母としての美鈴を支え、
そして、博多ドンタクス女子中学部の監督として“名将”と呼ばれる未来につながっていく。
ボールだけじゃない。
心も、つなぐ。
その最初の一歩が、1年1組の小さな昼休みにあった。
次回予告
第10話「初めての悔し涙」
つなぐ楽しさを知った美鈴。
だが、初めての小さな校内ゲームで、思うように動けず、チームは負けてしまう。
「みーすずが落としたけん……」
いつも明るい美鈴が、初めて悔し涙を流す。
正一は、そんな娘に静かに語る。
「悔しかなら、まだ強くなれる」
次回、第10話「初めての悔し涙」。
涙は、負けた証拠じゃない。次に進む力になる。




