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笑う母の物語  作者: リンダ


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社会人の壁

 第72話

 社会人の壁


 フェニックス福岡での生活にも、少しずつ慣れ始めた黒崎美鈴。


 社会人の練習スピード。


 短大の授業。


 レポート。


 実習準備。


 高校時代とは違う忙しさだった。


 だが、美鈴は不思議と充実していた。


(毎日、知らんことばっかりたい)


 *


 この日は、実業団同士の練習試合。


 相手は関西の強豪チーム――


 神戸シーウィンズ。


 全国トップクラスの守備力を誇るチームだった。


 *


 試合前。


 神崎亜美が美鈴へ声をかける。


「黒崎、今日は途中から入る」


「はい!」


「ただし、社会人は高校みたいには行かんよ」


 美鈴はうなずく。


 分かっている。


 ……つもりだった。


 *


 第二セット途中。


 美鈴、投入。


 観客席がざわつく。


「春高三連覇の黒崎や」


「フォークサーブの子よね」


 だが。


 最初のフォークサーブ。


 読まれた。


 神戸シーウィンズのリベロが、完璧に前へ入る。


「上がった!」


 そこから高速カウンター。


 逆にフェニックスが打ち抜かれる。


 実況席でも声が上がる。


「神戸シーウィンズ、完全に研究しています!」


 美鈴が目を見開く。


(読まれた……)


 *


 さらに。


 スパイク。


 高校では決まっていたコース。


 だが。


 社会人のブロックは、一瞬で閉じる。


 ドンッ!!


 完全シャットアウト。


「うっ……!」


 レシーブでも崩される。


 わずかな姿勢のズレを狙われる。


 球威が違う。


 駆け引きが違う。


 試合の流れが違う。


 *


 タイムアウト。


 美鈴は肩で息をしていた。


「高校では通じた……」


 悔しさが込み上げる。


「でも、ここではまだ足りん……」


 神崎がタオルを渡した。


「その悔しそうな顔、嫌いやない」


「え?」


「でも、落ち込む暇あるなら考えな」


 神崎は冷静だった。


「相手は研究してる。じゃあ、その上を行けばいい」


 美鈴はハッとする。


 *


 試合後。


 フェニックス福岡は敗れた。


 美鈴は体育館の隅で、一人サーブを見つめていた。


 そこへ、高瀬理央が来る。


「壁、高かった?」


「はい……」


「そりゃそうよ」


 高瀬は笑った。


「でもな、壁って“次に行ける場所”が見えた時に出るんよ」


 美鈴は顔を上げる。


「高校のままじゃ届かん。でも、新しい何かを作れば届く」


 美鈴はボールを握り直した。


(新しい何か……)


 *


 一方。


 短大では保育実習準備。


 今日は絵本読み聞かせ練習だった。


 美鈴が前へ立つ。


「さあクマさん、森の奥へ入っていきましたー!!」


 完全に実況。


 結衣が吹き出す。


「黒崎さん、それスポーツ中継です!」


 教室大爆笑。


 美鈴が真っ赤になる。


「いや、つい……」


 だが教授は笑いながら言った。


「黒崎さん、あなたの声には“人を惹き込む力”があります」


「え?」


「子どもは、感情が動く人を好きになりますよ」


 美鈴は少し照れくさそうに笑った。


 *


 その週末。


 美鈴は久しぶりに宗像高校の体育館へ顔を出した。


 扉を開ける。


 懐かしい音。


 シューズの音。


 ボールの音。


「こんにちはー」


 一瞬静まり返る。


 次の瞬間。


「黒崎先輩ーーー!!!」


 後輩たちが一斉に駆け寄ってきた。


「うわっ!?」


「先輩来た!!」


「本物や!!」


「テレビで見ました!!」


 美鈴が笑う。


「テレビの動物園みたいに言わんで」


 *


 練習を見学する。


 後輩たちは、新しい“宗像高校の形”を作ろうとしていた。


 去年までとは違う。


 でも、ちゃんと続いている。


 それが嬉しかった。


 藤崎監督も近づいてくる。


「社会人はどう?」


「厳しいです」


「でしょうね」


 即答だった。


「でも、楽しいです」


 藤崎監督は少し笑った。


「なら大丈夫」


 *


 練習後。


 後輩たちと輪になって座る。


 咲良が聞く。


「黒崎先輩、今どんな料理作ってるんですか?」


 美鈴は少し考えた。


「まだ分からん」


「え?」


「今は、材料増やしよる途中かな」


 体育館の天井を見上げながら、美鈴は笑った。


「でも、どんなレシピになって、どんな料理になるのか……」


 少し間を置く。


「自分でも楽しみたい」


 後輩たちは、その言葉を静かに聞いていた。


 *


 夜。


 帰宅した美鈴は、ノートを開く。


『社会人の壁、高い』

『でも、超えた先を見たい』

『宗像高校、ちゃんと続いてた』


 そして最後に書く。


『レシピは、まだ完成しない』


 黒崎美鈴、18歳。


 人生の新しい試合は、まだ始まったばかりだった。




 次回予告

 第73話「負けたままでは終われない」


 社会人バレーの壁にぶつかった美鈴。


 読まれるフォークサーブ。


 通じない高校時代の感覚。


 だが、美鈴は止まらない。


「だったら、もっと美味しく作り直せばよか」


 フェニックス福岡では、新人たちにも本格的なフィジカルトレーニングが始まる。


 筋力。


 瞬発力。


 持久力。


 そして、“壊れない身体”。


 左足首に不安を抱える美鈴は、自分の身体と本気で向き合い始める。


 一方、短大では初めての保育現場見学へ。


 子どもたちの笑顔に触れ、美鈴の中で少しずつ“先生になりたい理由”が形になっていく。


「この子たちの未来、ちゃんと支えられる人になりたい」


 そして宗像高校では、後輩たちが新たな“イタリアン”作りに挑戦。


 だが、なぜか体育館で本当にパスタを茹で始める部員が現れる。


「おい待て! それは比喩たい!!」


 次回、第73話「負けたままでは終われない」。


 黒崎美鈴、新しいレシピはさらに煮込まれていく。

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