春高への最後の調整
第69話
春高への最後の調整
リハビリを続ける美鈴は、少しずつコートへ戻り始めていた。
軽いステップ。
短い助走。
低いジャンプ。
着地。
ひとつ動くたび、左足首の奥に不安がよぎる。
だが、美鈴は止まらなかった。
「最後のレシピは、まだ完成しとらん」
*
春高予選が近づく中、宗像高校は“美鈴に頼りすぎない形”を作り上げていた。
琴音は一秒でトスを選ぶようになった。
柚葉は力みを抑え、コースを打てるようになった。
咲良は小さくても先に声を出せるようになった。
朱里は次につながるレシーブを上げるようになった。
七海は独特のリズムで相手を崩す。
美音はサーブで流れを変える。
美鈴がいない時間が、後輩たちを育てていた。
*
ある日の練習後。
一年生たちが、美鈴の前に並んだ。
琴音が代表して口を開く。
「黒崎先輩」
「何?」
「私たちは、黒崎先輩から多くのことを学びました」
美鈴は黙って聞いた。
「一秒で判断すること。声を出すこと。失敗しても次へ行くこと。笑いながら前を向くこと」
柚葉が続ける。
「春高は、黒崎先輩と一緒に頂点に立ちたいです」
咲良も、少し震えながら言った。
「だから、先輩の戻る場所、ちゃんと守ります」
朱里が笑う。
「今度は、私たちが先輩をコートに迎える番です」
美鈴は目を伏せた。
涙が出そうだった。
「……頼もしかね」
*
そこへ同級生たちも来た。
牧野朱里が腕を組む。
「美鈴、最後のイタリアン、完成させるよ」
村瀬琴葉がうなずく。
「でも、美鈴がいないと完成せんからね」
河野美桜が言った。
「ペペロンチーノ抜きのイタリアンは、ちょっと寂しいです」
島袋花菜も笑う。
「香りが足りません」
美鈴は泣き笑いになった。
「私、にんにく扱い?」
琴音が真顔で言う。
「主役級です」
「それ褒めとる?」
「もちろんです」
体育館に笑いが広がった。
*
夜の体育館。
美鈴は一人、ボールを握っていた。
フォークサーブ。
高校一年のインターハイ決勝を決めた一球。
伝家の宝刀。
だが、今は着地が怖い。
足首に負担がかかる。
それでも、最後の春高で必要になる。
美鈴は深く息を吸った。
軽い助走。
トス。
腕を振る。
ボールに回転をかける。
ネットを越えたボールは、揺れた。
だが、落ちきらない。
「もう一回」
次。
ネット。
「もう一回」
次。
落ちたが、短すぎる。
「……まだ」
汗が額を流れる。
*
体育館の入口に、正一が立っていた。
「美鈴」
「お父さん」
「無理しとらんか」
「……ギリギリ」
「ギリギリは、だいたい無理の入口たい」
美鈴は苦笑した。
「春高で使いたい」
「分かっとる」
正一は近づいて、ボールを拾った。
「でも、サーブは腕だけやなか。足、体幹、呼吸。全部つながっとる」
「うん」
「怖さが残っとるなら、無理に強く打つな。回転とコースで勝負しろ」
美鈴はうなずいた。
「最後にストンと落とす」
「そう。相手が強打を待っとる時ほど、効く」
*
美鈴はもう一度、構えた。
助走は小さく。
体幹を締める。
左足に無理をかけすぎない。
腕を振る。
手首で回転をかける。
ボールはネットを越え、不規則に揺れた。
そして――
ストン。
サービスラインの内側へ落ちた。
美鈴は息を止めた。
正一が静かに言った。
「戻ってきたな」
美鈴はボールを見つめた。
「まだ完全じゃない」
「それでいい。完全じゃないから、考える」
美鈴は笑った。
「最後のレシピ、少し味が戻った」
*
春高予選。
宗像高校は勝ち上がった。
美鈴はフル出場ではない。
それでも、要所でコートに入った。
サーブ。
後衛。
短いラリー。
そして、声。
チームはもう、美鈴に依存していなかった。
だが、美鈴が入ると、確かに空気が締まる。
それが主将の存在だった。
*
予選決勝。
最後の一本。
琴音がトスを上げる。
柚葉が打つ。
相手ブロックに触れる。
ボールは外へ弾けた。
試合終了。
宗像高校、春高本戦出場決定。
美鈴はコートの外から拍手をした。
涙は出なかった。
その代わり、胸の奥が熱かった。
「行こう」
仲間たちが振り向く。
「最後の春高へ」
*
その夜。
美鈴はノートを開いた。
『春高予選突破』
『後輩たちが強くなった』
『同級生が待ってくれている』
『フォークサーブ、少し戻った』
『最後のイタリアン』
『最後のレシピ』
最後に、こう書いた。
『私は一人で完成するんじゃない。みんなと完成する』
次回予告
第70話「最後のレシピ」
高校編、最終回。
春高本戦。
宗像高校は三連覇をかけて、最後の大会へ挑む。
美鈴は完全復帰ではない。
だが、仲間たちは言う。
「美鈴がいるから完成する」
後輩たちの成長。
同級生たちの意地。
父・正一の言葉。
母・佳代の祈り。
そして、伝家の宝刀・フォークサーブ。
最後の一球。
最後のレシピ。
黒崎美鈴、高校バレー最後の戦いへ。




