復帰へのリハビリ
第68話
復帰へのリハビリ
国体優勝。
福岡代表は頂点に立った。
だが、美鈴の胸には、歓喜だけではないものが残っていた。
フルで戦えなかった悔しさ。
足を気にしながらしか動けなかった情けなさ。
そして、最後の春高に間に合うのかという不安。
左足首は、まだ完全ではなかった。
*
リハビリ室。
美鈴は、ゆっくり足首を動かしていた。
曲げる。
伸ばす。
回す。
体重を少しずつかける。
以前なら何も考えずにできた動き。
だが今は、一つひとつが怖い。
「痛みは?」
トレーナーが尋ねる。
「少しあります」
「無理はしないで」
「はい」
美鈴はうなずいた。
けれど、心の中では焦っていた。
(春高まで、時間がない)
*
体育館に戻ると、チームは練習していた。
琴音がトスを上げる。
柚葉が打つ。
咲良が声を出す。
朱里が拾う。
七海がリズムをずらす。
自分がいない間に、みんな少しずつ強くなっている。
それは嬉しい。
でも、少しだけ寂しい。
美鈴は松葉杖を握りしめた。
「私、戻れるとかな……」
その声は、小さかった。
*
その日の夜。
黒崎家。
美鈴はストレッチ用のマットの上で、足首のリハビリをしていた。
父・正一が隣に座る。
「焦っとるな」
「またそれ?」
「顔に書いとる」
美鈴は苦笑した。
「国体、優勝した。でも、私、ほとんど出られんかった」
「それでもチームは勝った」
「うん。それは嬉しか。でも……」
「自分も立ちたかった」
美鈴は黙った。
正一は静かに言った。
「強い選手は、休む勇気も持っとる」
美鈴は顔を上げた。
「休む勇気……」
「出る勇気だけが勇気やなか。戻るために、今は我慢する。それも勇気たい」
美鈴は足首を見つめた。
包帯が取れても、まだ不安が残る左足。
「怖か」
初めて、そう言った。
「また着地した時、痛めたらって思う」
正一はうなずいた。
「怖いのは当然たい。体が覚えとるけん」
「どうしたら消える?」
「消すんやなくて、慣らす」
正一は床を軽く叩いた。
「一歩ずつ。立つ。止まる。軽く跳ぶ。小さく着地する。それを何度もやる」
美鈴は小さく息を吐いた。
「料理で言えば、弱火でじっくり?」
正一は笑った。
「お前なら、そう言うと思った」
*
翌日から、美鈴のリハビリは少しずつ段階を上げた。
まずは歩く。
次に軽いステップ。
それから、短いダッシュ。
止まる練習。
方向転換。
ジャンプ。
そして、着地。
着地のたびに、胸がきゅっとなる。
痛みではなく、恐怖。
あの日の感覚が、体の奥に残っている。
だが、美鈴は逃げなかった。
「もう一回」
トレーナーが言う。
「今日はここまででもいいですよ」
「もう一回だけ」
藤崎香織監督が遠くから見ていた。
「黒崎」
「はい」
「“もう一回”が積み重なって無理になります」
美鈴は止まった。
「……はい」
「春高で戻りたいなら、今日壊してはいけません」
その言葉に、美鈴は深く頭を下げた。
「分かりました」
*
練習後、琴音たち一年生が美鈴のところへ来た。
「黒崎先輩」
「何?」
「焦らんでください」
美鈴は驚いた。
柚葉が続ける。
「先輩が戻る場所、私たちで守ります」
咲良も、小さく、でもはっきり言った。
「春高まで、ちゃんとコートをつないでおきます」
朱里が笑う。
「だから、先輩はちゃんと治してください」
美鈴は、しばらく言葉が出なかった。
去年は、自分が後輩に言う側だった。
今は、後輩たちに支えられている。
「……頼もしくなったね」
琴音が少し照れた。
「黒崎先輩が、私がいなくても戦えるチームになれって言ったので」
美鈴は笑った。
「言ったね」
「だから、今度は私たちが言います」
琴音はまっすぐ美鈴を見た。
「黒崎先輩が戻ってくるまで、私たちが戦います」
*
その夜。
美鈴はノートを開いた。
『復帰へのリハビリ』
『走る、止まる、跳ぶ、着地する』
『怖さは消えない。慣らす』
『強い選手は、休む勇気も持つ』
『後輩たちが、私の場所を守ると言ってくれた』
最後に書いた。
『最後の春高へ。焦らず、でも諦めず』
*
美鈴はペンを置き、左足首にそっと手を置いた。
「戻るよ」
それは足へ向けた言葉だった。
そして、自分自身への約束だった。
黒崎美鈴、高校三年。
最後の春高へ向けて、復帰への道はまだ続く。
次回予告
第69話「春高への最後の調整」
リハビリを続ける美鈴は、少しずつコートへ戻り始める。
だが、完全復帰にはまだ不安が残る。
春高予選が迫る中、宗像高校は“美鈴に頼りすぎない形”を作り上げていく。
そして美鈴は、最後の武器・フォークサーブを取り戻すため、夜の体育館で一人ボールを握る。
「最後のレシピは、まだ完成しとらん」
次回、第69話「春高への最後の調整」。
高校編、最終決戦へ。




