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笑う母の物語  作者: リンダ


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アルデンテへの道

 第60話

 アルデンテへの道


 紅白戦で、宗像高校のイタリアン作戦は山ほど課題を見つけた。


 力みすぎる柚葉。

 声が小さい咲良。

 考えすぎる琴音。

 リズムが先走る七海。

 サーブ前に固まる美音。


 美鈴はノートに書いた。


『固すぎても、柔らかすぎてもいかん。ちょうどよか一本を作る』


 つまり、アルデンテ。


 バレー部なのに、また料理用語である。


 *


 土曜日。


 新一年生たちは、また黒崎家に集まっていた。


「おじゃまします!」


 リビングには、すでにDVDが用意されていた。


 今回は、オリンピック女子バレー決勝。


 ブラジル対アメリカ。


 画面に映る選手たちは、高校生とはまるで違う世界にいた。


 高さ。

 パワー。

 反応速度。

 切り替え。

 判断。


 すべてが、人間の限界を押し上げているようだった。


 *


 父・正一がリモコンを手に言った。


「今日は、世界最高レベルの試合を見る」


 一年生たちの顔が引き締まる。


「女子でも、アタックの最高速度は時速二百キロに迫ることがある」


 大石柚葉が目を丸くした。


「二百キロ……?」


 美鈴が横で言う。


「新幹線のぞみが体育館に突っ込んでくる感じたい」


 宮内咲良が青ざめる。


「怖すぎます」


 正一が苦笑する。


「例えは極端やけど、それくらい反応の時間は短い。だから、見てから考えたら間に合わん」


 *


 映像が始まる。


 ブラジルの強烈なスパイク。


 アメリカのリベロが拾う。


 そこから一瞬で攻撃へ切り替わる。


 正一が映像を止めた。


「今、何が起きた?」


 原田芽衣が答える。


「強打を拾って……すぐ攻撃に入ってます」


「そう。拾って終わりじゃない。拾った瞬間、次の攻撃が始まっとる」


 牧野朱里が食い入るように画面を見る。


「レシーブの位置が、最初からトスしやすい場所に上がってます」


「その通り」


 正一はうなずく。


「朱里、守備は“耐える”だけじゃない。攻撃の始まりたい」


 朱里の目が変わった。


 *


 次の場面。


 アメリカのセッターが、一瞬でトスを選ぶ。


 正一が止める。


「琴音。自分ならどこへ上げる?」


 西原琴音はじっと画面を見た。


「ブロックが中央に寄りかけているので、ライトです」


「なぜ?」


「ミドルを警戒させた直後だから、サイドの一枚が遅れると思います」


 正一がうなずく。


「いい。ただし、実際の試合ではこの判断を一秒以内にする」


 琴音は息をのんだ。


「一秒……」


 美鈴が言う。


「考えすぎたら、パスタ伸びるたい」


「そこもパスタなんですね」


「アルデンテ大事」


 *


 正一は、柚葉にも問いかけた。


「柚葉。今のスパイク、力で打ち抜いたように見えるか?」


「はい。すごいパワーでした」


「でも、よく見ろ」


 映像を巻き戻す。


 スパイカーの助走。

 肩の向き。

 ブロックの位置。


「力だけじゃない。相手の手の外側を狙っとる。強く打つために、力を抜く瞬間もある」


 柚葉は自分の手を見る。


「力を抜く……」


 美鈴が声をかける。


「ビステッカは、焼く前に肉を叩きすぎたら固くなるとよ」


「私、肉なんですね」


「そう。いい肉たい。だから力みすぎ注意」


 柚葉は少し笑った。


「はい。ミディアムレア目指します」


 *


 咲良には、正一が守備の声を指摘した。


「今、ブラジルのリベロ、拾う前に声出しとるやろ」


「はい」


「声は、味方を助ける。自分が取るのか、任せるのか、それを一瞬で伝える」


 宮内咲良は小さくうなずいた。


「私、声が遅いです」


 美鈴が横から言った。


「カプレーゼはシンプルやけど、存在感が大事たい」


「存在感……」


「トマトとモッツァレラが無言やったら困るやろ?」


「食材は元々無言です」


 部屋が笑いに包まれた。


 咲良も笑った。


「でも、分かりました。声、先に出します」


 *


 講義の後半。


 正一は映像を止めず、問いを投げ続けた。


「今、自分ならどう守る?」


「どこへ上げる?」


「このブロックを見て、何を選ぶ?」


「前へ落とすか、奥へ打つか?」


「相手のリズムをどう外す?」


 一年生たちは必死に答えた。


 間違えてもいい。


 大事なのは、瞬時に考えること。


 見て、判断し、動くこと。


 正一は言った。


「世界レベルの選手は、判断が速い。しかも、その判断を体がすぐ実行する」


 美鈴も続ける。


「頭で分かるだけじゃ足りん。分かったことを、練習で体に入れるとよ」


 *


 講義が終わる頃、一年生たちの目は少し変わっていた。


 世界は遠い。


 あまりにも遠い。


 でも、そこに向かうための小さな階段は見えた。


 朱里はレシーブの質。


 琴音は一秒以内の判断。


 柚葉は力みを抜いた強打。


 咲良は声。


 美音はサーブの回転。


 七海はテンポのずらし方。


 それぞれが、自分の課題を持ち帰ることになった。


 *


 その日の夕食。


 佳代は、またしてもイタリアンを用意していた。


 トマトソースパスタ。

 クリームリゾット。

 鶏肉の香草焼き。

 サラダ。

 ミネストローネ。


 原田芽衣が笑った。


「本当にアルデンテの講義になってる……」


 佳代がにこにこしながら言う。


「今日は茹で加減、ちゃんと見といたよ」


 美鈴が胸を張る。


「これが黒崎家の実践教育たい」


 正一が言う。


「食べながら考えるのも大事」


 西原琴音がリゾットを見ながら言った。


「焦ると固まる……」


 美鈴が笑う。


「そう。琴音は今日、リゾットと対話しなさい」


「対話するんですか?」


「セッターは食事とも会話する」


「それは違う気がします」


 *


 翌週の練習。


 一年生たちは、少しずつ変わり始めた。


 朱里は拾う場所を意識した。


 琴音は考えすぎる前に選択した。


 柚葉は力を抜いてコースを打った。


 咲良は小さな声でも、先に声を出した。


 まだ完成には遠い。


 でも、確かに茹で加減は変わり始めていた。


 *


 美鈴はノートに書いた。


『オリンピック決勝講義』

『ブラジル対アメリカ』

『高速アタックの中で、瞬時に判断する』

『拾って終わりではなく、攻撃の入口』

『世界レベルは判断と実行が速い』

『一年生、それぞれのアルデンテを探す』


 最後にこう書いた。


『美味しい一本は、頭と体が同時に動いた時に生まれる』


 次回予告

 第61話「一秒の判断」


 黒崎家でのオリンピック講義を受け、一年生たちは“瞬時に判断する”練習へ入る。


 一秒以内に選ぶ。

 迷わず声を出す。

 拾った瞬間に攻撃へ切り替える。


 しかし、考えすぎる琴音、力む柚葉、声が詰まる咲良はまだ苦戦する。


「一秒は短か。でも、試合ではその一秒が全部を変える」


 次回、第61話「一秒の判断」。

 宗像高校、アルデンテへの道はさらに熱くなる。

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