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笑う母の物語  作者: リンダ


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夏のコートへ

第39話


夏のコートへ


再構成版


 夏の大会が始まった。


 ベンチ入りした黒崎美鈴は、ユニフォームの重さを改めて感じていた。


 選ばれた者の重さ。

 選ばれなかった仲間の悔しさ。

 そして、コートに立つ責任。


 宗像高校のベンチに座る美鈴は、ただ試合を眺めているだけではなかった。


 相手の守備位置。

 サーブの狙い。

 味方の足の運び。

 先輩たちの呼吸。


 全部を見ていた。


     *


 初戦を勝ち上がった宗像高校。


 次の相手を見た瞬間、美鈴の表情が少し変わった。


 相手チームのコートに、見覚えのある顔がいた。


「……梨音」


 高瀬梨音。


 かつて宗像中で、美鈴と同じコートに立ち、全国連覇を一緒に成し遂げた同級生。


 “焼き魚”と呼ばれ、ブロックとクイックで宗像中を支えたミドルブロッカー。


 今は別の強豪校の選手として、美鈴の前に立っていた。


 梨音も、美鈴に気づいた。


 試合前の整列。


 梨音が静かに笑う。


「美鈴。久しぶり」


「久しぶりやね、梨音」


「今日は、あんたのこと全部知っとるつもりで来た」


 美鈴はにやっと笑った。


「知っとるつもり、が一番危なかよ」


「相変わらずやね」


「そっちこそ。焼き魚、焦げとらん?」


「焦げとらん。むしろ、こんがり仕上がっとる」


 二人の間に、懐かしい空気が流れた。


 けれど、次の瞬間には勝負の空気へ変わった。


 同級生。

 元チームメイト。

 そして今は、相手。


     *


 梨音のチームは、美鈴の戦術をよく知っていた。


 鍋料理。

 定食作戦。

 日替わりメニュー。

 全部のせ。


 美鈴がどうやって空気を変えるか。

 どうやって仲間の役割を引き出すか。

 どの場面でブロックアウトを狙うか。

 どんな時にギャグで緊張をほどくか。


 梨音は、かつてその内側にいた。


 だからこそ、美鈴対策は徹底されていた。


 美鈴が助走に入ると、梨音が即座に声を出す。


「黒崎は外側狙う!」


 相手守備が動く。


 美鈴の得意コースが消される。


 ベンチで見ていた高城由奈がつぶやいた。


「さすが元チームメイト。黒崎の癖を知っとる」


 長谷川真帆も言う。


「普通の相手より読んでくるね」


 美鈴はコートの中で笑った。


「梨音、よう覚えとるね」


「忘れるわけなかろ。あんたの料理理論で全国獲ったっちゃけん」


「じゃあ今日は、新メニュー出すしかなかね」


     *


 第1セット中盤。


 宗像高校は少し苦戦した。


 美鈴が打つコースを、梨音が読む。


 フェイントにも反応する。


 ブロックアウトも指先を引いて対応する。


 美鈴は一度、攻撃を止められた。


「ナイスブロック!」


 相手ベンチが沸く。


 梨音が小さく拳を握る。


 美鈴は悔しそうにしながらも、目は笑っていた。


「成長しとるね」


 次のラリー。


 美鈴はあえて自分で決めにいかなかった。


 梨音が美鈴を見ている。


 なら、その視線を利用する。


 美鈴は強打の助走に入り、相手ブロックを引きつけた。


 その瞬間、長谷川真帆に短く声を出す。


「奥!」


 トスは美鈴ではなく、逆サイドへ。


 早乙女美咲が打ち込む。


 決まった。


 梨音が一瞬、目を見開く。


「囮……」


 美鈴は笑った。


「知っとる相手には、知らん動きば見せるとよ」


     *


 そこから美鈴は、さらに戦術を変えた。


 自分が主役になるのではなく、相手の記憶を利用する。


 梨音は美鈴を知っている。


 だからこそ、美鈴が打つと思う。

 美鈴が落とすと思う。

 美鈴がブロックアウトを狙うと思う。


 その“知っている”を逆手に取った。


 美鈴は囮になる。

 つなぎに回る。

 わざと得意コースを見せて、別の選手を生かす。


 そして、相手が迷い始めた瞬間だけ、自分で決める。


「黒崎!」


 真帆のトス。


 梨音が跳ぶ。


 今度こそ美鈴が打つと読んでいる。


 美鈴は空中で一瞬、梨音を見る。


 同じ学年。

 同じ宗像中。

 同じ全国の景色を見た仲間。


 その目の奥に、読みがある。


 美鈴はその読みのさらに外へ打った。


 ブロックの指先ではなく、ブロックの根元を避けるような鋭いコース。


 ボールはライン際へ落ちた。


 得点。


 梨音が悔しそうに笑う。


「それ、知らん」


 美鈴が返す。


「新メニューたい」


     *


 第1セットは宗像高校が取った。


 だが、梨音のチームも簡単には崩れなかった。


 第2セット。


 梨音はさらに修正してきた。


 美鈴が囮に入る時の助走。

 つなぐ時の視線。

 打つ時の踏み込み。


 少しずつ読もうとする。


 美鈴は感心した。


(梨音、本当に伸びとる)


 同級生として嬉しかった。


 元チームメイトとして誇らしかった。


 でも、勝負は別。


 美鈴はタイムアウトでベンチに戻ると、藤崎香織監督に言った。


「梨音は私を見すぎとります」


 藤崎監督が視線を向ける。


「なら?」


「私が動かん時に、相手が一瞬止まります」


 真帆がうなずいた。


「黒崎を基準に守備を組んどるってことね」


「はい。やけん、次は私が“何もしない”を使います」


 高城由奈が少し笑う。


「何もしないを作戦にする一年、なかなかおらんね」


 美鈴は胸を張った。


「無添加メニューです」


 藤崎監督がぼそっと言う。


「黒崎、言葉はふざけても、プレーはふざけないように」


「はい!」


     *


 試合再開。


 美鈴はあえて動きを抑えた。


 助走に入らない。

 前に出すぎない。

 相手の意識を引きつけたまま、静かに立つ。


 梨音の視線が迷う。


 美鈴が来るのか。

 来ないのか。


 その瞬間、真帆が三枝里奈へ速攻を使った。


 決まる。


 次は高城由奈。


 次は岩崎彩音。


 相手の守備が散り始める。


 そこで美鈴が入る。


 トスが上がる。


 梨音のブロックが半歩遅れる。


 美鈴は外側を狙う。


 得点。


「美鈴……えげつなか」


 梨音が苦笑する。


「褒め言葉として受け取るたい」


     *


 終盤。


 22対22。


 元チームメイト同士の読み合いは、会場の空気を熱くしていた。


 梨音のクイック。


 宗像高校が拾う。


 真帆が上げる。


 美鈴へ。


 梨音が跳ぶ。


 今度は完璧なタイミングだった。


 美鈴は空中で、ほんのわずかに笑った。


「梨音、焼き魚は焦がしたらいかんよ」


「試合中にそれ言う!?」


 その一瞬、梨音の手の角度がほんの少し揺れた。


 美鈴はその隙を逃さない。


 ブロックの外側。


 ボールが弾ける。


 23対22。


 ベンチが沸く。


 藤崎監督は腕を組んだまま、口元だけ少し緩めた。


「……心理戦まで使うか」


     *


 最後の一本。


 梨音のチームは全力で粘った。


 美鈴を止めるために、ブロック二枚。


 守備も深い。


 だが、宗像高校はもう美鈴だけのチームではない。


 真帆がトスを散らす。


 由奈が打つ。


 拾われる。


 千春が拾う。


 再び真帆。


 今度は美鈴。


 梨音が跳ぶ。


 美鈴は強打のフォームから、短く落とす。


 しかし梨音も反応する。


 拾われた。


「読んだ!」


 梨音の声。


 美鈴はにやりと笑う。


「それも読んどった」


 次の返球が少し浅くなる。


 そこへ高城由奈が入り、強烈な一撃。


 決まった。


 試合終了。


 宗像高校、勝利。


     *


 整列後。


 梨音が美鈴のところへ来た。


「美鈴」


「うん」


「知っとるつもりやった」


「そりゃ、一緒に全国獲ったけんね」


「でも、今の美鈴は、あの頃よりもっとやばい」


 美鈴は少し照れたように笑った。


「高校のコートに合わせて、必死に変わりよるだけたい」


「次は、もっと読めるようになる」


「じゃあ私は、もっと読まれんようになる」


 梨音は悔しそうに、でも嬉しそうに笑った。


「また料理で言うと?」


 美鈴は真顔で言った。


「今日は、元チームメイト対策・新メニュー試食会たい」


 梨音が吹き出した。


「やっぱり美鈴やね」


     *


 試合後、藤崎香織監督は美鈴を呼んだ。


「黒崎」


「はい」


「今日の試合、よく考えていた」


「ありがとうございます」


「相手があなたを知っていることを、逆に利用した。あれは簡単ではありません」


 美鈴は真剣に聞く。


「ただし、心理戦だけに頼らないこと。最後は技術で勝つ」


「はい」


 高城由奈も言った。


「今日の黒崎は、高校の選手になり始めとる」


 美鈴は目を丸くした。


「ほんとですか」


「少しだけね」


「少しだけでも嬉しかです」


     *


 帰り道。


 一年生たちが美鈴を囲んだ。


「元チームメイト相手にあれはすごい」


「知り尽くされてるのに、さらに上いったね」


「新メニュー試食会って何なん」


 美鈴は笑った。


「知っとる相手ほど、知らん自分を見せるとよ」


 小雪がうなずいた。


「それ、今日のテーマやね」


 美鈴は空を見上げた。


 夏のコート。


 選ばれた重さを背負い、ベンチから見て、途中出場で戦い、元チームメイトと向き合った。


 美鈴はまた一歩、高校のコートへ近づいていた。



次回予告


第40話「インターハイへの道」


 夏の大会で結果を残し始めた美鈴。


 宗像高校は、インターハイ予選を勝ち進んでいく。


 だが、全国への道は簡単ではない。


 強豪校との連戦。

 主力選手の疲労。

 そして、美鈴への期待の高まり。


「黒崎、次は最初から行く」


 藤崎香織監督の言葉に、美鈴の胸が震える。


 ついに先発出場のチャンス。


 次回、第40話「インターハイへの道」。

 美鈴は、宗像高校の主力として試される

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