初めてのベンチ外
第32話
初めてのベンチ外
春。
宗像高校女子バレー部にとって、新年度最初の大会が近づいていた。
美鈴たち一年生も、少しずつ高校の練習についていけるようになり始めていた。
だが――
“ついていける”ことと、“試合に出られる”ことは、まったく別だった。
*
宗像高校は、黒崎家から歩いて十五分ほど。
そのため、美鈴の家には自然と一年生たちが集まるようになっていた。
特に県外出身の部員たちにとって、黒崎家は少しだけ“福岡の家”みたいな場所になっていた。
土曜日の夕方。
練習を終えた一年生たちが、美鈴の家へやって来る。
「おじゃまします!」
「ただいまって言いそうになる……」
玄関からすでに賑やかだった。
佳代は笑顔で迎える。
「はいはい、いっぱい食べりーね」
テーブルには、大皿料理が並ぶ。
唐揚げ。
肉じゃが。
焼き魚。
サラダ。
味噌汁。
料理名を見た瞬間、ひかりが吹き出した。
「ほんとに定食や!」
美鈴が胸を張る。
「宗像中食堂の伝統たい」
小雪が笑いながら言う。
「高校編でも続いてたんや……」
すると、リビングから低い声が聞こえた。
「食うだけやなく、ちゃんと考えて食べろよ」
父・黒崎正一だった。
今は福岡の男子実業団チームでコーチをしている。
その言葉に、一年生たちは一気に姿勢を正した。
「こんばんは!」
「お、お邪魔してます!」
全国レベルの指導者。
しかも、美鈴の父。
緊張しないわけがなかった。
*
食後。
リビングでは、バレーの試合DVDが流れていた。
実業団。
大学。
海外リーグ。
スピードも高さも、高校とはさらに違う。
正一はリモコンを止める。
「今の場面、どうする?」
画面には、相手エースに連続で決められている場面。
真央が最初に答えた。
「ブロック位置を少し内側へ……」
「それだけやと間に合わん」
正一が言う。
「じゃあ、リベロの位置を――」
「そう。相手のクセを見て、守備を半歩変える」
ひかりが食い入るように画面を見る。
「半歩でそんな変わるんですか?」
「全国レベルは、その半歩で決まる」
美鈴も真剣だった。
父は、家では優しい。
でも、バレーになると目が変わる。
「美鈴」
「はい」
「高校では、中学の感覚で打っとったら止められる」
「……はい」
「高校のブロックは、“待つ”んやなく、“読む”」
正一は立ち上がった。
「ひかり、ちょっと立って」
「はい!」
リビングの真ん中で、急きょ実演が始まる。
正一がブロック役。
美鈴が助走に入る。
「ここで、相手は黒崎の肩を見る」
「うん」
「でも、本当に見るべきは足と腰や」
正一は動きを止めながら説明した。
「肩で打つ方向を隠せても、腰は嘘つかん」
全員が真剣に聞いている。
実業団コーチの言葉には、重みがあった。
「だから、腰を最後まで隠す」
美鈴が何度かフォームを修正する。
「こう?」
「まだ早い」
「こう?」
「今の」
ひかりが感心する。
「すご……」
小雪もメモを取る。
「高校のさらに上の世界……」
*
正一が不在の日も、黒崎家の勉強会は続いた。
DVDを見ながら、一年生たちが議論する。
「今の、自分たちならどうする?」
「ここ、ひかりなら拾える?」
「いや、この速さならまずブロック触らせる」
「結菜先輩なら打ち抜きそう」
「美鈴ちゃんは?」
美鈴は腕を組む。
「私は……ブロック利用する」
真央がうなずく。
「やっぱりそこですよね」
そんな時間は、楽しかった。
きつい練習のあとでも、バレーを考えるのが好きだった。
そして何より、仲間と一緒に考えるのが好きだった。
*
泊まりの日の夜は、さらに賑やかだった。
部屋に布団を並べる。
ひかりが突然言う。
「美鈴ちゃん、寝言で料理の話しそう」
「言わんよ」
小雪が笑う。
「『唐揚げいきます』とか言いそう」
「それは結菜先輩たい」
沙耶が吹き出す。
「絶対言う!」
笑い声が続く。
疲れているはずなのに、不思議と楽しかった。
同じきつい練習をして。
同じ体育館で怒鳴られて。
同じ夢を見て。
その時間が、少しずつ一年生たちを“チーム”にしていた。
*
だが、現実は甘くなかった。
春の大会メンバー発表の日。
体育館には、重い空気が流れていた。
高城由奈が紙を持って立つ。
「登録メンバーを発表する」
一年生たちは息を飲む。
「呼ばれた者は返事」
「はい!」
名前が読み上げられていく。
3年生。
2年生。
そして、一年。
「桜庭ひかり」
「はい!」
「中原小雪」
「はい!」
美鈴は静かに待った。
だが――
最後まで、名前は呼ばれなかった。
*
沈黙。
胸の奥が、少し冷える。
分かっていた。
高校は甘くない。
中学全国連覇キャプテンでも、特別扱いなどない。
でも――
やっぱり悔しかった。
*
ミーティング後。
一年生たちは複雑な顔をしていた。
ベンチ入りした者。
登録外になった者。
空気は重い。
その中で、美鈴は静かに笑った。
「悔しか」
ひかりが言う。
「美鈴ちゃん……」
「でも、これが高校たい」
その声は、落ち込んではいた。
でも、折れてはいなかった。
「今の私は、まだ宗像高校のレギュラーに足りんってことやろ?」
真央が悔しそうに言う。
「でも、美鈴ちゃん、中学で全国連覇……」
「高校は関係なか」
美鈴はまっすぐ言った。
「ここでは、今の実力が全部たい」
*
その夜。
家に戻った美鈴は、夕食を食べたあと、そのまま風呂へ入った。
湯気が気持ちいい。
疲れが、一気に押し寄せる。
悔しかった。
でも、不思議と燃えてもいた。
(絶対、ここで終わらん)
そう思いながら湯船に浸かっているうちに――
うとうとしてしまった。
*
一方その頃。
弟の誠一は、中学野球部の練習を終えて帰宅していた。
「ただいまー……あっつ」
汗だくだった。
「今日ノック地獄やった……」
佳代が台所から声をかける。
「先に風呂入りー」
「はーい」
誠一はタオルを肩にかけ、ぼんやりしたまま風呂場へ向かった。
「姉ちゃん、まだ入っとるかな……」
ガラッ。
扉を開けた瞬間。
湯船で、美鈴が気持ちよさそうに寝ていた。
誠一の動きが止まる。
「……」
一秒。
二秒。
三秒。
誠一の顔が一気に真っ赤になる。
「やばっ!!」
慌てて扉を閉める。
「姉ちゃんの裸見るとこやった!!」
リビングまで声が響いた。
佳代が吹き出す。
「そりゃ風呂場やけん見えるやろもん」
「いやそうやけど!!」
その騒ぎで、美鈴が目を覚ました。
「ん……?」
湯船の中でぼんやりしながら言う。
「……誠一?」
誠一は廊下で頭を抱えていた。
「危なっ……全国レベルで危なかった……」
美鈴は眠そうな声で返した。
「何が全国大会なん……」
そして数秒後。
「あっ」
状況を理解した美鈴が、風呂場の中から叫ぶ。
「誠一ぃぃぃ!!」
「見てない!見てないって!」
佳代が腹を抱えて笑う。
「もう、あんたたち騒がしかー!」
*
その夜。
布団に入った美鈴は、天井を見つめていた。
悔しさは残っている。
ベンチ外。
初めて味わう、高校の現実。
でも――
それでも、美鈴は前を向いていた。
ここで終わるつもりはない。
もっと強くなる。
もっと考える。
もっと戦える選手になる。
そしていつか、宗像高校のコートで、全国の舞台へ立つ。
そのために、また明日から挑戦する。
黒崎美鈴は、もう一度“挑戦者”になった。
⸻
次回予告
第33話「ベンチの外から見えるもの」
ベンチ外となった美鈴。
試合に出られない悔しさを抱えながら、スタンドから仲間たちを見つめる。
だが、コートの外だからこそ見えるものもあった。
流れ。
空気。
相手の変化。
そして、“支える側”の苦しさ。
「出られんでも、できることはある」
次回、第33話「ベンチの外から見えるもの」。
美鈴は、“戦う以外の強さ”を知り始める。




